任那日本府と近隣諸国条項

この話題、わりと歳バレ案件なんだけど気にしないで書く(笑)

自分が小学生の頃は任那日本府が歴史の教科書に載ってて、任那の存在になんの疑いも持たなかった。ところが中学の歴史で「任那日本府は嘘だった」みたいな風に教えられて、べつに怒りとかはなかったけど、ただ純粋に、何で急に「あった」って言ってたものが「なかった」に変わったん?っていう疑問がずっと心の奥底に引っかかってしまい、大人になっても忘れられないワードとなってしまった。

それで、大人になってちょっと経ったくらいの頃にインターネットが普及しはじめて、「結局、任那日本府って何だったんだろう?」ってことを、特に熱心に研究してたとかではないが、たまーに思い出して検索したりするようになった。

それで、近隣諸国条項ってものを知った。1982年に作られたらしい。文部省が、どっかの教科書の「侵略」を「進出」に書き換えさせたとかって大騒ぎしてた「歴史教科書問題」がきっかけで、作られたものだ。歴史教科書問題は、やたらマスコミが大騒ぎしていたのでよく覚えている。当時の自分は「べつに侵略でも進出でもどっちでもええがな」と思っていた。今でもそれは正直あんまり変わってない。

話を戻すが、「好太王碑改竄説」というものも知った。最古の拓本は日本軍が発見したものだから、改竄したものに違いない、と。正直、何を根拠にそんなことを言ってるんだろう?とも思った。そしたら、2005年に中国で日本が発見したものよりも古い墨本が発見され、改竄説は否定されてしまった。つまり、倭が新羅と百済を属国化して、高句麗と一戦交えたことが確定してしまった。

さらには、韓国にも前方後円墳があることも知った。しかも、日本のほうが2世紀ほど古いという。明らかに日本から朝鮮に伝わってますやん。韓国の前方後円墳は南方に集中している。あれ?任那じゃね?

それから、宋書倭国伝とか隋書倭国伝とかもネットで読むようになり、ますます任那日本府はやっぱり存在したんだという思いを強くするようになった。宋書だの隋書だのなんて、自分が子供の頃は図書館に行っても敷居が高くて手が出せない物だったのに、今ではネットで原文がタダで読める。凄いよね。

自分が子供の頃に教えてもらった歴史はなんだったんだよ。朝鮮半島から稲作が伝わったとか、騎馬民族が日本にやってきて王朝を築いたとか、全部デタラメやん。

結局、1982年の「近隣諸国条項」とやらに基づいて、日本が中国や、特に韓国に対して過度に配慮しすぎた結果、正しい歴史から遠ざかってしまった、というのが実情だと思う。

この近隣諸国条項は、何も任那日本府の問題だけではなく、例えば慰安婦問題など、近代の歴史問題にも悪影響を与えたのは間違いない。

米スタンフォード大学は、韓国の歴史教科書を「ファンタジー」と揶揄する一方で、日本の歴史教科書は「ヒストリー」と高く評価してくれたが、実際には日本の歴史教科書も、残念ながら「ファンタジー」に毒されていたようだ。そして、それは今もなお続いている。

長鼓峰古墳から九州の古墳と瓜二つの構造と鉄鎧の破片や鉄の矢じりなどの武器類が埋められた事実が確認されたのは、韓国国内の学界に負担になり得る。日本の右派学者が再び任那日本府説の根拠にすることがあり得るという懸念まで出ている。

 ソウル大学国史学科のクォン・オヨン教授の助言を思い出したい。「長鼓峰古墳は倭系統の墳墓の構造を有しているが、埋葬された人物を軽々しく断定してはいけません。外形、構造、遺物などを当時の情勢とともによく調べなければなりません。民族主義を越え古代人の観点まで考え、開かれたものの見方でアプローチしなければなりません

ハンギョレ新聞が精神分裂を起こしていて笑える。任那日本府説を「日本の右派学者の妄言」と決めつけることこそが、クォン・オヨン教授が批判する「民族主義的な観点による閉ざされたアプローチ」なのではないか。

近隣諸国条項は、2021年現在も未だ廃止されてない。日韓関係、日中関係ともに冷え込んでいる今こそ撤廃のチャンスなのではないだろうか。どうせ既に関係が冷え込んでいるのだからもう1つくらい関係悪化させる材料が増えても大した影響はない。

近隣諸国条項なんかが未だに残ってるから、こんな教科書が作られるんだ。さっさとどうにかしろ。

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