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愛と正義の赤ちゃんごっこ【9―B】

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 唇を離したとたん、急にはずかしくなってきた。思わず顔をそむけて窓をのぞく。観覧車のゴンドラがのぼるにつれて、東京ドームのむこうにライトアップされた夜景がひろがっていく。

「愛」

 ふり返った私の頭を、ギュンちゃんはそっとなでて言った。

「きょうはありがとう。楽しかったよ」

「あたしこそありがと」

 そのとき、ぐーっというまぬけな音が鳴った。なんというタイミング。最悪だ。

「うちでメシ食ってく?」

 ギュンちゃんはそう言って、私の肩を抱きよせた。

「10時までには帰らなくちゃいけなくて。きょうはお母さんがいるから」

「そっか」

 ゴンドラの中には、いまはやりのバンドの曲が流れている。私の肩を抱いたまま、ぼーっと外をながめているギュンちゃん。

「ねえ、25日どうしよっか?」

 私がそう言うと、ギュンちゃんはふり向いてにっこり笑った。

「覚えててくれたんだ」

「もちろん」

「今年はちょうど花火大会とかぶってるんだ、隅田川の。いっしょに行こう」

「行こ行こ。お誕生日に花火大会なんて、みんながギュンちゃんをお祝いしてくれるみたいだね」

 もう1週間くらい前から、プレゼントはなにがいいかずっと迷っている。いっそギュンちゃんに直接聞いちゃおうか? だけど、もし私がもらう側だったら、当日まで中身がわからないほうがワクワクすると思うし。

「そういや石黒も行くって言ってたな」

「へえ」

「あいつ最近彼女ができてさあ」

「そうなんだ」

「愛も知ってる子だよ、バイト先の」

「えっ、だれだれ?」

「ほら、飲み会のとき愛のとなりに座ってた、ミドリちゃんとかいったっけ」

「ウソっ! ほんとに?」

「石黒のやつ、さんざん愛にアプローチしといていいかげんなやつだよな」

「ミドリさんってね、あの人ギュンちゃんのこと狙ってたんだよ」

「へえ、そうだったんだ。おにあいのカップルだな」

「あはは」

 窓の外をのぞくと、地面がすっかり遠くなっていた。

 ゴンドラはどんどんのぼっていく。大好きな人といっしょにながめるキレイな夜景。幸せなはずなのに、なんだか涙がこぼれそうだ。私たちはこれからも、ずっといっしょにいられるのかな? 正直私には、ギュンちゃんが好きでいてくれる自信がない。あの写真の女の子を、ギュンちゃんはたぶん、まだ忘れていないんだ。どうすればいい? どうすればギュンちゃんは私だけを見てくれるんだろう。

「愛」

 ふり向くと同時にキスをされた。ギュンちゃんの熱い舌が口の中に入ってくる。ちょっと乱暴に舌を吸われて、つっぱっていたひじがカクンとなる。ギュンちゃんは息を上げながら、少しだけ顔を離して言った。

「誕生日はずっと、いっしょにいようね?」

「うん」

「朝までずっとだよ?」

「うん」

「大好きだよ、愛」

「うん、あたしも――」

 大好きだよ、と言う前に、もう一度口をふさがれた。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ 

 スマホの着信音が頭にひびく。きのうは一日中ギュンちゃんと遊び歩いたから、家に帰ってすぐ寝落ちして、いまのいままで爆睡していたんだ。マクラもとのスマホをつかんでディスプレイをのぞくと、茶山(ちゃやま)くんからだった。

「もしもし?」

 大きなあくびをしながら、私はかすれた声で言った。

「どうしたの?」

「わりぃ、寝てた? ちょっと早すぎたかな」

 目覚まし時計は10時半を示している。学校がおわってそろそろ2週間。最近は昼ごろ起きるのが当たり前になってしまった。いくら塾の講習が1時からとはいっても、これじゃ完全にダメ人間だ。

「ううん、そろそろ起きなきゃ間に合わないから」

「あのさ、講習の前に朝メシ……ってか昼メシ食いに行かね? あと、ついでに夏休みの宿題でよくわかんないとこ教えてもらいたいんだけど」

「いいけど、宿題だったらあたしよりマーくんに聞いたほうが早いと思うよ?」

「赤地は頭よすぎるから、あいつの解説じゃオレには理解できないんだ。たのむよ、メシおごるからさ」

「ほんとに?」

 ちょうどお母さんが出張中で、自炊するのはメンドーだと思っていたところだ。宿題を手伝うだけでおごってもらえるなんて、おいしすぎる。

「いいよ。どこにする?」

「駅前に定食屋があるんだ。大江戸屋ってとこ。あそこにしよう。12時くらいには来れる?」

 電話を切ってからしばらくの間、きのうギュンちゃんとふたりで撮ったプリクラをぼーっとながめた後、まだ眠い目をこすりながらトイレに行き、シャワーをあびて歯もみがいて、そんなこんなで11時半。

 きょうはなにを着て行こうかな? きのうは暑いからってノースリーブの服で行ったら、教室のクーラーがききすぎてめちゃめちゃ寒かった。なにか上にはおるものも持っていかなきゃ。あと、ショートパンツも失敗だったな。ロングスカートにしよう。

 着替えおわって時計を見ると、11時55分。やばい!

