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学び続けると何が良いか

学び方を学べる

学び続けると何が良いかというと、「学び方がわかってくる」ということがもっとも大きな益である。

学ぶことは楽しいし刺激的だし得である

「生涯学習」が嘔われて久しいが、これは頭の体操とか物忘れ防止とかそんなぬるいことではない。小難しい話でもない。もっと刺激的でワクワクすることなのだ。

学ぶことの楽しさを知っていれば、やりたいと思ったことをやるために必要な知識や技術を自分で工夫して身に付けて、その輪の中に入って行けるのである。とりあえず入って、足りないものを少しずつ身に付けて、いつの間にかその世界の一員として楽しめるようになるのだ。

情報の集め方。知識の整理の仕方。助けてくれる人の探し方。仲間の作り方。これも立派な「学び方」である。学び方を知っていると、学び続けることが出来る。鶏と卵と同じだが、学び続けるからこそ学び方がわかるようになってくるのである。


学問は密接に関連して繋がっている

また、自分の興味のあるいくつかのテーマを継続して学び続けていると、それらの情報や知識や技術が、相互に関連していることに気が付いていく。

スポーツ、言語、音楽、文学、歴史、経済、哲学・思想・宗教、数学、物理、化学、生物学、医学など、学問のジャンルは様々に分かれている。アカデミックな世界はどんどん細分化していくけれども、最先端を知らなくても学問は楽しいし、なにより生活に役立てることが出来る。生活に必要だと感じるものを、自分なりに学べばそれでいい。
というか、学問の研究の最先端で働くのはめちゃくちゃ大変なことだけれども、その研究の成果をいかに効率よく人生に活用するかを知っていた方が、人生が楽しくなるのだ。研究者たちの苦労によって生み出されたあらゆる恩恵を、現代はインターネットを通して簡単に享受できる世界になっているのだから。それも上手くやれば無料で知識を手に入れられる。

学生時代、僕は陸上部だったのだけれど、あんまり何も考えないでただみんなと楽しく走っていた。今思うと、どうしてもっと上達の方法を自分で考えなかったのだろうと不思議だ。
どんな筋肉が短距離に必要なのか。そのために適切なトレーニングは何か。骨格や体重やフォームなど、自分と同じ体形で足の速い人を観察して、真似してみたらよかった。
筋肉の付け方、肉体訓練の方法、精神と肉体の関係、食事、生活リズムなど、知識を身に付けていたらきっと一生役に立ったはずだ。そして、身体を如何に使うかとか、メンタルコントロールの知識は、長距離ランニングや楽器演奏にもつながっただろうなと容易に想像がつく。
プロテインを飲んだり、アイシングしたり、意味も分からずに「みんなやってるから右に倣え」で従っていた。自分で工夫して取り組んでいたら、もうちょっと大人になっても残るような財産になったのになと残念である。(でも、走ったことで、健康的な肉体とメリハリのある学生生活とよい友人がもてたのは良かった。)

あと、学ぶというほどでもないけれど、建築や音響にも興味がある。物体の性質とか音響学を学べば、演奏やホールの音響、楽器の構造を知ることにもつながると思う。決してその道の研究家になりたいわけではない。
それが面白いと思うのは、使い道がはっきりしているからだ。ただ学ぶこと自体が楽しいと感じられるジャンルもあるけれど、相互に関連していた方が学びは加速する。

言語と楽器習得の関連(お馴染みの)

僕はしばしば言語と楽器演奏技術習得の関連性について記事を書くけれども、この二つは常に僕を刺激し続けてくれている。

どちらも、知識と感覚と記憶の刷り込みによって、自分の体と脳に新たな回路を作り上げていく作業だと感じる。

ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんが、何かのテレビ番組のインタビューで言っていたのだが、半年ほど後に控えたブラームスのコンチェルトを弾くために、今「仕込んでいるところだ」という表現を使っていた。この「仕込んでいる」という表現が非常にしっくりくる。
頭で整理した知識を体に繰り返し覚えさせ、耳でもその音を確認する。知識と筋肉記憶と視覚や聴覚が別ではなく一つになるように。しかも、自分の感情の動きを感じや、聴衆の心の動きも想像し、考えながら準備する。畑の中に種を蒔くように、情報と記憶と感覚を仕込んでいく。これらの仕込みが、深く広く緊密に繋がっていくことで、演奏のための盤石な土台を作ることが出来る。(というような意味だと勝手に解釈している。)

先日、チェロを練習中に、いろんなポジションで親指を使ったフォームに取り組んでいたところ、左の手と腕と肩のバランスをうまく使うと背中の痛みが少なく軽やかに弾き続けられるポイントがあることに気が付いた。親指だけで弾くときにも、基本的には左手全体のがっしりしたフォームで(親指と薬指のアーチで)腕の重みを載せにいく、というような感覚だ。
これはヨハネス・モーザーというチェリストのインスタグラムを見ていた時に、ずーっと「この左手いいかんじだなぁ、真似したいなぁ」と思っていた感覚が「これか!」と分かった感じである。
とりあえず出来るようになった事を、もっとスムーズに、もっと軽やかに、もっと自由に使えるようにアップデートしていく。そういうことが楽しい。
(左手に力が入ると右手も力み、翌日背中がバキバキになる。なんとかこれを解消したいと思っていて、改善の兆しがあって嬉しい。)

言語も同じで、単語やら文法やらをともかくインプットして、あとは文章を読んだり話したり聞いたりして経験を積んでいく。インプットもアウトプットもずーっと繰り返していると、ぼんやりしていた語彙が明確になったり、読めるけど書けなかったフレーズがいつの間にか自然に出てくるようになったり、聞けなかったものが聞けるようになったり、とブレークスルーが訪れる。感情が動いていると、さらに記憶が定着しやすくなる。
そして、英語を使って音楽の情報を取り入れたりすると学習は加速していく。

楽しんでいることが強い

他の学問も、楽しんで学び続けるチャンスがあれば、似たような相互関連性を見出しながら学ぶことが出来るだろうなと思う。個人的には、もっと数学的な要素が入っていると世界が広がりそうだなぁと思っているのだけれど、仕事に数学があまり関わっていないし、これ以上趣味も増やせないし、仕方がない所だ。

仕事の方は、やらなくてはならないし、アウトプットに追われているのでともかくやり続けるけれども、趣味として楽しく学び続けているものが別の側面から感覚を刺激してくれるので、頭の片隅で全く別の領域の作業がリンクしていくような楽しみがある。

見えなかった世界が見えるようになり、分からなかった感覚が手に収まっていく、そういう自分にだけわかる確かな喜びを拾い集めて行けば、長く楽しく学び続けられるのではないだろうか。

楽しんでいる人は強い。楽しんで身に付けた力は、思いもかけないところで障壁を突破するための道具になることがある。
(追われるようにでもやり続けて身につけた力も、もちろん役に立つ。)





※ヘッダーはドイツのケルン大聖堂。
昔からこの教会が好きで、ずっと夢見ていたらある日ここに行くことが出来た。大聖堂の尖塔の先まで階段をぐるぐる回って登って来た。石造りの美しい巨大ゴシック建築に直接触れることが出来て嬉しかった。こういう体験も、学ぶ動機付けになっている気がする。

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