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岩国城へ

山口県岩国市にある岩国城へ。

岩国城は、麓に美しい錦帯橋を携える城山の東側の山上にある。
錦川は城山を縁取るように静かに流れていて、川面には空と城山と、色づき始めた木々が写りこんでいた。
橋の架かる錦川沿いに歩き、錦帯橋と岩国城を眺めながら、お城に向かおう。

錦川に映る岩国の町

錦帯橋は、5連のアーチからなる木造橋、
木造部分の幾何学構造の精巧さとともに、白茶色い石積みの橋柱も美しい。石と木造の組合せのせいか、近代的にも見える。
橋は山側、町側のどちらからでも渡ることができる。遠目には、山なりに膨らむ橋の上は、どうなっているのか、頂点の部分まで登るまで降りる時、滑らないのか、わくわくドキドキしながら、町側から最初のふくらみを登り、3代目の美しい橋を渡ってみる。

錦帯橋、五つの山なりと石柱


岩国城へは、麓から山頂へのロープウェイで。
山頂駅から10分ほど登って行くと、岩国城に着ける。駅からの道は二股にわかれていて、山側の緩やかな舗装路、川側の登山道、私たちは迷わず登りは舗装路(城山園道)を行く。体力見合でなだらかな方を選んだけど、こちらで正解👍
天守台手前に、大釣井(大井戸)が見られる。
この井戸は築城時よりあり、武器弾薬等の収納庫や脱出口の役割も担っていたとも。
のぞいてみたいが、井戸とか洞穴とかが苦手、遠巻きに眺めるまでにしておく。

こっちの道で良かった訳はもう一つ、
天守台のすぐ横を階段で上がっていくことができるのだ。石垣は、山道にそびえ立つので、石積み部分はより高く感じる。下から眺める石垣はすごい。当時の石積みの技術のまま、修復されたものだそう。

天守は江戸時代に取り壊され、今の天守は復元されたもの。元の位置より少し東側に置かれている、お城から眼下の景色がよくみえるように、またお城自体が麓からよく見えるように。

天守台跡

岩国城は、初代岩国藩主吉川広家が慶長13(1608)年に作られた。けれど完和元年(1615)、江戸幕府の出した一国一城令により取り壊しとなった。
たったの7年だった。
結果的には取り壊しだったのだけど、吉川広家は周防国には岩国しか城がなく、取り壊しの必要はないと主張。吉川家が仕えていた毛利が萩に萩城を残すことや、関ヶ原以降の心理的不和が考慮されて、やはり取り壊しに。
でも、吉川広家は対外的に破壊しなければならない最低限の範囲に留め、山上の城郭は失われたものの、石垣は明治時代まで残された部分も多くあったそう。

天守4階からの景色は、錦帯橋、錦川、岩国の街並みが一望でき、広々と視界が広がる。
高い建物がないせいか、奥行きのある光の広がりが眩しい、瀬戸内の海も見える。

天守からの岩国の町、奥には宮島も見える
帰りもロープウェイで。山頂と麓の間は約3分
初代領主吉川広家の像は、麓の吉香公園に


帰りも錦帯橋を渡った
錦川では長い竿を振って釣りをする人々がいた、11月は子持ち鮎が釣れる時期だそう、
少しの間眺めていたら皆さんじゃんじゃん釣れていた。
なお、錦帯橋の入橋は、有料。
橋とロープウェイと岩国城のセットチケットがお得。


岩国では、岩国国際観光ホテルに泊まり、お城へは朝食後8時過ぎにホテルを出て徒歩で向かった。
錦帯橋が部屋やレストランから望める好立地。温泉からもお城が見えて、とても良い。

お天気に恵まれ、お城や橋、川が美しい姿を見せてくれた。領地とお城を大切にしていたお殿様の気持ちが感じられた岩国の町、空が広いすてきなところだった。

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