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ゴジラマイナスワンを見て……あれこれ、考えたこと

 「ゴジラマイナスワン」を見た。確かに特撮はすごい。タイトル写真としてジオラマの写真を載せたけど、実際はもっとずっとすごい、アカデミー賞にふさわしい……とは映画全体の出来として、ちょっと……。
 それは冒頭のシーンに凝縮して表われている。特攻隊の敷島浩一が出撃した後、零戦が故障したと偽って大戸島(小笠原諸島の一つだそうだ)の基地に戻ったところに、大戸島の島民が「ゴジラ」と呼んでいる怪獣が襲う。整備兵は小銃しか持っていないので零戦の二十ミリの機関銃で怪獣を撃退してくれと言うが、敷島は恐怖のあまり操縦席で固まったままだ。その後、気がつくと整備兵たちは全員、怪獣に殺されている。

大戸島で一人、防戦としている敷島浩一……だとおもう。

 ここで変だなと思ったのは殺された兵隊たちが全員、袋につつまれていたこと。ということは敷島が一人で包んだことになるが、操縦席で震えていた敷島が冷静になれるのか。いやその前に一人では物理的に無理……いや、いや、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……と唱えながらひとつひとつ、死体をつつんでいく……とすればいいけど、映画が全然違うものになってしまう。
 それを避けるとすれば、怪獣を恐れて島の奥に隠れていた島民が戻ってきて、敷島と一緒に死体を袋に包みながら、怪獣の生態を詳しく教えるとすれば映画的リアリティも出てくる。そもその話、ゴジラが現れる前に海に予兆が現れると島民が言っていた、その予兆が実際に現れて緊張する……みたいな場面があったと記憶しているが、でもそれも「島民の話から得た知識」でしかないので映画的リアリティに欠ける。
 ……と思っていたら基地には橘という整備兵が生き残っていて、その橘がゴジラをやっつけるための特攻作戦に使う「震電」を直して飛ばすことのできるただ一人の人物で、敷島が大戸島で別れて以来、行方不明だったのを探し出して云々いう話になるわけだ。でも一人だろうが二人だろうが同じだ。確かに二人で死体を袋に詰めれば手間が減るし、死体を片付けながら二人で話したりすれば、とりあえず大戸島の島民の代わりとして、映画的リアリティも出てくる……と思うけれど、そんな演出はなかったわけで……。
 そもそもの話、二万人以上死んだ東北の大津波のニュースで死体はひとつも見なかった。映画でも「死体は見せない」という決まりでもあるのかと思ったが……それさすがにないと思うけど……わからない。
 あと気になったことは「敷島」が本居宣長の「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」で広く知られている日本を示す古来の名称で、フィリピンのレイテ沖海戦で最初の特攻隊となった部隊の名称も「敷島隊」だった。この「敷島」という名称の重大性を誰も指摘していないのはどういうわけか。気づかないのか、知らないのか? でもシナリオを担当した監督の山本貴は右翼の百田尚樹の小説を映画化しているので「敷島浩一」という名前を意図的につけたことは明らかだ。
 ところで、ゴジラ撃滅作戦は恋人……の典子を殺した(典子は最後、生きていたことがわかるけれど)ゴジラに対する敷島の個人的復讐心と、かつて恐怖心で逃げてしまった汚名挽回の執念と、フロンガスでゴジラを海底に沈めるという科学者グループの共同作戦になるが、作戦会議も何もないまま敷島は「震電」という戦闘機が必要だと言ってその整備士を探す。

