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無意識下の統計としての「占い」に関する考察

ここのところ、タロット占いにハマっている。
10人ほど占ったが割と当たる、らしい。
まあそうだろうな、と思う。

何故って私には昔から妙な予知能力があるのだ。

うわこいつスピかよ、って引き返そうとした人、待って待って。
こちとら科学を書くことを生業としているサイエンスライターです。
科学的に証明できない「予知」なんざ、私が誰より信じていない。

私の「予知」には多分、タネも仕掛けもあるのだ。

私は私の「予知」を無意識下の統計であると考えている。

私には相手の(あるいは自分の)言動、声質など細かい細かいデータが
無意識に集積されていて、それを無意識のうちに脳が統計的に分析して
その結果だけが伝わってくるというのがタネだ。

無意識無意識言い過ぎて大変に嘘くさいがある程度根拠がある。
ざっくり書くと以下の3つだ。
①悪いことしか予知できない。
②関係性が深くないと予知できない
③付き合いが長いと予知の精度が上がる

1つずつ考察していく。

①悪いことしか予知できない

私の「予知」は悪いことにしかはたらかない。
例えばペットのウサギが死んだとき、私は午前中に「なんとなくそんな気がした」のだった。
ウサギはいつも通りだった。ごはんも食べていたし糞もしていた。
手を差し出すと額を寄せてくる、それもいつも通りだった。
でも嫌な予感がした。いつもより少し長く、丹念に撫でた。
「最後かもしれない」
明確にその言葉が浮かんだ。
その夜ウサギは眠るように亡くなったのだった。

死ぬ瞬間は気づけなかった。あくまで予感だけ。

そのほかにもこういうことはいっぱいある。
受験に落ちたときとか、親が別居したときとか
事故を起こしたときとかお腹の息子に先天性異常が見つかったときとか
全部悪いことが起こる前に「むしのしらせ」が訪れる。

私が本当に「予知」できるとしたら、「悪いこと」を防げるはずだし、
「良いこと」も予知できるはずだ。
でも私は悪いことが訪れる「気がする」だけで、その瞬間がいつかもわからないし、どうすることもできない。
ただ「心構え」ができるだけ。

おそらく私の脳はわが身に訪れる「悪いこと」を何かしらの方法で事前に
感知して知らせ、そこから得るストレスを緩和しようとしているのはないだろうか。
ストレスから逃れようとするのは体として自然の流れだ。
そのために能力が研ぎ澄まされていくのはまああるかなという気がする。

②関係性が深くないと予知できない

私は私以外のことも「予知」できることがある。
子どもの病気なんかがそうだ。
いつも通り元気なのに何か嫌な予感がしたら、大抵夜に体調を崩す。
あと親しい人に「何か良くないことが起こりそう」と思ったら結構当たる。
先日は夫に対してそう思ったら自転車の鍵をなくして帰ってきた。

一方で、大好きなミュージシャンの死なんかは全然予知できなかった。
全然予想もできなくてショックを受けたことが2回ある。
芸能人もあるし、作家もある。
私の予知は私自身の感情の大きさでどうこうなるわけじゃないものだ。
直接の関わりがないと「予知」できない。

関わりといっても血縁とは違う。
数えるほどしか会ったことがない父方の祖父が亡くなったときなんかは
その前からさんざんそろそろと聞かされていたのに
全然予知できていなかった。

私の「予知」は関係性が深くないとできない。
関係性の深い者に「会った」ときのみはたらく。
ただこれはテキストだけでやり取りした人でも結構あるので
「会う」は厳密に面と向かって「会う」とは限らない。
つまり相手の「普段」を知っていて、今の観察によって異常を察知しているからこそ初めて「予知」が成り立つのだと考えられる。

③付き合いが長いと予知の精度が上がる

これは子どもがわかりやすい。
例えば先日子どもが夜に咳き込んで目覚めたことがあった。
うちの子は喘息持ちなので、あんまり珍しくはないことだ。
でもそのときは「なんか嫌な予感がして」子ども部屋を開けた。
娘が起きていてこちらを向いた。
「吐きそう?」
と自分でも思わぬ言葉が出た。だって咳で目覚めているわけである。
「ううん。こんこんでただけ」
「そっか、まあお守りだから、これ持っときなよ」
と、ビニール袋を渡した途端、娘は盛大に戻した。
渡しといてなんだが、私自身びっくりした。
それくらい全く前兆がない嘔吐だった。

多分私には相当たくさんの子どもの体調不良に関するデータが格納されていて、私自身は意識していないが脳はそれをフル活用して危険を回避しようとしているのだ。

ただ昔はこんなことはなかった。
布団に吐かれていたのを朝気づいたこともある。
私の子どもや猫に関する予知能力は、めきめきと成長している。
単純にデータが増えていっているからだろうと思う。

ここまで読んで、なんだ予知なんて大袈裟なと思うかもしれない。
確かにそう。でも多分そんなものだ。
ただ私がもし人より違うところがあるとしたら
観察から人より多く情報を得られるところじゃないかと思う。

昔、ミジンコの観察をしていたときにこんなことを言われたことがある。
「教科書を見て書いたでしょう。この倍率ではここまで見えるわけがない。」
びっくりした。私は見えたままに書いただけだったからだ。
どうも私の目は人より見えすぎてしまうらしい。

あとよく友達の好きな人を当てていた。
「何でわかっちゃうの?心読まれてるみたい!」
あなたの言葉を、声色を、態度を聞いていればそうとしか分析できないことばかりだった。

ただこれらは私も認識している能力だ。
私が「予知」を感じる以上、私の脳は多分ホントはもっとたくさんの情報を得ている。そしてその膨大なデータを統計処理している。

宿主の体をなるべく守るために、無意識でだ。

もしかしたら「むしのしらせ」なんて言葉があるのだから
大なり小なりみんなこういうことがあるのかもしれない。
私は少し情報の精度がいいだけなのかもしれない。
そう考えると「巫女」や「占い師」と呼ばれる人は
私みたいなことを「無意識」じゃなくできる人なのかなぁ。
そこまで来たら確かに「超能力」で、スピリチュアルな気もしてきた。

あともう1つ大事なのは多分
この「予知」をどれくらい信じられるかということだ。
私はあんまり信じられない。だからあんまり生かせていない。
私が私自身をタロット占えないのも、多分このせいだ。

もし100%信じられたなら、立派な占い師になれるのかもしれない。

なりたいわけじゃないのが、難しいところだけれど。





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