見出し画像

完璧主義に疲れてしまった私のための作戦

いつからこんなに完璧主義を極めていただろう。
幼い頃からずっとかな。
こういうのにはきっと遺伝も影響するから、あまり自分を責めすぎないでいたい。
というのも、これまでの人生、自分が完璧主義であることによって痛い目を見ることが、幾度となくあった。
私と同じように苦労している人が、きっと他にもいると思う。


良く言えば“ストイック”だけれど

学生の頃、周りによく「ストイックだね」と言われていた。
当時は完全に褒め言葉と受け取っていた。
でも私のそれは、自分に厳しすぎてしまうということで(もちろん良く働いたこともあると思うけど)、少々度が過ぎているように思う。
振り返ってみれば、学生の頃だって社会人になってからだって、いつでも自分に厳しすぎることでたくさん困っていた。


学生の頃励んでいたのが吹奏楽。
コンクール前になると特に、完璧を求めすぎるあまり熱心に練習し過ぎてしまって、その疲労とプレッシャーから、スランプに陥り、舞台に上がる頃には音がほとんど出ない、そんなのを毎年やっていた。


そしてこれはあまり共感を得ない気がする話、小学校高学年頃からあった気がするもので、寝坊したり、家族と共に夕食を食べ始められなかったり(お風呂に入るタイミングとかで)すると、“悔しい”という思いが強く込み上げて泣きべそをかいていた。
振り返ればそれも、自分に厳しすぎてしまって、“◯時に起きる”とか“夕飯の時間に遅れない”といった自分が立てた目標を守れない、完璧じゃない自分を強く嫌ってしまっていたのだと思う。


先延ばすのは大の得意

今でも忘れもしない、中学生になって初めての定期テスト。
テスト勉強以前に、テスト当日までの提出物が前日夜になっても終わらず、目に涙を溜めながら問題集の空欄を必死に埋めた記憶がある。

私に過度の先延ばし癖があることを知った瞬間だ。

その先延ばし癖は短大を卒業するまでの8年間、改善されるどころか、“ぎりぎりでも間に合っちゃった”経験を繰り返したことでさらに勢いを増してしまったように思う。
そうして社会人になってからも、自分の先延ばし癖に苦しみ続けた(今もさほど良くなっていない)。
あの時の膨大な宿題、課題たちは社会人になって滞りなく仕事をこなす為にあったんだ〜〜と、心の中で何度叫んだことか。

なぜ先延ばしの話をここでしたかというと、「先延ばし癖 原因」とかで検索すると出てくるように(悩みすぎて今までに何度も検索している。)、先延ばしに大きく影響するのが“完璧主義であること”だからだ。
やるなら完璧にやりたいという思いが強すぎて、取り掛かるのにハードルが上がってしまい、結局手をつけるのが億劫になってしまうのだ。困ったなあ。


私による、私のための作戦

やるなら100やる。やらないなら全くやらない。
そんな風に完璧主義をやってきた私は、完璧主義な自分を生きるのに完全に疲れきってしまった。
でも最近、半無意識的にある作戦を決行している自分に気付いた。
それは、「60%コース」を作ること。

0%か100%しかできない私は、とにかく54%とか62%とかをするのが苦手だ。
中途半端ができない。
でもいつも完璧じゃあ心も体もすぐに疲れてしまう。
だから、「60%コース」というのを自分で作って、そのコースを“完璧”にこなす、そんな作戦。
まだまだ実験中なので、試せた場面が少ないが、例えば。

私はお風呂に入ることがとても嫌いで、その理由の中で大きいのが“お風呂から上がった後やることが多すぎるから”だ。

体を拭く。パジャマを着る。髪の毛を拭く。化粧水をつける(3回)。美容液をつける。乳液をつける。保湿クリームをつける。ヘアクリームをつける。髪の毛を乾かす。ボディクリームを塗る。

これを全部やろうとするから、毎日億劫で億劫で仕方ない。
あくまで全部やるのが私の中で理想だけれど、疲れている日、いつもに増してお風呂に入るのが億劫な日、ご機嫌が良くない日、そんな日は「60%コース」をやるようにしてみている。

「60%コース」では、化粧水は1回〜2回しかつけない。美容液はつけない。保湿クリームはつけないか、少量を雑に伸ばす。ヘアクリームもつけない。ボディクリームもつけない。

これも立派に“中途半端”なのに、なぜか「今日はだるいから60%で!」と決めた日には、中途半端も中途半端に感じず、ストレスが少ない。


完璧主義をやめるのはきっと難しい自分の為に、もう少し色んな作戦を立てて、生きやすくなったらな、と思う。
ここに載せた作戦は、生きづらい私の為の作戦のうち、ほんのほんの一部。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?