見出し画像

さよなら神様

いろんな神様のもとを渡り歩いてきた。

親なり、恋人なり、親友なり、音楽家なり、誰か1人の絶対的な存在が、手を引いて正解に導いてくれる。そんな生き方が楽だった。考えなくてよかったから。

神様は、いつだって正しい。私の好きだった人を酷い言葉で罵った神様1号も、自死を美化した2号も、お酒と煙草に溺れた4号も、当時の私にとっては正しかった。だから並べられた御託に笑って頷いて、熱心な信徒でいることを辞めなかった。
神様が変わる度、見た目も嗜好も180度変わった。似合うと言われた清楚な洋服を着た。嫌いだった煙草の匂いを好きになった。興味もなかったロックバンドの曲を、狂ったようにリピートした。神様の「好き」が私の「好き」で、神様の「嫌い」は私の「嫌い」だった。
神様に嫌われるのがこの世でいちばん恐ろしかったから、ご機嫌取りだって怠らなかった。学校の成績は上位をキープした。弱いところはなるべく見せず、彼らの言葉は全て肯定した。

大学2年の夏、当時の神様の顔色を窺うばかりだった私は、手首に血を滲ませていた。思えば過去にも、神は違えど似たようなことが何度かあった。生きるために神様を見繕ったはずなのに、彼らの言葉に踊らされて死にたくなっていることに気がついた。こんな盲信を続けることの危うさを初めて自覚した。

それからもしばらく染み付いた信仰癖が抜けることはなく、何人かの神様に縋りながら暮らした。それでも、こういった脳内を吐き出す創作活動や私の話を聞いてくれる人達のおかげで、徐々に自分が確立されていった。気づけば授業やバンド活動での発言が増え、嫌いなものを遠慮なく否定できるようになった。胸を張って「好き」だと言える存在や音楽が、やっと見つかった。
いつしか私に神様は必要なくなっていた。バンドメンバーが好きだし、友人が好きだし、尊敬するミュージシャンも沢山いるけれど、彼らのために死にたくなるのはごめんだ。私として生きて、それでも傍に居続けてくれる人たちを、大切にしようと思う。もちろん神様としてではなく、人間として。

きっと、流されやすいあなたにも神様がいる。神様の言葉に一喜一憂して、生きたくなったり死にたくなったりしている。
この世は神様になりたい人間で溢れかえっている。神様に傷つけられた私でさえもその1人で、誰かに信仰されたいし啓蒙されたい。あなたが盲信している神様も、フィルターを外せば欲求に突き動かされた人間であることを忘れないで欲しい。満たされれば神でいることを放棄するし、正しくない思想だってたくさん持っている。
神様に頭や心を乗っ取られる信徒としての生活に飽きたら、今度はそれらを取り戻して、頭も心も自分のものにしてしまえばいい。自分で自分を操作するのは難しくて何度も誤作動を起こすけれど、きっといろんな人の手を借りながら上達していく。生きる術を身につけていく。

神様を手放して、自分の操作方法を習得して、ようやく大人になれる。これからしばらくは、神様のものだった私を私のものに戻すリハビリ期間になりそうだ。自分の好きなものを食べて、好きな小説を読んで、好きな服を着て、好きな音楽をたくさん聴こうと思う。そして毎晩、好きな人たちとこれから作っていく音楽に思いを馳せながら眠りにつこうと思う。きっと、それが私の好きな夜の形のような気がするから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?