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シーラカンスの扉 【小説】

シーラカンスの扉  
                                       
      一
 本館と呼ばれるその石造りの建物には、八月の炎熱の巷のなかで、ここだけひんやりと、変化が常の世間とは別の時間が流れていた。
 この建物は、昭和の初期に、その会社の前身である六泉財閥のヘッドクォーターとして建てられた。花崗岩の外壁には、ギリシャ風の列柱が立てられ、その財閥が営む各種産業を象徴する、秤や歯車をはじめとする文様の浮き彫りが、窓を飾っていた。
 ナリヒラは、そのような本館の来歴を知る由もない、就職活動中の大学生であった。
 彼は、その会社の新人採用の面接のために、本館の廊下を、人事部の職員の案内に従ってたどっていた。その廊下は、壁も床も磨き上げた大理石張りで、石の上に敷かれた赤い絨毯が長く続いていた。ナリヒラは、たくさんの鋼鉄の扉の前を通過して、ある扉の前に立った。そこが面接室であった。
 その扉を開けると、そこには小さな附室があり、さらにもう一枚の扉が室内とを隔てていた。
 彼が二枚目の扉を開けて会議室に入ると、部屋の奥に暖炉が設けられているのに目が留まった。もちろん猛暑の季節であり、暖炉にはこの時分には用のない石炭がいくつか、冷たく黒光りしているばかりであった。壁には楕円形の鏡を背にした燭台型の照明がいくつもならんでいて、照明器具の笠は布張りでやや黄ばんでいた。窓にはレースのカーテンが下がり、道向かいの百貨店の窓が透けて見えた。暖炉の前には、面接担当の四人の中年の男性が、この夏のさなかにいずれも上着を着て長机に就いていて、ナリヒラが入室してもすぐには目を上げることなく、机上の書類を睨んでいた。
 面接は数分の短いものであった。面接担当は、名前、学部、志望動機、成績など、型通りに尋ねた。
 面接担当の一人が、急に書類から目を上げて、ナリヒラに向き直った。
「自分の長所はひとことで言うとなんですか?」
「うそがきらいなことです。」
 面接担当は、何も言わずにナリヒラの目を覗いていたが、やがてちらっと彼の隣にいる上席らしい人物と目配せをしたあと、また書類に目を落として、つぎのように言った。
「面接は以上で終了です。ご苦労さまでした。」
気が付くと、彼の後ろで、二枚の鋼鉄の扉がヒンジの擦れる音を立てて、続いてラッチを受けるストライクの確かな手ごたえのある音が聞こえた。
 こうして面接が終わって、ナリヒラはエレベーターに乗った。
 エレベーターが一旦五階で止まると、車椅子の紳士が、付添の女性を伴って乗り込んだ。紳士は、七十歳は優に超えていると思われる老人で、ツイードの背広の長身を椅子に委ねながら、眼鏡の奥の大きな目でこちらを一瞥して、軽く会釈した。ナリヒラは、思わずお辞儀を返した。
 エレベーターが古びた鈴の音をかん高くひとつ鳴らして一階に着くと、ナリヒラは扉の開ボタンを操作して、先に紳士を通すことにした。紳士と付添人は、それぞれ軽く頭を傾けて、
「ありがとう」
と言って降りて行った。エレベーターの向こうの、本館の裏玄関の前には、黒塗りのセダンが停まっていて、運転手が扉を開けて紳士を車に乗せた。
 ナリヒラの下宿に、その会社の採用内定の通知の電話があったのは、その日の夕方であった。     
      
 昭和も六十年を数え、戦前はすでに遠いものとなった時代であった。
 この六泉財閥も、敗戦後にGHQの命令で解体され、創業家一族の持株は公開を強制され、財閥のヘッドクォーターは消滅して、その法人格は元の子会社の一つである、ナリヒラの勤める六泉興産という小さな会社に吸収された。
 かつて、創業家の一族は「ご同族」と呼ばれ、従業員はその上下を問わず、同族の使用人であった。創業家は創業者の子孫の代で株の分かれた六つの家で構成されていて、そのうちの一つの家が総領家として一族を束ねていた。従業員のトップは理事長と呼ばれ、国から爵位を賜った者もあったが、同族は、理事長をほかの従業員と分け隔てすることなく、苗字を呼び捨てにする慣習であった。
 本館の中でも、同族の部屋は壁が全面板張りであったが、理事長の部屋では板張りは腰壁までであった。
 新入社員のナリヒラは、こうした昔の話を、折に触れて先輩から聞かされた。
