Ne me quitte pas ~ジャパンオープン2018~

本日のnoteは2018年10月18日にはてなブログに掲載した記事の抜粋です。再掲にあたり、記事の一部を抜粋しておりますが、加筆修正は行っておりません。
今年の夏に起きた事件については、スケートファン以外にもご存じの方が多いのではないかと思います。やるせない想いが伝わるたくさんの追悼の中で、もっとも私の心を打ったのが、この演技でした。私の大好きなスケーターのことを書いています。読んでいただければ嬉しいです。
元の記事はこちら→「ジャパンオープン2018雑感②

-------------------------------------------------------------------------------------

★ステファン・ランビエール
2009年のジャパンオープン。私は現役に復帰した彼を見たくて行く計画を立てていた。しかし、どうしても休みが取れない状況になってしまい、泣く泣く諦めたのである。ステファンのジャパンオープンへの出場はそれ以来のことだ。なので、今回こそはリベンジだ、と息巻いていたのですが…。今回も敗北でした(泣)。せっつねえ(血涙)。

さて、ステファンの今回のプログラムである。織田君のキスクラにしれっと登場した時には既に着替えていたので何を滑るかはわかっていた。
Ne me quitte pas。
ステファンが、最後の現役シーズンに滑っていたエキシビションプログラムである。

実況によると、ステファンは自身が最初に振付を手掛けたスケーターであるデニス・テンの死をまだ受け入れられていないのだという。だから、ここでこのプログラムを滑ることで受け入れたいと。涙を浮かべながら、そう語っていたと…。
ステファンの演技に集中したかったので、実況の声は不要だと感じていたが、この話は語られるべくして語られる内容だったと思った。その話をしたあとは、最後まで解説は入らなかった。最低限伝えるべきことだけ伝えた、素晴らしい実況だったと思う。

ステファンはいつも必ず一定以上のレベルの演技を披露していて、お金を払ってでも見るべきスケーターの筆頭だと太鼓判を押したいほどだけれど、それでも気合いが入っている時とそこまででもない時の演技の差がわりとはっきりわかるスケーターだとも思う。それだけ彼の演技は彼の思考や感情がスケート靴に乗っていて、そういった内面にあるものを肉体の表現の形で芸術に昇華できるスケーターなのだと言えよう。
そういった観点から見たこのジャパンオープンの演技は、ステファンの演技の中でも指折りの、彼の感情が伝わってくる内容だったのではないか。たぶん会場で見ていたら、私はこのあと誰が何を滑ったとしても一切記憶に残らなかっただろう。

ステファンがデニスのことを直接語る様子は現時点では目にしていない。文字の形で彼の言葉は見たけれど、インタビューのような形では目にしていない。だから、ステファンが彼の死をどのように受け止めていたのかは実際のところわからない。ずっと気になっていた。
どれだけショックだっただろうか。これまでに伝え聞いていた彼の話からすれば、耐え難い痛みだったのではないだろうか。だが、今の彼には生徒があり、振付の仕事があり、世界中からショーの出演依頼がある。泣いている暇もなかったはずだ。
ステファンの振付師としてのキャリアのスタート地点にいたテン君。ステファンにとっては特に大切な思い出のあった相手だったのではないかと推察される。その彼を突然永遠に失い、やり場のない戸惑いと憤りと、彼自身の想い出とテン君へのもう届かない愛情とが、震えながらリンクに谺しているように思えた。それは彼の涙だった。大粒の、尽きることのない、何故?という嘆きに満ちた。

Ne me quitte pas。
日本語では『行かないで』とも訳される。
どんなに天に嘆いても、行かないでとすがっても、本当にテン君はもういないのだ。

私はこのプログラムが大好きだった。ジャック・ブレルのCDも買った。何度も、何度も見たので、今も振付を何となく覚えている。哲学性すら感じるプログラムで、嘆きの感情が滲み出てくるようなスピンが特に印象深かった。スピンでここまで物語を表現できるのかと感心したのである。あと一歩のところで表彰台に乗ることが叶わなかったバンクーバーオリンピックでのエキシビションは、彼の失意が伝わってくるようで、皮肉な結果ではあるけれど絶品の演技だった。
もう一度このプログラムを見ることができたら。自分のこの目で見ることができたら…。そうずっと願い続けていた。その願いがまたしても叶わなかった切なさと、こんな形で再びこのプログラムが演じられることとなった切なさとで、涙でできた深い海の中にゆっくりと沈んでいくような、やるせない想いにとらわれながら私は画面を見つめた。

