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そういうものです

「そういうものです」と信頼している人に教えて貰えることは有難い。その人が本当に信頼に足る人であり、そのアドバイスが正しい場合は。

チェロを弾くとき、たくさんのルールを知り、微妙な感覚を身につける必要がある。右腕に力は入れない、脱力、腕の重みで弾くとか。そう言われても力抜いたら弾けないなと初めは思う。重音の時、左指を一気に押さえるとか信じられなかった。先に押さえた左指をそのままで次の指を押さえるとかも。でも「そういうものですから」と涼しい顔で言われて、ともかく次のレッスンまでそこだけに集中して出来るようにしていく。そうすると、時間が経つと、いつの間にかそれが自然に出来るようになって行く。不思議だ。
「そういうものです」という一言を信じて、いつか自分も涼しい顔で同じことが出来るはずだと思いながら練習する。そして、それはその通りに実現する。
ギターのコードの押さえ方もそう。こんな形で一気に押さえられるか!?と思うのだけど、こうやって練習するんだよ~と見せてもらって、また次のレッスンまでにそこだけ集中してやって行くと、いつの間にか出来るようになっている。頭で整理して、ゆっくり繰り返し練習して、あとは曲の中で自由にすぐに使えるようにする。身につけた基礎は、その後もずーっと磨かれ続けることになる。

良い基礎を早い時期に身につけておけば、後に障害が出てきても上手く乗り越えることが出来る。技術そのものもそうだけれど、新しい技術をどのように分析し、理解し、習得するかというプロセスを学ぶからなんだろうな。

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身につけた方が良い技術というのはたくさんある。勉強方法とか、コミュニケーションの取り方とか、金銭の知識とか、コネクションの作り方とか、一度身につけておけば死ぬまで役立つものというのがあるなぁ。

でも、自分で身に付けてなくても、なんとなく周りにいる人に助けて貰って上手くいくこともある。

自分のスキルを広く深くしていくのも楽しい。

スキルフルな仲間と過ごすのも楽しい。

うーん、スキルとかそんなの関係なく、優しくて楽しい仲間と笑って過ごすのも楽しい。

…最初に書こうと思っていたことからズレてきた。

初めは「そういうものです」(ごちゃごちゃ言わずに、黙って練習してご覧なさい)と言って道を示してくれる先輩や先生がいることは素晴らしいと言いたかった。

でも、努力してもなかなか上手く行かないこともある。そういう時は上手くできている仲間に助けて貰うのも悪くないということが言いたくなった。

楽器を他人に代わりに弾いてもらうということは出来ないけれど、人生においては、出来ないことを代わりにひとにやって貰うのは悪くない。というか、それはすごくいいことだと思う。助けて貰うこと。そして助けてあげること。

ひとりで出来ないなら、助けてもらえばいい。わりと出来ないことがあっても人生はなんとかなる。
自分ひとりで出来ることが多いに越したことはないけれども、出来ないからこそ生まれる縁もある。そんな縁に助けられて、生きることが出来ている。


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