彼の配属先にいた、四十歳代なかばかと思われる女子社員は、初対面の彼に、
「大学を出ていても、六泉に勤めるっていうことは、丁稚奉公に出たってことなのよ。」
と教えた。
 この女子社員は、同僚から「おサダさん」と呼ばれていた。
 彼女は、この会社が保有しているビルでエレベーターガールをしていたのを、ある縁があってこの会社に雇われるようになったということであった。
 おサダさんは、普通の社員が用事もなくおいそれとは入れない役員室でも、よその部門の部長室でも、つかつかと入って行って、世間話をしてくるのが日常であった。それは、従業員が数百名という社内では誰でもが知っていることで、彼女が誰に聞かれる遠慮もせずに、おきゃんな調子で話し始めると、すっかり話の内容までがまわりのみんなにわかってしまうのだった。
 ちなみに、ナリヒラが同僚から「シーラちゃん」と呼ばれるようになったことにも、おサダさんが関わっていた。
 ナリヒラが入社して二週間ぐらい経ったころに、おサダさんから、
「あんたの学校の先輩でテツさんという人がいるから、挨拶に連れて行ってあげるけど、どう?」
と声がかかった。
 テツさんは、九州の炭鉱町で炭坑夫の六男として生まれ、地元きっての秀才であり、大学では一九七〇年安保闘争で学生運動のリーダーの一人であったという噂であった。会社きっての論客として知られていて、会社の幹部であるテツさんに承認のハンコをもらいにゆくのは、赤子が虎の穴に入るようなものだという話も、入社後間もないナリヒラの耳に入っていた。
「それで、学生時代は何をやっていた?」
「フランス法のゼミで、憲法制定権力と議会制民主主義との・・・」
 ナリヒラは、高校時代には作曲家ラヴェルの音楽に凝って、アルバイトをして得た収入でレコードや総譜を買い込み、大学の文学部に進学して音楽美学を研究したいとまで考えたが、家庭の経済的事情から、法学部に進み、祖母と父親の二人の残る実家の家計にいくらかでも貢献するために、実業の道を職業に選んだのであった。
 テツさんはナリヒラの言葉を遮った。
「いや、そんな勉強の話じゃなくて、有り余るほどあったはずの時間を何に使っていたかって聞いているんだ。」
「はあ、漢詩を少々作っていました。」
「漢詩って、五言絶句とか?」
「はい、ただ漢字を並べればよいのではなくて、中国の唐の時代からのルールを守って、当時の古語を使って作るんです。最近では夏目漱石も漢詩を作っていました。」
 ナリヒラは、高校で漢文と古文が得意で、漢詩に接するうちに、作詩の方法を知って、自分でも作るようになったのだった。
「夏目漱石が、最近、か?」
 テツさんは、度の強そうな眼鏡でナリヒラの顔を覗き込んだ。
「今時、勉強のほかに漢詩やっていたなんて、まったく古代人に属するな。おれが学生の時にもそんな奴はいなかった。因習をぶち壊そうとは思いもつかないご仁だ。まるでシーラカンスだな。」
 そばにいたおサダさんは、このやりとりを聞いて、「シーラカンスのシーラちゃん」、略して「シーラちゃん」という綽名をナリヒラにつけたのであった。
「テツさんは、シーラちゃんとおんなじで、小さいときから鉛筆一本で試験をいくつもとおってここまで来たんだけど、ここじゃあ、そういう『エンピツモノ』は珍しかったのよ。」
「それは、まだ戦後しばらくは、縁故で入社した方が多いということですか?」
「今はシーラちゃんみたいな『エンピツモノ』がふつうに入ってくるけれど、もともとはご同族のお膝元だから、そこに息子や娘を出しておきたいという人が多かったわけよ。みんな、手土産に、何億円もする商談や利権や人脈を実家から持ってここに来ているのよ。シーラちゃんはただで入ってきて、お給料まで貰うんだから、その分、心得ておかなきゃいけないことがあるわ。」
「心得といいますと?」
「そのうち自分でわかるだろうけど。あたしもそういう気分になったら、教えてあげてもいいわよ。」
      
 ナリヒラの直属の上司になった課長は、取引先への挨拶に行くハイヤーの車内で、通りがかりの公園の八重桜を見て、つぎのように言った。
「ぼくは桜の木が何百本もあるようなところで花見をするのはあまり好きじゃないんだ。広い庭で、よく見れば桜もある、というところで、ゆっくり桜を鑑賞するのが本当の花見だと思う・・・年をとって引退したら、華道を習ってみたいと思っているんだ。」
