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【体験録】立て、まだ先がある -2月編/07-

 『人間』という言葉は概念だそうだ。この言葉にはヒトという意味のほか、世間、世の中を指すこともあれば、人間関係という意味にも用いられると。なんとも難しい日本語である。

 これを読んでくださっておる方も例外はあれど人間、ヒトであると思う。私も。

 ヒトは実に気まぐれで、我儘だ。自身の欲すら抑えられないし、一喜一憂しては疲れて果てる。

 前の『家庭訪問』から次の面談まで、私はそんな調子であった。なんとか、履歴書に学歴と職歴、免許と資格を書き込むことと最低限死なない活動だけは継続できた。あの反抗心や敵愾心に似たやる気がいつまでもあれば、まだ気分は違ったのだろう。未来に光を見ないままに夜闇で眠ることは、いたずらに不安をかきたてるばかりであった。

 だが弱い姿を誰にも見せたくなかった。出来うる身支度を整えて面談に臨む。向こうにとってみれば他にもいる多くの受給者の一人にすぎないなら、目立って弱々しくなるより目立たず動いてするりと抜けたい。

 私は再びセンターの前に自転車をとめた。さすがにもう来訪者用の駐輪場の位置は把握しているし、正しい入口も把握している。
 面談にはあの狭い個室が再びあてがわれた。違うのは就労サポートをするという女性が一人、私と担当者との間に入っているということだ。

「どうも初めまして! よろしくお願いします!」
 初見だがお元気そうでなによりだ。

「はじめまして。こちらこそよろしくお願いいたします」
 特別嫌いでも苦手でもないが、私は私のペースとテンションで応じた。ニッコニコしているそのお顔が接客用であることくらいは分かっている。

 ここに伺う途中の廊下ですれ違った。その服を着ている人は他に居ないし、このサポーターしか似合わないだろう。

「よろしくお願いします。それでは、ええと今後についてなんですが」
 ハキハキ元気なサポーターとは相変わらず対照的に、担当者はもそもそと紙を広げてメモの準備をする。サポーターも裏紙らしいコピー用紙を挟んだバインダーを机に置き、ペンを手にしている。

 担当者はとりあえず、認識を合わせるところから始めた。一月末から二月末にかけて、現状では受給資格が認められていること。『収入』に該当するものは全て申告すること。

 担当者はさすがに公の者だ。
「失業給付も『収入』なんですが、退社理由が自己都合の場合は、たしか、給付されるまでに三か月くらい空いちゃうんですよね」

 概要はおさえている。私の場合、失業給付の申請をしたのが一月末、生活保護の相談をする少し前なのでここから七日の待期期間があり、さらにそこから三か月は給付制限で失業給付が充てられない。この失業給付が得られるのは五月からになる。

 そこまで待ってられるか。
「そうですね。その前に仕事を見つけて、生活保護も失業給付も受けないで復帰したいです」

「いいわね、その意気は大事よ。就活は長引くほど不利になるから」
 サポーターの突然のタメ口も想定内である。
「働く意思は明確にあるということですね」
 タメ口と敬語丁寧語が混ざるのも大体想定内である。私は頷いてから言葉を返した。

「ええ。自分は幸いにも、ケガも病気もしていませんから、あるなら明日からでも働けます」
 働きたくない、というのは私の願望であるが、今はそんなことを言っている場合ではない。好きなことを我慢しながら切り詰め生活をしたいわけではない。好きな時に、好きなことを。シンプルだが理想の一つだ。

「分かりました。担当者から聞いてると思いますけど、私が就労のサポーターです。希望する仕事とか、職業訓練の案内をしてるの。失業給付があるなら、ハローワークがいいかしらね」

 再就職手当というものがある。恐らくこれのことだろう。確かハローワーク(公共職業安定所)からの紹介状で就職するともらえる、結構大きな額の手当だ。
 出来ればこれも頂いて復帰への足掛かりにしたいところだ。いくつかの条件クリアが必要だが今のところは問題なく突破できそうではある。

「そうですね」
「うん、じゃあそっち方面で探すわね。一応、他の求人広告も見るけれど」
 サポーターは言いつつ、さらさらとペンを走らせながらニッコリ笑ってみせた。
 ハローワークで仕事が見つかって仕事が回るようになればいいが、世の中の『仕事』は一人で完結するものではない。人間関係やチームワークが複雑に絡む。私が良くても先方が無理と判断すれば試用期間で終わることもある。

 生活保護と自己破産を同時に受けた人間が世間一般の『普通』ではないことくらい、私だってわかっている。

「あ、その前にちゃんと就労サポートについて話さないとだめよね」
「大雑把なところは伺っていますが」
「じゃあきちんと私から話すわね。すぐ終わるからちょっと聞いておいて」
 会話の主導権を握るのが上手い人だ。私が下手なだけでもある。
 なんにしても話を聞かないことには進まないらしいし、大人しくここは従おう。

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