コミュニティの豊かさこそがwell-being向上につながる。「第一生命の歴史が込められた多世代が集うまちづくり」|地域のイノベーター見聞録 vol.5
取材・文:齊藤達郎/今中啓太(地域想合研究室)
東京都世田谷区給田(きゅうでん)にある「第一生命相娯園グラウンド」。ここで第一生命保険株式会社が、SETAGAYA Qs-GARDENと称してまちづくりを行っている。敷地面積約9ha。スポーツ施設、ファミリー向け分譲レジデンス、クリニックモール、学生向けレジデンス、健康増進型・賃貸シニアレジデンス、地域コミュニティ施設等が配置されている。特定のエリア内で多世代の住民を対象とした開発は珍しい。
この場所で、第一生命が多世代を対象としたまちづくりを行う意義とは? まちびらきに向けて企画された木樽制作に参加しつつ、今回のプロジェクトを推進してきた第一生命の堀 雅木さんにお話を伺うべく現地へ向かった。
SETAGAYA Qs-GARDENは、京王線仙川駅から徒歩で10分強のところにある。
取材当日は、そこで木桶職人復活プロジェクトを招いてのワークショップが開催された。小豆島のヤマロク醤油の方々とまちづくりメンバーが共同して、2日間かけて木桶を制作。これを使ってオリジナルコミュニティクラフトビールを作り2023年3月25日のまちびらきでお披露目した。
ヤマロク醤油の方によれば、戦後、都内では初の木桶造りだったそう。
こちらを企画した堀さんは第一生命でインハウスアーキテクトとして活動している。生命保険会社で建築の仕事とはあまり聞き慣れない。
堀さんの役割は、生命保険会社が不動産の所有者として、中長期的な視野で資産価値を安定的に高めるためのプランニングを担うことだそうだ。なるほど。建築などの不動産がどう価値を保つのかを考えるためには専門家の眼が必要なわけだ。
第一生命が68年以上保有し続けた土地でまちづくりをする
ワークショップ後、堀さんにSETAGAYA Qs-GARDENについてお話を伺った。
この場所は、1954年に第一生命が取得してから従業員向けの福利厚生施設として利用されてきた。そのため近隣住民には、ほとんど公開されてこなかった施設だった。
その後、時代の変化や敷地内グラウンドの稼働率が低下してきたこともあり、有効活用プロジェクトの検討が2016年に始まった。
「この土地は半世紀以上も豊かな自然が守られてきた場所です。短期的な収益のみを優先するのであれば、木々を大量に伐採して多くのマンションを建てるのが常とう手段なのかもしれません。ただ、そういった地球環境に高い負荷を加える開発を地域に根差した会社を目指している第一生命がやるべきなのか? そうしたことを慎重に時間をかけて議論しました」と堀さん。
この敷地は、第一種低層住居専用地域のため商業用途や大型施設は建築できず、さらには行政の計画道路が敷地内に入り込んでいて、敷地境界も未確定な部分も多い。つまり事業的には厳しい条件が揃っている。
しかし、と堀さんは語る。
「この場所を第一生命が持ち続けた理由、言い換えれば歴史そのものの価値を改めて見直し、その価値を次世代につないでいく。既存の緑を極力残しながら、事業化する区画を整備し、多世代が継続的に交流することで、豊かさを感じながら暮らすことができる、そんな第一生命らしいまちづくりを目指しました」
長い時間が育んだ豊かな自然を活かした公園
例えば、敷地内にある区立給田松の香公園にはウッドチップが敷き詰められている。子どもたちが転んでもなるべくケガをしないようにとの配慮だそう。また、この公園には遊具がほぼない。木製の平均台らしきものがあるだけだ。
「カラフルなすべり台などの遊具を設置したらどうかという意見もありましたが、豊かで背の高い木々や土地の隆起など既存の環境を存分に活かすこと、さまざまな世代が暮らすことを考えると、自然を生かした公園が最善ではないかと考えました。このウッドチップも敷地内で切らざるをえなかった木をチップ加工して再利用しています。フカフカ、ザクザクしているので歩いても気持ちいいです。ゴロゴロすると気持ちいいらしく犬にも好評です(笑)。いまとなっては、自慢の公園ですね」と堀さん。
錦織圭を含め数々のアスリートが利用したテニスコートを活かす
また、J&Sフィールド(SETAGAYA Qs-GARDEN 内の野球場)は、日中は世田谷区を通じて地域住民が利用し、夕方以降は日本女子体育大学が使うなど稼働率を高める工夫をしている。
全国小学生テニス選手権大会などが開催されていたテニスコートは、公益財団法人 日本テニス協会と連携してレッドクレー化した。これは世界4大大会の一つである全仏オープンの会場と同じ仕様である。
