見出し画像

【体験録】暗いトンネルに出口があるなら -2月編/19-

 実にタイムリーなことに、マイナスイベントの翌日はメンタルケアスタッフとの面談であった。これには就労サポーターが同席した。生活保護の担当者は外に出ていたか何かで不在であった。

 基本的に生活保護期間中に起こった出来事は担当者に伝わる。もちろん言わなくていいこと、例えば誰かと遊んだとか、どこの店の何が美味かったとか、そういう話はしなくていい。だが共有した方がいいことは話しておいた方が後で面倒がないと思う。

 体調、予想外の金の入出金、就職。この辺りは話しておくべきだ。今回のように担当者が不在にしていても、その場に同席したかその話を聞いた別の担当者が話を聞いてそれを伝えてくれる。

「初めまして。メンタルケアスタッフです。よろしくお願いいたします」
 前置きしていなかったが、もちろんここではスタッフさんの本名を書かないことを許していただきたい。

 メンタルケアスタッフは男性だが終始ニコニコと笑顔で、ゆっくりとして穏やかな声と話し口の人物だった。今の私の生活にテレビはないのだが、テレビ番組に出演していた某戦場カメラマンを連想させた。体系も雰囲気も違うが何かが似ている。

「よろしくお願いいたします」
 挨拶をしながらもふと気づいた。このメンタルケアスタッフはある一瞬だけ、鋭い目を見せる。見た目以上に経験値が積まれているのかもしれない。

「はい、よろしくお願いします!」
 隣に座る就労サポーターとは全く雰囲気が違う。

 因みにこの『メンタルケアスタッフ』だが、生活保護受給者だけでなく区の政策によって活動をしているらしい。区は生活のあらゆる支援を提案して実行しているなかの一つというわけだ。今回お顔を合わせたスタッフのほかにあと五人いると伺っている。

 カウンセリング希望者の母数を思うと少ない気がする。

「じゃあ、今日なんだけど」
 就労サポーターはメモの用意をしながら言った。

「この人はメンタル面のサポートの、プロフェッショナルなの。だから不安に感じてることとかあればなんでも言って!」
「はいー」
 メンタルケアスタッフは相変わらず笑顔をたやさず頷いた。

「で、必要があったら生活保護の担当者にも話しておくから安心して! それでは……そうね、あれから一週間くらい経ったのかしら。何か大きな変化はあった?]

 就労サポーターと最後に会ったのは、そうか。そんなに経つのか。年を重ねると時間の流れが早いとは聞くがこれほどとは。病院や銀行に慌ただしく動いていたこともそうだろう。

「変化というほどのものはありませんが、まずは医療扶助で検診に行きました」
「あら、早いのね」

 そうか? すぐに就活に入りたいので先に終わらせておきたかっただけなのだが。

「まず歯科ですね。継続して治療を受けることになりました。虫歯ではないんですが、歯が無くなってしまっていて」
「歯ってなくなるの?」
「歯ぎしりや必要以上に噛みしめることで歯同士が擦れあい、削ってしまうんです」

 学生時代からの悪癖である。顎関節症でもある。もしこれがもっと早く分かれば違ったかもしれない。私はゲームが好きなのだが、たまにある『食いしばりスキル』のように辛い場面、苦しい場面を耐えようとすることが日常化するとこの現象に見舞われやすいのだそうだ。

「ふうん、そうなんだ」
「まあ、それで神経がほぼむき出し状態なので、これを治療する流れです。歯科は継続して通院します。次に皮膚科ですが、これは『しもやけ』でした。軟膏と飲み薬を処方していただき、飲み終えても治らなかったり悪化することがあればまた病院に来るように言われています」

「しもやけ? 今のご時世に?」
 メンタルケアスタッフが口を出したそうにしているが、言葉を挟みにくく思っているようだ。一瞬だけ見えた鋭い眼差しはすっかり消え失せて、おろおろと落ち着かなげにしている。

「自分は家で暖房を使っていませんし、生活保護を受ける前は食を削っていました。医者からは軽い栄養失調状態だったのではと」

 条件は揃っていたわけである。確かに肉や野菜は一日一回、他の食事は白米だけやうどんだけだったりした。たまにするならまだしも、これが二週間や一ヶ月となると状況は変わってしまうだろう。

「最後に内科、低血圧と低血糖ですがこれは血液検査と尿検査を行ってもらいました。……数値は全体的に低いが異常ではないそうです。二月からは生活扶助費もあるので、食材が買えるようになりましたし、大丈夫だと思います」

 医者に言わせると『体調が悪いとそもそも検診に出向くことができない』そうだ。なので割と調子のよい状態で血液や尿の検査をしても、たとえ大きな病気が潜んでいたとしても分かりにくいのだと語っていた。

 とはいえまあ、私の朝が起きれないとか動けないというのはつまり怠慢だったわけだ。確かにそれはあると思う。将来どころか来週、明日の生活すら不安を抱いてひと時も心休まらない。そんな毎日では、いかに澄んだ空気の晴天の朝であろうと何も感じないのである。
 どうせ何も出来ないから。

「そう、良かった! 気にしてたのよ。だってこれから就活するわけでしょう? 不安は取り除いておくに越したことないもんね。うん、じゃあ身体の方は心配ないわけね」

 身体の方はね。
 私は言葉に出さずにそう頷いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?