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勉強時間について

こんにちは。ぜんこうです。久しぶりの記事更新です。さて、今回は勉強時間についての記事になります。

1.勉強を時間で捉えることについて

先日以下のような質問が来ました。

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皆さんはこの勉強時間の捉え方について、どう考えるでしょうか。私は、これはあまり意味がないと考えています。

これの使い方を考えてみましょう。

①これを日数で割って「一日◯時間やろう!」としたとしたとき

ある日◯時間の勉強を終えてもまだしっかり理解していないとき、「◯時間分やったから」でそのままにしておくんでしょうか。

それとも「今日◯時間やったからあと2454時間だ!」という使い方でしょうか。

どちらにしろ意味がありません。

それにその何千時間だかをやったからといって、合格するとは限りません。時間を基準にすると意識として、勉強の内容より時間を重視してしまうので時間対効果も心配です。第一人によって理解力などが違うんですから、高校のレベルで分けるのもよくわかりません。分けるときりがないので便宜的な措置なのかもしれませんが、そもそもそこまでして作る意味があるかは疑問です。

これは受験生のデータ蓄積から作られた試算なのかもしれませんが、それは「自分のやるべきことを考え、実践した結果、かかった時間」のはずです。「合格者はこの時間勉強していた」はまあ間違いではありませんが、「この時間やれば受かる!」というのは違います。合格者がやっていた自己分析や工夫が、数字の前では見えなくなってしまうからです。「合格者が自己分析や工夫を積み重ねて4000時間勉強し、合格した」のなら、「時間だけを信じた人が漫然と問題集を4000時間繰り返し不合格になった」というのは当然のことです。

時間を基準に考えるとこのような思考停止的間違いを犯しやすいので私は推奨しません。

2.勉強時間との付き合い方

では、どう勉強時間を捉えれば良いのでしょうか。先程私は勉強時間を基準に考えることを否定しましたが、勉強時間はまったく考慮しなくてよいというわけでは決してありません。ある程度の物量をこなすことは絶対に必要ですし、そのためにはある程度の時間を要します。

言いたいのは、「時間をこなすことが目的になってはいけない。勉強には目的があって、時間はそれに伴うもの」ということです。

ですから毎日の勉強の節目は時間ではなく、内容です。進歩を見るのも、「○時間やった」ではなく、「〇〇をやって、⬜︎⬜︎が解けるようになった」で見るのが望ましいです。

それに、一定の勉強時間を確保できない日も存在します。気持ちが乗らない日、体調の悪い日などです。その日に所定の勉強時間が確保できなかったということで落ち込んでしまうのは、全く意味がないことです。その日できなかった分はリスケすればよいです。柔軟に計画を変える力も、大事な思考力の一つです。

やるべきことをしっかりやることを第一とし、勉強時間を積み上げた末に合格があります。同じ勉強時間でも、意識の差は密度の差を生み、受験生活が終わる頃には大きな差がついています

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