「屋外でレッドクレーコートを4面とれるテニスコートは、日本初の施設となります。プロの練習風景やジュニアの公式戦を間近で見られることは近隣住民や子供たちにとっても大きな刺激になると思います。ちなみに元々この地で行われてきた全国小学生テニス選手権の2001年大会では、当時小学生だった錦織圭選手が男子シングルスで優勝しています。自身はじめての優勝だったので思い出深い場所だと先日のオープニングイベントで話されていました。そんなエピソードもテニスファンの心をくすぐるかもしれません。歴史があることのひとつの恩恵ですよね」
環境を活かした再生可能エネルギーの実証実験
こうした施設のほかに実証実験も行っている。第一生命のESGインパクト投資先でもあるる株式会社チャレナジーと共同開発した都市型の風力発電機である。都市景観にもなじむ小型で、微風でも回るのが特徴。
「チャレナジーは、台風などの強風でも発電できる垂直軸型マグナス式風力発電機を開発している会社です。彼らのプロダクトは地方に設置されることが多い。つまり強風、大型、郊外となるのですが、これとは真逆の微風、小型、都心の風力発電を開発できないかと持ち掛け、ここにあるのが試作機・量産機の第1号です。太陽光発電とは違い夜間も発電します。ここは広域避難場所でもあるので、災害時の補助電源としては有効だと思います」
第一生命の歴史が垣間見える創業者の住宅と歴史の1ページを刻む吉田鉄郎設計による邸宅
敷地内には、蒼梧記念館(旧矢野邸)と光風亭(旧馬場邸)の2つの建物がある。
「蒼梧記念館は、第一生命の創業者である矢野恒太の自邸で、設計は松本與作です。1986年に矢野恒太がまちづくりに携わっていた田園調布からこの地に移築されたものです。昭和初期の住宅建築、特に日本建築と西洋建築を融和させた代表的な一例として評価されているだけあって、ディテールが当時ならではのものすごく手の込んだ仕様になっています。今、同じような建物を再現しようと思っても相当難しいと思いますね。
もうひとつの光風亭は、富山の実業家 馬場正治の別邸で、設計は吉田鉄郎。この周辺一帯は元々、馬場さんが所有していた別邸でゴルフ場としても使用していたそうです。当時からの木で樹齢が長いものも数多く残っています。その後、矢野恒太の息子である矢野一郎が4代目社長の時代に取得し、当社の福利厚生施設となりました。もしかするとその時が、SETAGAYA Qs-GARDENのはじまりとも言えるかもしれませんね。
また、矢野一郎は「会社は職員が健康に暮らせる場所にあるべきで、郊外に転出することは交通問題や都市問題の解決にもなる」という考え方のもと、東京から自然環境に恵まれた郊外へ本社機能を拡張し、その地のまちづくりも推進した先駆者でもありました。この郊外本社移転を契機に、矢野は、街づくり、特に地元との融和やコミュニティの在り方について、日本の社会課題と認識し、財団法人・地域社会研究所を設立して研究を深めました。豊かなコミュニティが、well-beingの向上につながるという意志を引き継いで、今回の開発につなげています」
冒頭で堀さんが語っていた「歴史そのものを見直して第一生命らしい開発」の意味するところが垣間見える。
まちびらきしてからが本番
2023年3月25日、SETAGAYA Qs-GARDENはまちびらきを迎えた。ひとつの区切りのタイミングにあたって堀さんは語る。
「今回は本当に多くの方々との関わりや協力のおかげでまちびらきに漕ぎつけることが出来ました。つくりあげること自体も大変でしたが、つくって終わりではないなとも思っています。きっとこれからが本番になるはずです。
新しくできたこのまちの活用を通じて、地域課題を解決したり、地域の方々の自己実現を支援したりできればよいと考えています。」
SETAGAYA Qs-GARDENの開発では、創業者等の思想が反映されている。創業から約120年という長い歴史を持つ会社ならではの、時代は変わっても人が人を思うことの大切さは変わらない、そういったことを具現化したプロジェクトなのではないか。
そして、これが住民に受け入れられるならば、とても良いまちになるのではないか。
そんな思いを持たずにはいられない、SETAGAYA Qs-GARDENに期待していきたい。
後日談
2023年3月15日。木桶で作られたクラフトビールのテイスティングに参加した。とてもさわやかな口当たりで飲みやすくおいしかったのだが、制作に関わったふたこ麦麦公社、籠屋ブルワリーさんによると「まだ若い」とのこと。今後、販売もされるそうなので、何年か後にはSETAGAYA Qs-GARDENとともに熟成がすすんでもっと美味しくなるのだろう。期待大である。