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コンスタンティノープルを、国際都市イスタンブールへ変貌させたメフメト2世

イスラム教の創始者ムハンマドは、「コンスタンティノープルを開城し、そこをバラの花園に変えよ」と遺言を残し、632年に逝去。

東西交易の要であるコンスタンティノープル攻略は、当時のイスラム教徒の夢。

1453年 オスマン帝国のスルタン・メフメト2世が、その夢を実現。

ビザンティン帝国と戦いコンスタンティノープルを陥落。

この地をギリシア語の「インスティンポリン(街へ)」に由来するイスタンブールへ改名。

メフメト2世は帝都再建に尽力。

街に残ったキリスト教徒、ユダヤ教徒、他の異教徒たちも、税を払えば信仰を認めるミッレト制度といわれる制度を採用。

戦いで激減した人口を増加させるため、ギリシアやアルメニアからイスタンブールへ移住を強制。

キリスト教の聖堂は破壊せず、モスクに転用。

屋根付き市場グランド・バザールや隊商宿の建設。

こうしてイスタンブールを東西交易の重要な拠点に造り変えることに成功。

最大の事業はトプカプ宮殿の建造。

ボスポラス海峡に面した宮殿は、歴代スルタンの居城であり、オスマン帝国のシンボルに。

イスラム教徒をベースにしながら、多民族や、異教徒も受け入れる寛容さ。

イスタンブールは、国際都市へと変貌を遂げました。


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