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Shin Horiさんの考える「1945年以降」と、現実のズレ

堀新さん、なんで喜んでるの(笑)

この人たち、もしも統一教会や幸福の科学が政権批判をしたら、喜んで飛びつきそう(笑)

 もう一つ、生長の家の特徴は、戦前においては天皇への帰一を説いて天皇信仰を強調し、さらには、太平洋戦争が勃発すると、それを「聖戦」と呼び、英米との和解を断固退けるべきだと主張したことにある。

堀新さん、これどうするの(笑)

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これ、色んな人から突っ込まれまくってるけど、直感的に見ても二番目のほうが正しいですよね。そもそも、堀新さんの「戦前」のイメージ、どう見ても「戦時中」だし(笑)。

数多のツッコミは、こちらでご覧になれます。

で、多くのツッコミに耐えられなかったのか、弁明を加えてます。

ところが「1945年以降に受け入れた価値観・世界観」から全体を俯瞰して見る、ということは、特になんの矛盾もありません。というのは、「1945年以降に受け入れた価値観・世界観」とは、安倍政権が言っていた「自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済」といったものだからです。

堀新さんに勘違いしてほしくないのは、日本は1945年以降、社会主義の価値観を受け入れたわけではないということです(笑)。

それに、1950~60年頃は、日本にもまだ戦前・戦時中の政治家や財界人が大勢残ってたし、帰還兵や遺族もたくさんいたわけです。要するに、堀新さんの考えているよな、1945年を境に別世界、過去とは完全に分断された世界がそこにあったわけではないのです。

昭和27.6.9 参議院本会議「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、
昭和27.12.9 衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
昭和28.8.3 衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
昭和30.7.19 衆議院本会議「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」

なんと、主権回復から間もない時期に、計4度の戦犯に対する名誉回復が行われています(しかも満場一致です)。

いわゆる左派の人たちが「戦後の価値観」と呼んでいるものは、本当は1970年代以降に作られてきた左翼的な価値観なのです。

事実、1970年代までは昭和天皇も靖国参拝をしていましたし、1984年までは首相が靖国参拝していました。歴史教科書には任那日本府のことが普通に書かれてましたし、安重根だの李舜臣だのは名前すら出てきませんでした。慰安婦問題なんてものは姿形もありませんでした。多分、1975年あたりから現代にタイムスリップしてきた人が今の日本を見たら、とんでもなく左傾化しているなと、きっと驚くはずです。もちろんスマートフォンに驚くとかそういう話は別ですよ(笑)

実際問題、1996年に「新しい教科書を作る会」が誕生したのは、1970年代以降、特に歴史教科書問題があった1982年以降の歴史教科書の左傾化に対する危機感が作用した可能性が高いと思います。

話を戻しましょう。私達は1945年以降「「自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済」という価値観を受け入れました。戦前にそういう価値観がなかったとは思わないし、そういう価値観があったからこそこれらの言葉(和製漢語)が存在したことは自明なのですが、とはいえ戦争前夜から戦時中にかけてこういった価値観が弱ってきてたことは否めないと思います。

で、ここからが重要な指摘になるのですが、以前、堀新さんは次のような投稿をしておられました。

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しかし、この説明は、

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この説明と、矛盾するのではないでしょうかね?

ここで仮に「いや、矛盾はしない、戦後の価値観に立脚しても、国家の原点を神武天皇や天照大神に置くことはできる」とおっしゃられた場合、今度は

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これが、「1945年以降に受け入れた価値観」ではないことになってしまいます。

いや、これも正確ではないですね。堀新さんは、この図に「1945年以降に受け入れた価値観」とか書いてません。「戦争経験者が多く生きていた頃の歴史感覚」と説明しています。

でも、これがデタラメであることは、私が先ほど、戦犯の名誉回復の事例などによって説明しました。


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