とある試験に落ちた話

今年、試験を2つ受けた。

1つは合格、もう1つは不合格。

不合格になったことを伝えたときの周りの反応がそれぞれで、どれも愛おしい。


「あなたほど頑張った人が落ちるなんて、難しいんだね」
と、私の頑張りを労いつつ、テストの難しさを慮ってくれる人。

「そんな、、信じられない」
と、絶句してくれる人。

「運が悪かったよ」「神様はイジワルだね」
と、運命を嘆いてくれる人。

「あの試験は難しいよね」「問題に癖があるから」「何を求められてるかわからないよね」
と、試験の問題に原因を向けてくれる人。

「悔しいね」「残念だね」
と、私の気持ちに寄り添ってくれる人。

「また勉強の日々か!」
と、笑い飛ばしてくれる人。

励まし方も人それぞれで。

「もう今から勉強すれば絶対次は受かるよ!」
と、早速試験の応援をしてくれる人。

「しばらく休んで、また切り替えよう」
と、休憩を提案してくれる人。

「あの試験は勉強したって無駄」
と、ズバッと言われたときは笑った。
ちなみにその人は合格していて、「私は全然勉強せずに受かったから、勉強するしないじゃないよ」
それ、励ましてるのか?と思いつつ、そういう考え方もあるのかと思うと面白かった。

反応はそれぞれだけど、どれもしっくりきた。
私のことを思って言ってくれていると感じられるものも、率直に思ったことを言ってるなっていうものも。

私のことを思って考えて考えて発してくれた言葉がすんなり心に響くのは納得できるけれど、ただ本当に思いついたことを伝えられてるなっていう言葉も私に妙な説得力をもたらしたのはなぜだろう。
特に、「勉強したって無駄」は聞いた瞬間ものすごく衝撃的だったんだけどな。

私が素直なのかな?

いや、私は素直な方だと思うけどその答えはどうもしっくりこないな。笑

言いたい放題言われたことも私のためを思って発せられたと感じたのかな?

うーん、それもなんか違うような。

これまでの関係性、、?

それはまあ、今のところいちばん「そうかもしれない」と思える仮説だな。

彼女の性格、普段の口ぶりをなんとなくよくわかっている。彼女も私にはどれくらい気を遣わず接してよいかわかっている。
また、私の結果の伝え方や話し方から、彼女が私の「落ち込み度」を汲み取った可能性もある。
そういう関係性のなせる業なのかな。

彼女と出会ったのは2年前、日は浅いが、学校生活を通してたくさん話をした。
それでお互いを知っていったのかな。

多分、私が直接報告した人たちは、みんな私のことをよく知っている人たちだったので、それぞれの人たちとのそれぞれの形の関係性が築けていて、だからきっとそれぞれの反応に納得したし、どれも有り難いと受け止められたのかもしれない。

不合格はとってもとっても悔しい。
たくさん勉強したし、高い受験料も払ったし、試験の1週間前には仕事が立て込んでいて勉強との両立はすごく大変だった。
めちゃくちゃ惜しい点数だったので合格は本当に目の前だったはず。

だけど、今はまあまあ心穏やか。
みんなのおかげだなあと思う。
どの言葉も嬉しかったし、ありがとうって思えた。それだけで私の悔しさは、綺麗さっぱりとは言わないまでも、ある程度、いや、かなり浄化された感覚がある。
あと、こうしてみんなの反応が色とりどりだったので面白かった。

こう言うと負け惜しみっぽく聞こえるかもしれないし、綺麗事なのかもしれないけど、この不合格は私にとって意味があったように思う。
ちょっとした幸せを噛みしめる機会になったとさえ思う。

だけどまあ、やっぱり悔しいは悔しいし、応援団のためにも、来年度は合格したい。
この不合格を本物の笑い話にしたい。

もうしばらく休憩して(まだ休憩するのか)、またがんばろ!

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