 自転車で駅までとばしていくと、茶山くんは店の前で待っていてくれた。

「ごめんごめん」

「こっちこそいきなり呼び出しちゃってごめん」

 入り口の横に置いてある小さな黒板には、バラエティー豊かなメニューがのっている。

「見て、いろいろあるんだね」

「先になに食うか決めとかないと。ここはマックみたいにカウンターで注文するんだ。きょうはオレのおごりだから、なんでも好きなのたのんでいいよ」

「ありがと。どれもおいしそうだなあ」

 これだけいろいろあると、優柔不断な私はつい迷ってしまう。炭火焼きサバ定食もおいしそうだけど、カキのせいろごはんも捨てがたいし……。あっ、アサリの深川汁かけごはんってのもなかなか……。

「よし、あたし焼きサバ定食にしよっと」

「しぶいな桃下(ももした)。おまえほんとに高校生か?」

「茶山くんは?」

「オレはカツ丼」

「ああ、カツ丼もいいなあ……」

「おまえはサバのほうがいいだろ、カロリー的に」

「あっ、そういうこと言うんだあ!」

 ふざけて肩をこづくと、茶山くんは赤ちゃんみたいな顔でケタケタ笑った。一実は「性根のくさったホスト野郎」なんて言ってたけど、この笑顔を見ていると全然悪い人じゃないってことがよくわかる。

 ちょうどお昼どきで、お店はかなり混んでいた。注文をすませた私たちは、壁際の2つならびの席が空いていたのでそこに座った。

「さっそく質問なんだけどさ……」

 茶山くんはそう言って、クリアケースから勉強道具を取り出した。

「おまえ英語得意だろ? これ、わかるかな? “We must go home (  ).”ってやつ」

「……あっ」

 どこかで見たと思ったら、この問題は前にマーくんが解説してくれたやつだ。

「わかった?」

「これね、“will”はつかえないの。時とか条件を表す副詞節の中だと、未来のことでも現在時制にするんだよ。だから正解は2番の“before the sun has set”」

「さすが桃下」

「マーくんが教えてくれたんだ。ほかにわかんない問題ある?」

「あのさあ桃下」

 突然ぎゅっと手をにぎられ、私はおどろいて茶山くんの顔を見た。

「オレ、おまえといっしょにいるだけでめちゃめちゃ楽しい。おまえは?」

「どうしたの急に」

「おまえはどう?」

「あたしも楽しいよ」

「ほんとに?」

「うん……」

 ギョロギョロとした力強い目を見つめ返す。なんだか体が熱くなって、頭がぼーっとしてきた。

「じゃあさ、よかったら俺とつきあってくれない?」

「えっ?」

「ヤダ?」

 急に近づいてきた茶山くんの顔におどろいて、うっかり水の入ったコップをひっくり返してしまった。騒ぎに気づいた店員のおねえさんが、すぐにタオルとモップを持ってきてくれた。おねえさんが床をふいている間、ぬれたスカートをタオルでこすりながら、私は茶山くんにどう返事をしたらいいか、考えた。

「ごめん茶山くん。あたし……」

 おねえさんが奥にもどると、私はゆっくり口を開いた。

「いいよ別に。オレは全然ぬれなかったし」

「ううん、そうじゃなくてさっきの話。あたしいま、つきあってる人がいるの」

「マジ? いつから?」

「えっと、まあ、わりと最近」

「そっか。そうだったのか……」

 茶山くんはこくこくうなずいて、ほほえんだ。

「でも、やっぱりオレには桃下しかいないんだ。迷惑かな?」

「そんな、全然迷惑なんかじゃないよ。ありがとう」

「お待たせいたしました。カツ丼のお客さまは?」

 店員のおねえさんからどんぶりを受け取ると、茶山くんは急にふふっと笑った。おねえさんが店の奥にもどってから、茶山くんにきいてみた。

「なんで笑ったの?」

「いや、定食屋なんかで告るんじゃなかったなあって思って」

「たしかに」

「おい! これでもけっこう傷ついてんだぞオレは」

「あはは」

 茶山くんとはこれからも、ずっと仲のいい友だちでいられたらいいな。


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