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『ビューティフルマインド』と『リオ・ブラボー』

 ゲーム理論として経済学にも貢献した「ナッシュ均衡」でノーベル賞を受賞した数学者、ジョン・ナッシュが統合失調症に基づく、奇怪な妄想(夢想と言ってもいいかも)に悩まされたことを描いた映画『ビューティフルマインド』を見る。録画しておいたビデオを再度、見たので、二度目なのだが、三分の二近く見た時点で「あ、これは一度、見たがある!」と気がついた。見た記憶が消えてしまっていたのだ。しかし一般的に言って、映像は見た瞬間にわかるはず。ましてアカデミー賞をとった名作なのだ。それなのに三分の二近く見たときに、そのことに気が付いたのは何故なのか。私が思うに『ビューティフルマインド』と言われても、何が美しいのかわからない。統合失調症に悩まされる夫のジョン・ナッシュを支えた妻のアリシアの心を「ビューティフルマインド」と言っているのかもしれない……と考えたのは見終わってからで、しかも確実にそうだとは言い切れない……という曖昧な気持ちが、記憶を曖昧にしていたのかも……。
 それは兎も角、病院で統合失調症と判定されたジョンは数学の研究を続けるには薬が妨げになると思い、薬を飲んだふりをして捨てていたことから、妄想が再発、妻とけんかになって、鏡か何かを壊してしまい、その破片をゴミ置場に捨てにゆく場面で「あ、これは見たことがあるぞ!」と思ったら、事実、その後の展開は、記憶していた通りで、ゴミを捨てた後、謎の集団に追跡され、裏庭の周辺を逃げ回った末、裏庭の小屋に逃げ込むと数人の軍服姿の若者がテレックスか何かを使って黙々と仕事をしている。
 夫の訴えを聞いてアリシアがその小屋を覗くと、壁には各種の雑誌の切り抜きがびっしりと貼られて、それに赤線が書き込まれている。

アリシアの目には、張り紙しか見えない

 アリシアが夫の統合失調症の証拠を自分の目で見たのは、多分、この場面が始めてで、私、つまり観客にとっても同様で、それゆえに、この場面で「あ、一度、見たことがある!」と思ったのだと思う。
斯く解釈した上で、映画を最初から振り返ってみると、ナッシュ均衡の成果が認められて有名人になったジョンは、大学で数学の教授をしていたが、その研究室に国防省の捜査官を名乗るペンタゴンに連れて行くと、アメリカの複数の将軍が見守る中、ナチスドイツが開発した携帯型の原子爆弾がソ連の手に渡り、アメリカで使う恐れがある。彼らは雑誌記事のタイトルや本文にメッセージを隠しているが、我々にはわからないが、暗号の解読に長けているナッシュ教授ならできるに違いない。もし何か解読したらその結果を国防省の分室に届けてくれと言って、ナッシュの右腕に基盤を埋め込み、これをかざせば郵便ポストが開くと言われる。

国防省の捜査官Nパット。いかにも怪しげな雰囲気。パットはナッシュが結婚して、友人たちの祝福を受ける場面にも現れ、「結婚しては任務ができなくなるぞ!」と警告する。これは、自分に取っても意外だった結婚に対するナッシュの内心の気持ちをを吐露しているとも言える。

 以後、ジョン・ナッシュは大学の自分の部屋に立てこもって新聞や雑誌の記事の切れ端をの解読に熱中した結果、部屋の壁から、床まで雑誌や新聞の記事で埋めてしまう。その後、ジョンの授業や講演における行動は看過できないと判断した大学当局は、強制的に病院に収容しようとするが、この時、麻酔剤を注射しようとする医師をソ連のKGBだと言って激しく拒否するナッシュの腕に注射器が……というわけで、真偽を判断する材料が観客にはわからないので、実際にソ連の秘密警察に捕まったのだと思ってしまうのも無理はない。 その後、病院に収容され、自分の妄想なんかではないと主張して右腕に埋め込まれた基盤を取り出そうとするが何もない。血まみれの腕をつかんで呆然としているところを職員に発見され「基盤が埋め込まれているはずなのに」と訴える……あたりで、観客も、ナッシュの妄想に違いない……と思うが、まさか映画の冒頭、大学の研究室のルームメイトになるチャールズも妄想だったとは!  そのチャールズがマーシーという幼い少女を連れてくる。そして姉が交通事故で死んだので、その娘の父親代わりになっているんだと言う。マーシーはナッシュの幼い女友達として仲良くなるが、それも、全て、夢想だったのだ!

ナッシュを見つめつ捜査官と、チャールズと、幼い少女のマーシー。この三人はノーベル賞を受賞した時にも現れる。

 ただ、あとで見直してみると、夢想の中の人物を写すときは、ナッシュとと一緒に写っている時だけで、そこには、通行人等は別として、リアルなジョン・ナッシュとリアルな関係をもっている人物は写っていない。 でもそんなマイナスな情報を、観客は知るわけもないわけもなく、従っじ実を知ったら「だましやがって!」と思うかというと、そんなことはない。なぜなら全て、映画の文法に則って描いているので映画鑑賞としては、むしろ、二度、美味しい、という感じになる。 あと妻のキャロルはリアルな存在として終始しているわけだが、そのキャロルがジョン・ナッシュの〈夢想〉と、親しく接する感動的なシーンがある。それはジョンが星空を指差して「あれが馬座」だ、とこれまで知られている星座とは別の名前をつけるシーン。

