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20歳になった日

今日20歳になった。

こんなことを言うのは不謹慎だが、20歳まで生きてると思ってなかったので本当に驚きを隠せない。

中学時代、偏頭痛から始まった体の不調はどんどんエスカレートして1つ2つと見つかっていき、うつ病になった。ストレスで4、5日眠れなくなったり、1週間で5キロも痩せてたり心以外にも不調が出始めた。そこから少しずつ行けなくなった学校は部活も居場所がなくなり教室ではいじめられ不登校になった。

その時の口癖 「20歳までに死ぬ」

中3の頃本当に毎日5回以上は言っていた。言霊を信じてた。保健室の先生、担任、カウンセラー、病院の先生、不登校の友達、そして親にまで。親に泣き叫びながら殺してと言ったり何度も自分の命を断とうとした。修学旅行の前日本気でこの世とおさらばしようとした日。意識が朦朧として苦しくて途中でやめた。14歳の私に死ぬ勇気なんてなかった。

生きてる理由、中学時代の私なら「死ぬことができなかったから」っていうんだろうな。実際間違えではないし今だにそう思ってる自分もいる。でも今はちょっとだけ「生きてるからには幸せになってやる」ってそう思って生きてる。

中学生の私が今の私を見たら驚くんだろうな。毎日何かに追われる日々を当たり前に過ごすことができるようになってることに。でも将来何してるか想像するのが怖いのは今も昔と変わらない。まだ心は中学時代の闇を抱えたままだ。これからも中学時代に囚われながら生きていく。

私はうつを公言している。うつは別に恥ずかしいことじゃないから。その度に「うつにみえないね」って言われる。もう7年も一緒に生きてたらそれなりに仲良くなってるし人前でうつで迷惑をかけることは基本的にはない。みんなには"普通の人"に見えているのかもしれない。

毎日学校に行く、教室でじっと座って授業を聞く、初めましての人とコミニケーションをとる、友達とご飯を食べる、寄り道して帰る、店員さんに質問する、知らない人に話しかけられるのを無視する、バイト漬けの日々を送る、家に帰ってLINEを返す、夜にぐっすり眠る、自分の感情を言葉にする、そんな当たり前で普通とされることを私はできない。薬を毎日飲まないと生きていけない。常にどこかに不安を抱えて出来ないことを隠して生きている。苦手なことから逃げていると言われたらそれまでなのだが出来ないのだ。

"普通の人"は最新機種のピカピカで充電100%の最新機能が次から次へと更新できる人であって、私は中古ショップで売られている1番安いものだ。充電器は生産終了されてるし画質も容量も全然良くない。どれだけアップデートしても最新機種の初期状態にもなれない。

でもスマホには変わりないのと同じで人間に変わらないのだ。不良品かもしれないけど誰かにとっては思い出の大切な生活の一部だったのと同じように。だからうつは私の個性として大切にしたい。私という1人の人間が成長するために神様が与えてくれた人には負けない個性だから。

うつになって嫌なことの方が多かったし、何度も自分の人生を終わらせようとした。沢山の人に迷惑をかけてきた。中学生の頃は特にひどかった。今の私の性格があるのはうつになったとき沢山の人と話した果てしない時間だ。学校の先生、不登校同士の友達、そして何より私を大切に大事に育ててくれた親。私の周りには優しくて、優しすぎて、人間味あふれるそんな人しかいない。生きてきた環境が良い人しかいなくてよかった。今は毎日ちょっと幸せです。


20歳の目標は挑戦する。
自分の好きなことを見つけたい。
自分がやってみたい事を見つけたい。
もっといろんな感情になりたい。
いろんな感情を知りたい。
子供じみてるけど世間知らずだけどうつ病でも毎日ちょっとの幸せを噛み締めて生きていきたい。

これからも何かを考えながら自分のペースで平和に過ごします。

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