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魔女見習いをさがした

noteを始めたのは、脳出血という大きな病気に罹患して混乱していた気持ちを整理したかったのと、書き終えた先に何が待っているのか見てみたかったから。

書き終えた先に何が待っていたか、それは日常だった。そして、まだ見ぬ未来。
つまり、特に何かが待ち受けていたわけではなかった。
そうなると、もう少し落胆するかと想像していたが、そうでもなかった。むしろ、それもそうだなあと納得した。症状が軽かったので、慌ただしく日常に戻ることができてしまったからだ。
この、私のnoteが私の中で何かしらの形で活躍するのは、きっともっと、ずっと先になってからなんだろうなと思う。なんといっても私が「まだまとめたくない」と感じている。

というわけで、ここは日常に戻って思うこと、考えたこと、感じたことを気ままに書いていく場所にしようと思う。


早速、本題に入りたい。(全然「早速」じゃない前置きになってしまった)

先日、友だちと映画『魔女見習いをさがして』を鑑賞した。あ、まだわかりませんがネタバレするかもしれません。

映画を観たのは久しぶりだった。
迷っていたら友だちが声をかけてくれた。今思うと、これも魔法だったのではないか。

私は子どもの頃、「セーラームーンになりたい」と七夕の短冊に書いたことがある。
大人になった、と言うには少し自信を持てないが、年齢を重ねた今でもそう思うことは度々ある。
ひとつ自分でも不思議なのはいわゆる「推しメン」がセーラーマーキュリーだったこと。マーキュリーが好きなのに、頭に浮かぶのも、なりたいのもなぜかセーラームーンだった。
まあでも、これは深めようとしても深まらない謎だと思うので、「不思議だなあ」というところに留めておく。

おジャ魔女どれみは、妹と一緒に見ていた。
はづきちゃんが好きだった。頭脳で戦う賢いキャラクター、陰ながら主人公を支える、そんなパーソナリティに惹かれがちなのか、マーキュリー的ポジションだ。
しかし、ももちゃんが登場してからは、帰国子女で、ほんわかしているのに芯がある、それまでの生活でもアニメでも出会ったことのなかったタイプに魅力を感じるようになった。
これがきっと、「憧れ」ってことなのかな。

『魔女見習いをさがして』自体は、おジャ魔女ファンの "女の子" たちのお話だった。
子ども時代も現在もおジャ魔女に支えられている姿を見ていると、そういう人たちは少なくないのだろうと思えてきた。フィクションであり、ノンフィクションであると感じるぐらい彼女たちは身近だった。
そして、私も相変わらずセーラー戦士やおジャ魔女に支えられているのだと改めて気づく機会となった。

物語によると、私も魔法使いらしい。
そしてこのnoteの冒頭(中腹かな?)で登場した友達もまた、魔法使いなのだ。
でも実は私はそんなこととっくの昔から知っていた。その友達は出会ったときからずっと居心地がよくて、不思議と気が合って、でも違うところもたくさんあって。違うところはたくさんあるけれど、多分、お互いに認め合っていて。
どんなくだらないこともつまらないことも、彼女の手にかかればいつの間にか「超おもしろい」に変身している。
どんなにつらいことがあっても悩んでも、「まー、もうちょっと頑張ってみるか!」に変わったり、時には「このまま気の済むまでくよくよするか」と前向きにくよくよできたり、気づいたら2人でメソメソ泣きながら、なのに笑いながら励まし合っているなんてこともあったっけ。あの魔法使いさんは、不思議な不思議な魔法をたーくさんかけてくれるのだ。

私は自他ともに認める頑張り屋さんなので(?)、気づくと膨大な量の何かを抱えていることがあるのだが、彼女に会った後にはその抱えている何かはいつの間にかちょっと軽くなっている。
なんでふわっと軽くなるのかわからないけれど、それで「ああ、あれこれ考えてたけど、なんか、私って私でいいんだな」と落ち着かせてくれる。



私は人間の勉強をしています。
まだかなりぺーぺーなので、語れることは何もありません。

だけど、『魔女見習いをさがして』を見てみたら、なるほど、心が元気な人には自分の中に魔法使いという名のカウンセラーがいたり、身近な人が魔法使いだったり、はたまた自分自身が魔法使いだったり、それでなんとか「自分」というものを保てているのだろうなと感じた。

それで、心が元気じゃない人は、魔法使いさんも弱っていたり、魔法使いさんが迷子になっていたりするのかな。もしかしたら魔法使いさんの存在に気づいていないのかもしれない。だから代わりに「魔法使い」として寄り添ってくれる人が必要なのかなと思った。

いつかこの、「魔法使い仮説」を検証してみたいと思った。できるかどうかは別として、やってみたら結構面白そうだと思った。既にあるかもしれないけど(まだそれを調べてすらいない)。
きっと教授は「またそんな、相変わらず飛躍するねえ」と言うか、「いやいいけどさ、いいけどね?」と言って頭を抱えるか、「先に!他に!やることあるでしょ!」とお尻を叩くか、どれかだと思う。でも絶対否定しない。

私にはわかる。魔法使いだから。


というわけで、あれから「私も魔法使い、、!」と思っているので、しょうもないようなことでも自画自賛することが増えた。
都合の良いときには「魔法使いにも休息は必要なんです」とゴロゴロすることもある。
良いのか悪いのか、私は魔法使いでいることを肯定されたと思い込んでいるので、ちょっと世界がキラキラに見えることが多くなった。
そうじゃないときももちろんあるけれど。

でもどれみちゃんたちはいつもこの凸凹な世界で、何ができるか、考え、戦って、「ハッピーラッキーみんなにとーどけっ♫」を体現していた。
だから私もそう。
自分には何ができるか、今みんなに何が必要か、そしてそれを張り切って考えるんじゃなくて(必要があれば戦うけれど)、程よい力加減で、自然にできるような人でありたい。
どれみちゃん達みたいに強くないから、できることなんてほんの少しだけど、私はこれまで通り、私と関わる人がニコニコでいられるといいなっていう想いを貫くんだ。それでいいんだと再確認できてよかった。


観る人によって、感じることはきっと全然違うんだろうなと思う。
私と、私の友達が涙した場面は違っていたし、感想もきっと別の角度から出てくると思う。
それがまた面白いなあと思う。人間だなあと思う。
また会ったら話してみよう。




ちょっとなんか全然まとまりないし恥ずかしいけど、せっかくここまで頑張って書いたから公開しちゃおう。
こういうぐだぐだした思考の自分もまた、私らしくていいか、ということに今日のところはしておこう。笑














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