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消費と、浪費と、しあわせ(とロトの鎧)について

どうもどうも。
今日は、(お医者さんの)アルバイトの日でして、坂の多い町で往診中の車に揺られております。

さて、すこし前になるんだけど、今年の冬に奮発して、伊勢丹で服を買ってやったのだ。

その服を、小売界のアリーナ姫的存在である最所あさみさんに「ゆうすけ先生らしい」といってもらい、ロジック立てて褒めてもらったんですよ。

むふふ。
おかげさまで、まんまと愛着が増しまくっているのだ。
百貨店時代も、きっといい売り手だったんだろな〜


冒頭のつぶやきの「偏愛と消費」みたいなことを考えるようになったのは、去年読んだ2冊の本がきっかけ。


この二冊に共通するテーマは「クリエイティブな消費」について。


ぼくは「生きづらさ」マニア であり 「しあわせ」マニアでもあるので、この「クリエイティブな消費」というワードにいい匂いを感じて、まんまと食いついた。


クリエイティブな消費ってなんだ。

多くの人が考えるモノの価値によって、そのモノの価格が決まる。

みんなが考える価値と同じだけのお金をつかうことは、「消費」
みんなが考える価値よりも多くのお金を使ってしまうことは、「浪費」

国分さんは、ひとの人生を真に「ゆたか」にするのは、実は「浪費」のほうではないか、と言っている。ふーむ。

だれかが「みんなの相場」以上のお金をわざわざ使うとき、それだけのお金を払うそのひとなりの「意味合い」が生まれているよね。

そこに、愛着やそのひと固有のストーリーが生まれやすくなる。
そうなると、そのモノはそのひとの偏愛の対象となり、それと触れ合っている時間が好きになる。こんまりさん風に言う、「触れると心がときめくモノ」になる。

クリエイティブな消費ってのは、きっとそういうことなのだろう。


・・・


さて、いままでのぼくの人生のなかでいちばんクリエイティブな消費は、「ロトの鎧」である。

何をいってるかわからないひともいるかとおもうので、もう一度言うけど「ロトの鎧」である。


これだ。

ロトの鎧(制作・ダークナイト様

その強靭な守備力、呪文や火炎・吹雪などにも強い耐性をもち、「ブルーメタル」によるヒーリング効果により歩くだけで身につけるものの体力を自動回復させ、マホトーンなど一部の補助呪文の効果を無効化し、バリアや毒の沼地からも身を守ってくれる最強の鎧。

かの勇者ロトの血を引く伝説の勇者だけが身につけられる最強装備である、あの「ロトのよろい」である。

まだ、何をいってるかわからないひともいるかもしれないが、もう少しだけ立ち去らずに聞いてほしい。


よく結婚式とかでさ、新郎新婦のプロフィールビデオとか、ちょっとした小芝居の映像を撮ったりするよね。
じぶんの結婚式であれをつくるために購入したものなのね。

学生のときにひょんなことから「甲冑通信」というサイトをみつけ、その作品ポートフォリオの中で蒼く燦然と輝くこいつを見つけてしまい、釘付けになった。

「いつか、これを着たい!!」

という想いを胸に、学生時代からコツコツお金を貯めて、研修医になってついに購入。

(ちなみに、完全オーダーメイドなので、結婚指輪のつぎに高い買い物になってしまった。)

ただ、そのときにつくったドラクエ風小芝居のムービーは、いまでも夫婦の節目のときに必ず見て、目を細めながらほっこりしている。鎧もハロウィンパーティーやらでもう何度も何度も着ているし、節句のときに飾ったりもしているから、もはや完全に元はとっている。

なにより、もう中年といっても差し支えないにもかかわらず、いまだに「勇者になりたい」とかいってる中二病が、実際に勇者の鎧を着ることで得られる多幸感というか、「いま、『わたし』らしい時間を生きてる!」という実感はこの上ない。それは、誰がなんと言おうと「ゆたか」なのである!

他のひとからみたら全く不合理なお金の使い方のなかには、だいたいそのひと固有の「ゆたかさ」が含まれている。


日々の生活のなかで、なんかムダに心が動かされるものがあったりするときに、その心の動きをよーくこらしてみつめることで、じぶんの欲求の理解がすすんだりする。それはまさにじぶんの編集行為で、その過程の先に、ほかの人とは違う、じぶんなりのモノサシが生まれ、じぶんだけの「ゆたかさ」を享受できるんだとおもう。
(決してムダ遣いに対して言い訳をしているわけではないんだよ。)


誰から聞いたか忘れちゃったけど、「本当にオシャレなひとは、生き方そのものがおしゃれだ」って言っていたのを覚えている。
そのひとなりの「カッコよさ」「うつくしさ」が定義でき、独自の審美眼をもって生きているひとはカッコイイなあとおもう。


近代になって、経済的に余裕が生まれ食う寝るに事欠かなくなったせいで、すぐに退屈に囚われてしまう生きづらーい時代になってしまった(笑)

余分な時間ができたせいで、「生きる意味とは」みたいなことを考えざるをえなくなってしまったことが、文明国の悲劇だと国分さんはいう。まったくもっておっしゃる通りだ。

そんな中で、不合理な偏愛の対象があり、そこにハマれるということは、死ぬまで大量に存在している「ヒマつぶし時間」を埋めていく上で、とってもありがたい。

もうすぐプレイ時間が800時間を越えようとしているスプラトゥーンは最高の時間の「浪費」だけど、それでいいし、むしろそれがいい。
人間だってしょせんは情動のアニマルなのだ。
脳みそを合理性に占拠されるのではなく、非合理な、「ただ、それと触れ合うことが好き」って言える時間や対象を、意識的に増やしたいなあとおもっている。 


みんなにとってのクリエイティブな消費ってなんだろう。
ぜひ参考にさせてもらいたいなー。

いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。