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選挙の投票率が低いほうが好ましい理由。ヒトラーが勝った選挙の投票率は88.74%。

ロザンのお二人が、選挙の投票率について語っておられます。

「なぜ投票率が高くないといけないのか」というテーマに、異議を唱えるというわけではないのですが、ちょっと別視点からの考察を付け加えてみたいなと思い、あえて「なぜ投票率は低くないといけないのか」という逆張りを行ってみたいと思いました。

そういえば、たかまつななさんが先日の東京都知事選挙の投票率の低さを嘆いておられました。

正直、55%という投票率はそんなに低いとは思えないので、ここまで落ち込む理由は、投票率ではなく、選挙結果に不満があるからじゃないのかと勘繰りたくなってしまいます。というのも、たかまつさんは過去にこんなことも言ってるからです。

ネトウヨに勝つ仕組みが必要ってなんですか(笑)。なんだか「ネトウヨを差別しよう」みたいなノリで言ってますけど、中国みたいに野党はそもそも立候補すらできない選挙制度をお望みなのでしょうか。

ちなみに桜井誠が18万票も獲得したことにビビってる人が結構いるみたいですけど、冷静に考えればドクター中松よりちょっと多い程度で当落を争うようなレベルじゃないんですよ。普通の有力候補がこの票数だったら、大惨敗って言われて叩かれるレベル。ネトウヨに勝つ仕組みなんかなくたって、ネトウヨは普通に大惨敗してるんです。数年前の総選挙でも「次世代の党」は普通に大敗してましたしね。

ちなみに、投票率はそんなに低くないというのは、過去の東京都知事選と比べても一目瞭然だと思います。というのも、過去10回の知事選挙で55%を上回ったのは4回しかないからです。

たかまつさんの場合、世間に向けて嘘をついているというよりは、自分で自分をごまかそうとしているように思います。「私は中立なんだ、どの候補者にも肩入れなんてしてないんだ」って自分に言い聞かせてるように思います。間違ってたら申し訳ないですが、もしもそうなら、ご自身に対して素直になられたほうが、余計なストレスも抱えなくて済むし、かえって話を聞いてくれる人は増えると思うのですけどね。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入りたいと思います。

1.投票率の低さは、有権者の政治満足度の現れである。

これはよく言われることだと思いますが、有権者が「政治を変えたい」と思うのは政治に対して不満があるときだけです。政治に対して特に不満がなければ、積極的に政治を変えようと動くこともなくなり、投票意欲も落ちるのです。

2.投票率が高くなると、ポピュリスト政治家の台頭を招く。

タイトルにも書きましたが、1933年3月のドイツ総選挙は投票率88.74%という、ヴァイマル憲法施政下(ヴァイマル共和政)のドイツ総選挙において、過去最高の投票率を記録しました。

全権委任法は、この選挙でナチス党が過半数を獲得し勝利した直後に招集された国会で議決されました。同法を「ナチスが国民を騙して成立させた法律」だと誤解している人も多いですが、実際は、ナチスは正々堂々と「4年間の独裁権」を主張して選挙に勝利したのです。

ちなみに、ヴァイマル憲法は素晴らしい憲法だと称賛されることが多いですが、実際に施行されていたのは、1919年から1933年と、僅か15年足らずの期間にすぎません。

そういえば、「議会制民主主義とは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだ」と、国会の議事録にも残る形で発言したとんでもない政治家がいましたね。あ、「いました」じゃなくて今も現役でした。

彼は野党時代にもテレビ番組で「一億総白痴化時代になってるじゃないですか、だから自民党が勝ったんだ」などと発言して物議を醸したことがあります。多分、この人が日本で最もヒトラーに似た政治家です。彼にヒトラーのような弁舌の才能やカリスマ性がなかったことは不幸中の幸いでした。

3.選挙はコスパが悪い

昔、ひろゆきだったか誰かが言ってたと思うのですが(違ったらごめんなさい)、投票所に行くという行動を労働と見做した場合、それで得られる対価は何ですか?って考えた場合、実は何もないんじゃない?っていう。もちろん、ロザンのお二人が言うように「ある程度投票率が無いと民主制は成り立たない」って問題はあるにせよ、一票差で結果が変わってしまうようなことは、ほとんどないわけで(実は地方選挙の場合はそうでもないのですが)。国政選挙の場合、有権者は1億人以上いるわけで、自分の権限は1億分の1にすぎないと考えると、そんなものは、ほぼゼロに等しいと言えてしまうわけで、「主権者」としての感覚を持ちづらいということは、あると思います。

4.投票義務制は民主政治に非ず

投票率の低い選挙が続くと「棄権した人を罰してはどうか」という議論がよく持ち上がるのですが、投票を義務化してしまったら、それはもはや「権利」とは言えません。勉強でも仕事でもなんでもそうですが、「義務でやらされる〇〇」と「自分が好きでやる〇〇」では、同じことをやっても全然違いますよね。義務で投票に行かされる人が果たして政治のことを真面目に考えるでしょうか。もしかしたら義務投票下の選挙で「義務投票制の廃止」を訴えれば、それだけで政権取れちゃったりして(笑)。

棄権も有権者の権利です。棄権の自由がないなんて、ナチス施政下のドイツや現在の北朝鮮と同じじゃないですか。

5.そもそも、日本の選挙の投票率ってそんなに低いか?

民主主義の先進国と言われているアメリカでも、実は投票率はさほど高くありません。2年前に行われた中間選挙の投票率は49.4%と、我々から見ると低調に思える数字でしたが、なんとこれが、1914年以来、過去104年で最も高い値だそうです。

6.投票率が低い方が、敗者も希望を持てる

よく「自民党は全有権者の1/6からしか得票を得てない!」みたいな、みっともない言い訳を見かけますよね。野党はそれよりももっと低いのだから、自民党を叩く前に己を恥じれば良いのに、と思わなくもないですが、少し考え方を変えると、投票率が高くて惨敗したらこうしたことも言えなくなってしまうわけで、絶望した敗者は民主制を否定しようとするでしょう。そう考えた場合「もっと投票率が高ければ負けなかったのに」と妄想できる余地は残しておいたほうが良いのかもしれません。

7.投票率に一喜一憂するのは馬鹿げている

そもそも、選挙の目的とは何でしょう。言い換えれば、民主制の目的とは何かってことにもなるかと思いますが、大事なことは、有権者が「この政権はダメだ」と思ったときに、暴力に依らずに、平和的に為政者を政権から引きずりおろせる仕組みが担保されていることが大事だと思うのです。逆説的に見れば、投票率が低いということは、選挙が強制ではないという証明にもなるのです。選挙を強制するのは国や公共機関だけとは限りません。かつては日本でも、選挙の様子を町民同士、村民同士で相互監視して、おかしな投票行動をすると村八分にされる、ということもあったようです。そりゃ、そういうことをすれば投票率は高くなって当たり前ですよね。





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