ナッシュが「馬座」と言ったかどうか、わからないけど、とりあえず「馬座」にしておく。

 つまり「北斗七星」を「馬座」と名付け直したのではなく、自ら、古代人のように、夜空を見て想像力を働かせたのだ。 
  ……と、あれこれ考えることの多過ぎる映画だったが、少し前に見た西部劇『リオ・ブラボー』がまた不思議な雰囲気だった。
 作られたのは一九五六年だそうで予想外に古い。多分、テレビで見たのだと思うけれど、改めてNHKのBSPで見て普通の西部劇とはちょっと違うような気がした。何が……って、言うと、まさに雰囲気でしかないのだけれど『ビューティフルマインド』がジョン・ナッシュの夢想なら、『リオ・ブラボー』は、浮浪者のようなみすぼらしい格好で、現れるメキシカンから「酔いどれ」というあだ名をつけられたディーン・マーチン演じるデュードの夢想と考えてもいいかもしれない。
 その理由はおいおい触れるとして、映画はデュードが酒場にやってくる場面から始まるが、文無しなので酒を注文できず、酒場のカウンターの脇で、物欲しそうな顔で突っ立っている。。そのディノを見て、リオ・ブラボー(町の名前)を牛耳っている、牧場主のネイサン・バーデッドの弟、ジョーが、「金をくれてやる」と言って、痰壷の中にコインを投げ入れる。痰壷に手を伸ばすデュード……だが、ディノを知る保安官のチャンス(ジョン・ウエイン)が、その痰壷を蹴飛ばし、コインを投げ入れたジョーに「騒ぎを起こすな」と忠告するが、酒を飲みたいデュードが背後から棍棒で殴る。

ジョーにいたぶられるディノ
うつりがあまりにもぼやけてるので、改めてディーン・マーチンの画像を

 倒れる保安官のチャンス。両者の様子を面白そうに、ニヤニヤ笑って見ているジョーにつめ寄るデュードだが、ジョーがパンチを食らわす。それを見ていて「あんまりだ」と制しようとした男をジョーはいきなりピストルで殺してしまう。この後、口直しだと別の酒場で酒を飲んでいるところにチャンスとデュードがやってきてチャンスがジョーをライフで殴り倒して、保安官の事務所にかつぎこむ。それを知ったネイサンは町を封鎖して弟のジョーを渡すよう迫る……という映画だが、ディノは話の節々に登場して大事な役目を果たすのだが、実はストーリーのほとんど全てはディノの夢想だったとしてもいいのではないかと、『ビューティフルマインド』を見て改めて思ったのだった。 そんな風に思ったのは、まず第一に、映画の中でチャンスの旧友のパット(ワード・ボンド)で、彼は――なんとなくだが――、他の出演者と異なり、リアルに見えたのだ。

貫禄十分のワード・ボンドが演じるパッド。彼は、『リオ・ブラボー』のリアルな側面を代表している――と、私は妄想する。

パットがどんな職業なのかよくわからないが、ダイナマイトを積んだ馬車隊の隊長のようで。チャンスから町がネイサンに封鎖されたと聞いて、ダイナマイトを街の片隅の空き地に置くことにする。そのパットを――チャンスの味方をする有力者と思ったかどうか、わからないが――ネイサンは部下に命じて殺してしまう。このバットの死によって、チャンスとネイサンの戦いは不可避的なもの、つまり「リアルな闘争」になっていくが、この対決の時、ディノはネイサンに捕まって人質としてジョーと交換することになる。ディノはチャンスと以心伝心の形で、ジョーとすれ違う瞬間、ジョーに組みついて殴り合いになる。ネイサンは弟に手を出すことができず、最後はパットが残したダイナマイトで話も終結するわけだが、この場面でディノはネイサンの掌中にあって妄想するしかなかったが、人質交換でそこから解き放たれ、リアルな世界に飛び込む……というのはちょっと牽強付会すぎる解釈かもしれないが、確実な事実——ただしマイナスの事実だけど——として言えることは、デュードが酒びたりの生活になってしまう原因となった、失恋した女性が映画に出てこないこと。その代わりに登場するのが『リオブラボー』を象

妖しげな女賭博師とはいえ西部劇でこのコスチューム……とは、必ずしも言えないかもしれないが、いずれにせよ、『リオブラボー』を象徴するショットの一つだ。
『リオ・ブラボー』を象徴するショットはなんてったってこれ! ジョン・ウエインのライフルだ。若い男は人気歌手、リッキーネルソンで、彼も美味しい役柄だったと思う。ちなみに「オレは散弾銃は使わない」と、映画の中でチャンスが明言していた。ジョン・ウエインの美学かも。

徴するアンジー・ディッキンソン演じる女賭博師、フェザーズだ。西部劇とは思えぬコスチュームでチャンスに迫り、「そんな格好で外に出たら逮捕する」とチャンスが言うと、フェザーズは「その言葉を待っていたの」と答える。チャンスがフェザーズのペティコートを窓の外に投げ捨てると、デュードと、保安官事務所で雑用をしている老人、スタンピーの上にひらひらと舞い落ちる。それを首に巻いて喜ぶのはスタンピーだが、全ては失恋したデュードの斯くあってほしいと思う夢想を、アンジー・ディッキンソン演じるフェザーズに重ねた素敵なラストシーンだったと思う。

ジョーをライフルで殴るチャンス。この時、チャンスは勢いのまま。くるりと一回転する。
ライフルで本当に力任せに殴ったとしか思えないシーン。


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