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人の素行 vol.1 今の便利生活の限界例 -便利なまま気持ちよくサステナブルシフト、の壁 -

これまでの大量生産消費 VS これからの持続可能な生産消費。
これを、便利さ VS 気持ちよさ と言い換えてみて、これまで考察してきました。

このマガジンで一貫して伝えたいのは、中庸でいきましょってこと。

人間持ち前のズル賢さで、良いとこ取りして、便利さをかなぐり捨てることもなく、持続可能(サステナブル)にシフトした方がいいんじゃなかろーか、を考察しています。

巷には、大量生産された商品で溢れてはいるけども、ちゃんと全部処理されている。
ちゃんと処理されているから道端にも海岸にも落ちない。
そうなれば、カンペキだ。。。
この未来を実現すれば、胸張って次世代に引き継げますね!けど

はて、何から始めればよかろうもん

なんでタイトルに『人の素行』って付けたのかを順序立てて説明したいと思います。

そもそもなんで大量生産消費からシフトしなきゃなの?
消費されたモノの処理が追いついていないから = ゴミ化しているから、問題視されているんだと思っています。

私個人としてはこう考えておりまして。
このゴミ化する問題は、大量生産の仕組みとか大企業がわるさしているというよりも。
その仕組みを生み出しておいて、需要をわらわらと作っておいて、制御(=処理)し切れていない、結果ゴミをその辺に散乱させている。
でも消費者からしたら「そんなのおれがやった訳じゃねぇし」だし、
自分の目に届く範囲の、今の便利な生活だけは維持したい。
(「めんどい」から)なるべく変化は起こしたくない。
という無自覚な心理的欲求 = 素行(正直な本音)が、
日本だけで1億2,000万人分、
世界で見たら72億人分積もりに積もって、こうなっちゃった ←イマココ。

その「おれんじゃねーし」「めんどい」もあと50年

最終的にゴミがたどり着く、最終処分場@東京湾の許容量はこのままのペースだと、もってあと50年なんだそうです。

右肩上がりを盲目的に正義と信じてしまっているままだと、
資源管理もゴミ処理も非持続可能。
私たち大人の晩年が、
そしてその後も生きる子どもたちがヤバイじゃん!
そう思い始めちゃったら止まらない、ってなってるのが考察を続けているモチベだったりします。


人類が、土を固めて焼いて器を作ったり、
コピー機がない頃、本は人力の写し書きだった頃から考えれば。
ひたすら不便を便利にすることで、技術も文明も発展してきました。
今や文字なんて、写し書きから進化して、command + c > vの二手だけでコピペ出来ちゃうほどに。

そしてその便利さへの欲求はこれからも止まることはないと思っています。それにそれ自体は何もわるくない。

「誰かがうまいこと処理してくれてるから」と、ゴミ処理に関して、こっそりズルしてしまうことってあると思うんです。
(かくいうメンタル弱者の私もゼロではありません。あなたと同じ♡)
それが1億人分とか積もり積もると、その素行が制御不能なほどの生産量、消費量、そしてゴミの量を産んでしまっているんだと思うんです。

次回、人の素行 vol.2は、
- "今の”資本主義的価値も、この生活も、幻想 -

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