震電と敷島

 じゃあ、なんで「震電」でなければならないのか、その理由は全く知らされない。誰が決めたかわからないけど、山崎監督か、あるいはスタッフの誰かの趣味で選んだのではないかと思う。というのは、ゴジラにやられてしまう「高雄」という巡洋艦が出てくるけど、「高雄」は巨大な艦橋でマニアックな人気のあった重巡洋艦だったので斯く想像するわけだけど。
 ちなみに私だったら、震電ではなく、米軍に「バカ」と渾名されたロケットの特攻機「桜花」にするね。ロケットなので飛行機のように離陸はできずの胴体の下にぶら下げる設計だったが、そこは「魔改造」してカタパルト発射ににすればいい。実際に、「バカ」は時速八百キロ以上出るので米軍が警戒、ほとんど撃ち落とされたが実際に使われたことは確かで、ウィキによれば七百機つくられ、五十五人が死んでいるが、戦果はほとんどなく、死者の中には桜花を積んだ一力陸攻のししゃも多かったので、これはまずいと思っで、カタパルト発射式の桜花をつくっていたそうだ。あてずっぽうに想像したが、実際に、カタパルト発射はつくられていたので、私は、ちょっと嬉しかった。

バカボム、桜花とそのパイロット。
このパイロットを敷島にすれば「ゴジラ 」の映画的リアシティは倍加する――と私は考える。
カタパルト発射式に魔改造された桜花

 それはさて措くとして、敷島が「これでなければならない」と執着する震電は時速七百キロを予定していたが、完成せずに昭和十九年に開発は中止になった。……ということは敷島、あるいは監督の山崎貴は、その可能性に賭けようとしたのか?
 それより「バカ」の方が自己批評が込められているし、いつも逡巡ばかりしていた敷島が「俺はバカだ!」と自嘲しながら突っ込むとすればいいのではないか。実際の話、「ゴジラマイナスワン」に、決定的に欠けているのは自己批評の精神だと思う。
 もう一つ言っておきたいことはタイトルは冒頭に出ていた……と思うけれど、出演者、音楽、撮影監督、制作者、監督の紹介が最後になっていること。砂金というか、銃数年前から、ハリウッドがガイドに延々とエンドロールを流すようになって、それが十分以上流れる場合もあるけど、終わった後なので、感動して余韻を楽しみたい人はそのまま見ていればいいし、そうでないならさっさと帰ればいい。ところが「ゴジラマイナスワン 」は最後のエンディングロールだけなのだ。

安藤サクラさん。この人がいないと、敷島浩一の優柔不断に振り回されるばかりで、映画としての体をなさなかったと私は思う。


ゴジラがやってくる! この後、典子は敷島をビルの狭間に突き飛ばし、自分は行方不明になる。

 そもそも主役の敷島浩一の気持ちが常に揺らいでいて、話が進まない。そんな状態を引き締めていたのが奥田浩一の娘、安藤さくらで、彼女が敷島の恋人の典子が終戦時に誰かから押し付けられた子供の面倒を「私が見るからあんたは働きない」と言う。それで典子は若い女性の花形の職業だったバスの車掌になって敷島との生活も安定するが、そこにゴジラが襲う。典子は敷島を突き飛ばして助けるが、本人は行方不明になる。ゴジラに典子を殺された敷島の心ににメラメラとファイトが蘇り……ということになるわけだが、そのきっかけを作った女性がどこかで見たような役者だがなかなかいいなと思っていたら安藤さくらだった。とはいえ最後のキャスティングロールでは確認できず、改めてウィキで調べて「安藤さくら」とわかった次第だ。
 それはともかくとして、一番気になったのは、山崎貴監督のプチ右翼ぶり。プチなので実害はないと見過ごされているのか?
 改めて山崎の作品を調べたら百田尚樹の小説の映画化が多かった。どれも見ていないので何も言わないけど……特攻した敷島も生き残り、典子も生きていたというご都合的なラストは営業的な判断だと思うけれど、観客も舐められたもんだと思う。

ちなみに、対ゴジラ作戦で活躍する駆逐艦か何かの艦長。これを見て、かつての怪獣映画の常連、田崎潤を思い出した。


田崎潤。どの映画かわからないけど、怪獣映画……だと思う。

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