もう書くまでもなくステファンは踊りが上手く、無心で音に乗っているようなプログラムも絶品である。だが個人的にステファンの真骨頂は非常に感傷的なプログラムにあると思っている。ステファンはとても「変わった」人で、その発言や行動には何度も何度も驚かされてきた。ちょっと常識では括れない。しかしその彼の内面に眠っているのであろうセンチメンタルさが前面に出てくる時、それこそが私のいちばん好きな彼の滑りなのである。この純な、切ない歌に自分の人生を重ねる時のような感傷が、フィギュアスケートという形で表現できるスケーターを私はステファン以外に知らない。
求めても届かない何かを探し求めるように、その指先は氷に差し出される。その度に私は、私の中にある「私のいちばん大切な感性」が揺さぶられるような気がしていた。その私のいちばん好きなステファンが、また目の前に現れるとは。けれど、それはあの理不尽な事件が起こらなければ現れることもなかったのかもしれないと思うと、ただ涙にくれることもできなかった。剥き出しの心に、ステファンの滑りを突き刺していくことしかできなかった。

そしてもうひとつ。前述したように、このプログラムはステファンが最後の現役シーズンに滑っていたエキシビションプログラムである。ステファンが現役として最後に出場した競技はバンクーバーオリンピック。そのエキシビションで滑ったのもこのプログラムだった。彼が後ろ髪を引かれながらも引退を決めていたことを伺わせる選曲だった。
『行かないで』。
そのプログラムが、今まさにプロスケーターとしての人生を終えようとする町田樹の直前に演じられるとは。運命的なものを感じずにはいられない。ステファンはおそらく町田君の決断を肯定しているだろうし、辞めて欲しくないとどこかで思っていたとしても引き留めはしないだろう。それでもなお、何故この日にこのプログラムでなければならなかったのかを考えると、そこに私は神の意思を感じずにはいられないのである。

ステファンにとって振付師としてのキャリアの最初期にいた二人が、今年氷上を去った。一人は理不尽な暴力で、永遠に。そしてもう一人は、自らの意思で新しい世界へ。今も氷の上に立ち、万雷の拍手を浴び続ける彼を一人残して。ステファンにとっては長い人生の一瞬に過ぎないこの10月6日は、彼にしか感じられないであろう特別な別れが交錯する一日でもあったのではないか。テン君が、町田君が、スイスで楽しそうに写真に収まっていたあの遠い日々。永遠などどこにもないのかもしれない。あるとすればそれは、リンクの中に美しい記憶として我々がとどめていくだけのものなのだ。
だが町田君が去るのは氷上だけだ。彼の肉体も魂もこの世にちゃんと在る。違った形でまたステファンと運命を交錯させることもあるだろう。時は流れ続け、決して止まることはない。ステファンの演技のような寂寥感も、温かな未来の光の中に、新しい命の若々しい鼓動に、いつかは包まれて消えていく。その流れに身を任せながらも、本当に愛した演技は、滑りは、笑顔は、映像として、記憶として、我々ファンが覚えていればいい。誰かが覚えている限り、それは永遠なのだから。

-------------------------------------------------------------------------------------

はてなブログにてフィギュアスケートについて熱く語っています。ただの趣味でやってますが毎日更新しています。時々、本日のようにはてなから記事をピックアップして、単独の読み物として読んでいただけるよう修正した上でnoteに掲載する予定です。はてなブログにもお気軽にご訪問ください。
はてなブログはこちら→「うさぎパイナップル

気に入っていただけたなら、それだけで嬉しいです!