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自分と他人の真実

ワクチンの話。

ワクチン、終わった?うん、2回ね。そう、副作用どうなの?別になんともね。まあ、年取ってるってことかな。いやあ、うちの母なんかは熱出ちゃってね…

そんな会話がよく展開される。一方で、ときどき

え、あー、ワクチンしちゃったんだねー。

というなんか微妙な、こう、責められるわけではない…何か、嘆かれるというか、残念がられるような、憐れまれるような表情に出会うことがある。ワクチン否定派にすれば、何年後かに有害な反応がある(と思われる)ようなものを体内に摂取してしまうなんてなんと危険なことをしたのか、でももう遅いよね、なんと愚かな、かわいそうに…というところなんだろうか。


そういう否定派はマスク拒否派でもあることが多い。ワクチンはしない、マスクもしないということで、会社を辞めさせられたり、電車の中で叱りつけられたり、という辛い目に遭うことも少なくないらしい。


さて、どちらが正しいやら?

旦那と息子はコロナに罹患したものの、回復後にワクチン接種を受けた。私は、持病の薬とウイルスの相性がよくないとかで、「一旦かかったんだから上書きする必要なはい」と主治医にワクチンを止められている。ワクチンは未知数なので若い世代はうけるなと書く医者も、一刻も早く全員がワクチンをと叫ぶ医者もいる。

今、私たちは、「どうしたらいいのかだれもわからない!」という現実に生きている。「これが真実、これこそが幸せ」と一択の理想を押し付けられていないのは、ある意味では幸せなことかもしれない。不安だし、揺れ動く。けれどももはや、「自分の真実を自分で見つけて自分で選ぶ」時代がやってきてしまったらしい。

良くも悪くも自分で選んだことが真実だ。
そう思うしかないよね。

いや、正しいか間違っているか必ずどちらかだろう。そう考える人もいる。だけど、今ここで起きていることって実際には今ここに生きている人間には何が正しいかなんてわからないんだ。真実って人によって変わるものだ、と思う私もいる。

基本的なところで対立してしまうから、話にならない。

なので、わからないなりに、少し賢くなろうとしている。何を選んでもいい。どうしてもいい。ただ、お互いのチョイスを認めよう。そういう社会になりつつあるのだ。

マスクをしない人を責めないで、嫌なら車両を変えたらいい。いわれるままにワクチンを打った人を軽蔑しないでほしい。

ああ、この人とは意見が違う、事情が違う、ということをわかって、そうなんだな、と思う。ただそのまま置いておく。それでいいんじゃないかなと思っている。



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