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「創作のモチベーション」を探して維持する話。

noteになにか書くとき、それなりに熱意を持って行動すべき?
いろんな人に読んでほしいってなったら、それなりに熱のこもったアピールをする必要があるのかもしれない。

note始めてから3年くらい経ちますけど、特に変わりもなく4年目に突入しそうです。はじめたころの記事はほとんど削除させてもらいました。内容がアレでアレすぎてアレだからですけど、最初に書いたのは2020年の3月だってのは覚えてます。
私は結構「反応」を気にするタイプな人なもんだから、note開くと高確率で「アクセス状況」開いちゃう。で、noteのビュー数って「実際に中身を読まれた回数」じゃないってのを、どなたかの記事で読んだことがあったんですよ。

読まれた回数を察するのはよくないことなのか?

「view」は、見ること・眺め・見方のほかに、視界・視力・風景・考え方・見る・眺める・観察するなどの意味がある。

実用日本語表現辞典 より

なんだっけ、画面にそのページが「表示」された数と実際にページ開いた数の総数だっけ? 表示だけならいくらでもされるはずだから、たしかにビュー数は伸びますけど「読まれた回数」まではわからない。私ちょっとこれが気になってまして…
なんて言ってる時点で「反応ほしいだけの人になっちゃってるんですけど、本気でわからないから書いてみた次第です。
すごいネガティブな表現すると「その記事がある風景」みたいになっちゃう。

風景なら流されてもまあ…とはなりませんけど。ただ、創作活動するにあたりほしいのは「批判ふくんだ【読んでくれたor見てくれた】感想や反応」であって、スキの数でははかれないな、ビューの数ってもはや論外(読まれてるか謎だし)なのでは、と思ったわけです。
ほんとにその人の記事が好きならスキも押してシェアもするんでしょうけど、スキが記事を開かずとも押せてしまう仕様になってるのはいかがなものかな〜、と最近思うわけですよ。マガジンに入れるのは最後までいかないとダメだけど。
スキも励みになりますけど「ほんとうに?」って訝しんじゃう。悪い癖ですね…
「これよかった!」よりも「これの〇〇が好き!」とか「ここの書き方がいい!」とか、具体的なのがほしい。

最初の問い。
noteになにか書くとき、それなりに熱意を持って行動すべき?
いろんな人に読んでほしいってなったら、それなりに熱のこもったアピールをする必要があるのかもしれない。

私はほかの人のを読みにいくことはあんまりしません。しないというか、読むんだけど、実は「デジタルで読むの苦手」な人なんで、あんまり読めないだけです。ほんとに好きだったら50,000字それ以上でも一気読みするんですけど、あんまり読みにいきません。

熱意を持つことは自信があるからできることだと思ってます。だから好きなことを書くときならモチベーションも上がっていいんじゃないか、と。
でもそうもいかない。なんでって、福山雅治さんとかKing Gnuとかの「好きなモノ」で、ちゃんとした記事を一本書けた試しがないんです。ぷよクエに至っては極端な方向の「好き」でしか書いてないし。

モチベーション維持、意外と大変。あと「読んでくれる人を探す」のって、もっと難しいんですねと思った2023年でした。

アナログの (あっぷ)


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