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初めての「友達ではない」ファンの話。

ときは、私が高校3年生だった9月の文化祭。私は文化祭の実行委員をしていた。とはいえ私の役割はパンフレットを作る広報。
夏休み前こそ、あっちこっちの担当を回っては、パンフレットを作るための情報を出せとお尻を叩きまくり、忙しかったけれど、入稿さえしてしまえばあとは暇。

クラスの出し物は多少のポスターや看板は描いていたものの、3年間実行委員をやっていて打ち合わせとかに参加できなかったので、文化祭当日ってほぼお客さんをやっていたのですよ。

さて、私が3年の時は、実行委員自体の企画として、各担当の長のサインを全員からもらう(今考えると結構無理ゲーじゃない?)と「うちわをプレゼント」なんてものあり、やたらでかい名札をつけさせられていました。そのうちわも私がイラストを描かせていただいたのだけれども。

校内の展示を一通り見終わり、実行委員本部でお留守番兼休憩をしていたとき、一人の親御さんが訪ねて来られた。

「娘の○○を呼び出してほしいんだけれども…」

と、言われたのでメモをとりはじめる私。同学年だけれども知らない生徒だった。
その親御さんは、私の名札の「広報委員長」というのをみるなり

「広報委員長をやられてるってことは、一昨年のポスターを描かれた方をご存知かしら?」

と言われ、見せられたアルバム。

ビビりすぎて絶句した。

なぜならば、1つの間違えもなく1・2年生の文化祭で掲示されていた私のポスター集だったからだ。

1年生のころ文化祭のメインポスターも描いていたのだけれども、それ以外にも前の年までに描いたクラスの出し物のポスターなどもかなりの量描いていた。私が通っていた高校は入り組んだ構造だったので、わかりづらい変なところにもポスターは貼られていたはずだけれども、それが1枚1枚写真に納めてあったのだ。うちの親でもそんなことしてないぞと(笑)私が2年生のころに描いたばらまき用のA6サイズのチラシなんかも挟まれていた。

普通科の高校だったから絵を描く人自体それほど多くなかったけれどもそれでも多少はいたはずで。若くて尖っていてクセもあったけれども、それでも実験的にいくつかのタッチを使い分けてたのに全部私のポスターだった。


感服したので、うちわは、勝手に差し上げました。

放送で呼び出したその生徒さんの名前は友達じゃなかったから、忘れちゃったし顔も知らないんだけれども。というか、本当に娘さんを呼び出したくてきたのかも謎だなって思っている。あんなもの見せられたら。
本当に呼び出したかったのは私だったのかもしれない。たまたま居たんだけれども(笑)


それから私は勉強に身が入らないままに三流大学の経営学部に進むのだけれども、結局デザイナーとかになっちゃったのはこのエピソードがあったからかもしれない。

とはいえ、名前の出ない仕事ばかりしてて、それでもいっときはざっくり日本の人口の1/3くらいの人が私が描いたイラストを入っているものをもっていたころもあったけれど、みづらいところにあったけど気づいてくれたかな?とかたまに思うんだよね。

そこから、さらに時は経ち、今、宇佐兎三として頑張るぞって思っているけれど、いつかあの方に届くんだろうかなんて思っていたりする。


なんてことをパプリカさんのこの記事を読んでいたら思い出したんだよね。

基本的には職業自体がデザイナーで、日々仕事で自分の作ったものをなにがしかの評価をされ続けるから、その延長でやっているようなかんじのnoteでは、けるぼんさんがいうような繊細さはとうの昔にどっかに置いてきてしまったかもしれないけれど。

記事ヘッダーの絵は、当時の絵は探せばアナログではあるけれど探すのもスキャンするのもめんどくさいということで、割とこんなかんじだったなぁというのをHDDの自分が描いたものの中から拾ってきました。まぁ文化祭のポスターは人物じゃないものも結構描いてたけどね。

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高校生とかそこらで書いてたようなものもデジタルでもあるにはあるんだけれども、解像度が低すぎてやばいのよね。なんだかんだアナログならスキャンすれば出せるけどみたいになっちゃうわけです。

あと、今見るとセンスないなーって(笑)


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