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ふるまい

美人もおばちゃんも、ふるまいである、と思っている。
容姿や年齢の問題ではない。ふるまいというのは、自分次第でどうにでも変えられるものなのだ。

美人のようにふるまえば、ワタシは美人になれるし、
おばちゃんのようにふるまわなければ、ワタシは決しておばちゃんではないのであーる!


そんなことを思って、美人のおねえさんでいようとしたある日、トイレの手洗い場で、子どもを2人連れた母親に遭遇した。上の子が3、4歳くらいの女の子、下の子は母親の抱っ紐の中にいる赤ちゃんだった。

上の子が自分で手を洗おうとするが、微妙に蛇口まで手が届かない。
「届かない…」女の子が母親にうったえる。
「ちょっと待っててね!」母親は下の子のケアで手が離せない。

そこですかさず、私は女の子に言った。

「おねえさんが、やろうか?」

そういって蛇口を開いた。

「あ、すみません」と母親。
自分より若いであろう母親の笑顔を目にした私は、そこでちょっとひるんでしまう。

「あ、おねいさんじゃなくておばちゃんだったか‥‥」

もう、これ、誰に向けた言葉よ。
せっかく、「おねいさん」でいこうとしたのに、ひるむんじゃないよ!私。と心の中で自分にツッコミをいれた。


その帰り道。
公園の前の道を歩いていたとき、じーっと壁を見ている少年がいた。
小学2、3年生くらいだろうか。大人びて綺麗な顔立ちをした少年だった。

美人なおねいさんとしてその少年の横を通り過ぎようとした私に、少年は言った。

「すみません!」

立ち止まった私に少年が言った。

「あれ、とってもらえますか?」

見ると小さなヤモリが壁をのぼっていくところだった。
すでにヤモリは、少年の身長では届かないところにいる。ノッポな私に声をかけた少年は、冷静な判断が出来るタイプの人間なのだろう。

瞬間、私は葛藤する。

この美しい少年を失望させないためには、どんなやせ我慢でもするべきなんじゃないか、と。

でも、ヤモリを素手でさわる勇気も出ない。

結局、私は少年を失望させる道を選んだ。
「ごめんね、おばちゃん、怖くてヤモリは触れないんだ」

「あーあ、残念」

その美しい少年は、ストレートにそう言った。

都合よく「おばちゃん」を発動しているのは、私の心なのではないだろうか。「綺麗なおねいさんがとってあげるね」となぜ言えなかったのだろうか。

いや、言えんな。


家に帰って、少年を失望させてしまったことを夫に話す。いつもは、私にツッコミもダメ出しもしない夫がこう言った。

「うさみみ、そこは気張ってイイトコ見せる場面だったんじゃないのかな」

とほほ。
ふるまい。まだまだ修行が必要かな。心を鍛えるのが先かもしれないね。


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