育児主導権

 子供が生まれて早2年。
ミルク作ったり、飲ませたり、おむつ替えたり、遊んだり、できる限りのことはしてきた。
…そう、できる限り。

 育児主導権なんて言葉は世の中にはないと思うが、
生まれる前から、子供は母親のお腹で育ち、股を割って生まれてくる。
勝ち負けはないが、そもそものスタート地点が違う。
鼻っから勝ち目のないレースだ。

 妻には産休、育休があって、出産、子育てに専念できる。
それを隣で支えながら、仕事に勤しんで、しっかり稼ぐ。
これこそが男親の役割だと思っていたし、
その間に、子供はすっかりお母さん子だ。
2年もそんな生活をしてくれば、子供にとってお父さんなんて、
都合が良い遊び相手にしか過ぎない。

 そう、それでいい、それが父親の役目だと自分を納得させてきた。

 ところが、そんなある日、突然妻が入院しなければならなくなった。
いつもより早く起きて、ご飯を食べさせて、保育園に送ったら、自分の仕事を始める。
とは言いつつ、自分はサラリーマンで、出社が基本。
実行するには、在宅勤務を上長に相談し、業務都合をつける。
毎日そんなこともできない職場なので、難しい日は、隣に住む母にお願いする。

 出社の日は、遅くとも20時までには帰宅し、お風呂に入れて、寝かしつける。
自分が飯を食えるのはその後だ。
 その後風呂に入り、洗濯をし、飯を炊いて、明日の仕事の支度をする。
あっという間に24時だ。

 そんな生活を1ヶ月続けた。
過酷だった。心身ともにボロクソだ。
だが、毎日、子供は自分と風呂に入り、自分の横に寝ている。
2年前、妻の妊娠がわかってから、妻は子供に夢中、子供は母にべったり、
自分の妻は、もう自分の横にはいない。
お互い好きで結婚したはずが、いつの間にか片想いだった。

 世のお父さんはこうやって人生の終着地点に向かっていくのかと思うと、
なんとも悲しく辛いものなのだろうと、苦しくなった。

 それがここにきて、形勢逆転ホームラン。
退院してきた妻に見向きもしない息子。
やっと報われたと思いつつ、悲しい顔で横に立つ妻。
育児主導権は完全にこっちのものになった。

 たった1ヶ月だったが、地獄のような、天国のような1ヶ月だった。
こんなにも子供と向き合えたのは、妻のおかげとしか言いようがない。
そして、『できる限り』頑張っていた『つもり』の父親は、
その言葉通りの事しかできていなかったことを改めて実感した。

 世間では、連れ去り問題、共同親権が話題となっているが、
一緒に暮らそうが、そうでなかろうが、子供を育てる権利、義務は、父母ともに、
50%−50%であるべきだと思う。
そして、できれば産めない苦しさというものがあることを、妻を含めた、
世間のお母様にご理解いただきたい。

 そして、父親の育休は、期間限定の1回きりしか取得できない。
どうしてだろうか。育休は、言葉の通り育てるための休暇ではないのだろうか。
子育てに終わりはないことを、この制度を作った人は知らないのだろうか。
子育てしながら、仕事をする。そんな当たり前のことが、できていい時代。
出来なければいけない時代。
男が稼いで、女が家を守るなんて時代は、大昔に終わっている歴史の話だ。

 この子達が、子育てを始めるころにはどう変わっているのだろうか。
どう変えていくことができるのだろうか。


#育休から育業へ

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