見出し画像

1:おたく人生黎明期・第一次ジャニオタ期(幼稚園〜小学校低学年)

私のおたく人生の始まり、それは光GENJIからだった。

と、それっぽく言ってはみたけど
実際の所この時期の記憶は、幼稚園の送り迎えの車の中で(片道30分)
光GENJIのCDを聴きまくって発狂し、家に帰ってもVHS(懐かしい)をずっと見てたっていうそれくらい。
それでもなんとなく記憶として残ってるのは、VHSで見てた映像。
コンサートのVHSで、ステージ上でキラキラ輝いてるアイドルたちの姿に夢中になってたこと。
そして、下半分だけ切り取られた8cmのCD。(パラダイス銀河)

小学生に上がってからもジャニーズ好きは相変わらずで事務所の中でちょくちょく好きなグループは変化していった。

まずはSMAPで(私はキムタク、姉は森くんが好きだった)
その後V6(健くん)(姉はグレたのでオタクじゃなくなった)、
それからKinki(剛くん)、ジュニア、そして嵐。
(見事にデビュー組網羅しててワロタ…)

でもこれらの間に実は別ジャンルが入っているので
第一次ジャニオタ期は、ジュニア(前半)まで。
(第二次ジャニオタ期はまたジュニアで復活するのでそちらがジュニア(後半))

そのころは小学生だったからブロマイド買ったり下敷き持ち歩いたり
(前はどこにでもあったよね?明らかに隠し撮りみたいな非公式グッズ。無法地帯。)
TVを見てキャーキャー騒いだりダンスを覚えたりしていた。懐かしすぎる。
小学校の頃は、母親が働きに出て(母子家庭だったので)姉はグレていたので
鍵っ子の私はいつも家に1人で
好きなだけテレビを見れたので相当なテレビっ子だった。
ちなみに1人の時間がその頃から大好きなので寂しいと思った記憶はまるでなくて
今でも1人の時間をめちゃくちゃ愛している。

そして記憶に残っているのは剛くんが金田一少年の事件簿のドラマやってた頃の事。
私のクラスでは金田一ごっこが流行ってた。

早いもん順の自己申告で誰役か決めるんだけど、やっぱり美雪役の奪い合い。
私は大抵出遅れて、死体役とかモブ役だった。

金田一ごっこは、
死体が倒れててそれを見つけた美雪の
悲鳴を聞いたはじめちゃんが颯爽と駆けつけるという
なんとも小学生らしい遊び。
適当なことをごちゃごちゃやって
「じっちゃんの名にかけて!」を言ってウオー!!ってなって終わる。
それだけ。
しょーーもないけど私のクラス(グループ?)ではめちゃくちゃ流行ってた。

そんな(?)Kinki時代の後にハマったのが、タッキー。
その時に放送されてたのが「木曜の怪談」で
翼くん派かタッキー派か川野くん(懐)派かで分かれてた。
私はタッキー派で、その時は完全に、タッキーに恋をしてた。
ランドセルの背中部分に油性マジックで「滝沢秀明我命」って書いて怒られたな…

その時の私は、将来は本当にタッキーと結婚すると信じて疑わなかった。

そんな愛重ガチ恋オタクな私(小学生)、
ある日タッキーに思いを馳せながらふと鏡を見たら
そこに写っていたのはパンパンに膨れた自分の顔。
自分が太っていたことに気づいてしまった私は、
そこからまさかの死に物狂いダイエット生活へと突入することになる。

ダイエットの内容は、3食はしっかりと食べて、間食を一切断つ。
(泣きながら大好きなチョコレートやアイスを我慢していた)
そして自転車で片道30分の親戚の家に行ってテニスをするという、めちゃくちゃしっかりしたダイエット。

はっきり覚えてないけど多分1年くらいで
(小学生卒業前にはもう痩せてたからそれくらいだと思う)
私は無事気合いのダイエットを成功させ、太らない体質へと変化して
それ以降の人生は痩せ型体型人生を送るようになった。
タッキーありがとう…
(ただし子供の頃にダイエットしたので将来骨粗相症になると大人になって言われた)

が、女心と秋の空とはよく言ったもので、
心が移ろいやすい乙女だった私の前に現れたのは
今でも活躍している某ミュージシャン。
そこで私はあっさりと第一次ジャニオタ期に終止符を打つことになり
そしていろんな初めてを経験することになっていった。

この辺は小学生なので、まだまだ気狂いエピソードはないかな。
まだまだちょっと内容は薄い。
次から少しずつ行動派になっていくはずなので、もう少しは面白くなっていくんじゃないかな。


この記事が参加している募集

沼落ちnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?