 アイロンのきちんとかかったズボンで、ひざは組むことなくいつも揃えている人であった。しかし、そのような行儀の良さと対照をなすように、ジャッカルのようにつり上がった目は、たまに機嫌よさそうに細められることはあっても、決して笑みを含むことがなかった。
 ナリヒラはこの上司の下で、この会社の基本となる行儀作法をそれから三年間折にふれて教わることになった。それは、言葉でではなく、日常の挙措動作のまねをすることを通じておのずと身に着くというものであった。
たとえば、お客様への最敬礼は、両膝をそろえて、膝の少し上に掌を置いて、ほんの少し膝を曲げて腰を落とし気味にすると丁寧に見えることがわかった。会社でまわりをよく見ると、この会社に勤める者はたいてい同様のお辞儀をしていた。
 電話では、自分たちのことは「手前ども」と言うのが慣習であることもわかった。
 こういった挙措動作は、課長がかつて長く社長の秘書を務めるなかで、おのずと身についたものであった。
 ところが、相手先の要望をお断りする場面では、静かで丁寧な言葉遣いを一切崩すことなく、時に脅し文句を交えて粘る相手を前にして、
「ご依頼の件は、手前どもの力足らずで、まことに申し訳ございません。」
と、何時間でも当方の意思を、言葉少なに、しかし断固と繰り返すだけで、一歩も引くところがなかった。その行儀の良さが彼の社会的背景の大きさを感じさせて、かえって凄みになった。社長の秘書として、なにがしかの利権にありつこうと必死に食い下がる海千山千の人士の前裁きをする手腕とは、こういうことかと思った。彼は、六泉グループの中枢に近づこうとする誰もが通らなければならない扉であった。
 そして、何時間もの押し問答の末に、相手が何がしか気色ばんだ捨て台詞を残して帰ってゆくと、彼は横にいたナリヒラに何の感想も述べることもなく、普段の調子で、
「さて、つぎの予定は・・・」
と細い目で手帳を覗くのであった。
 この課長の席を、時々彼と同期入社の友人が立ち寄った。
 その友人は、ミタニさんという関西の支店の幹部で、上京するたびに顔を見せていた。
「今年の株主総会も、平穏に終わってよかったな。」
 ミタニさんは、課長席の前の応接セットに座ると、京扇子を上着の懐から取り出して煽ぎながら、このように話を始めた。
 課長は、課長席から同じく応接セットに腰を移して言った。
「総会が終わると、いよいよ夏の始まりだな。鴨川の川床は涼しいんだろうな。」
「むこうの夏は、とにかく暑いよ。祇園に行っても、座敷にクーラーがなくて扇風機のところが多くてね。」
「暑くったって、東京にはない楽しみがあるみたいじゃないか。」
「関西のお金持ちは、こっちでは想像できないぐらい、けたが二つぐらい違う暮らしぶりだから、財閥と言っても六泉みたいに昼も夜もなく働くのとは、文化が違っている。これでも俺は勤め人だから、時間も出費もけっこうたいへんなんだよ。およばれすれば、それと同じぐらいのお返しをしないといけない。特に和風のつきあいがたいへんなんだ。一山あるようなお屋敷で、代々伝わる宝物から季節の器を蔵からえりすぐってきて、一流の料理人があつらえた食事を出されるんだけど、こちらは単身赴任の身だから、料亭の座敷を借りてお返しするだけで、能がないもんだ。」
「うん、まあ、様子はわかるけどね。関西といえば、最近は芝居でも関西の舞台をそのまま東京に持って来るから、わざわざ出向かないとお目にかかれないというものも減ったな。この間、関西の鉄道会社の社長がこっちで桜を見る園遊会を開いて、ぼくも専務のお相伴をしたんだけれど、むこうさんは歌劇団の男役の女優を二人連れて来たよ。」
「ふうん、むこうじゃ、そりゃ、とんでもないことなんだぞ。熱心なファンが聞いたら、そんなことを許さないよ。女優の誰が来ていたのか、黙っていた方が君の身のためだ。」
 ミタニさんはそう言うと、浮世絵の役者のような細い顔に笑みを作った。
 課長とミタニさんとのやりとりは、このように、大勢の観衆の見つめる舞台の上で行なわれているかのように、いつも華やいで聞こえた。それは、田舎からそれこそ鉛筆一本で東京に出て来たナリヒラには、なじみのあるはずもない華やぎであった。彼は、この本館の中の空気は、自分が吸ってきた空気とはまったく違うと思った。そして、深海の海底に住まいを定めているシーラカンスのように、この本館の空気の中にいつか自分の居場所を見出すことがはたしてできるだろうか、と思った。
 課長やミタニさんに限らず、この会社には、世間的にあまり見かけないタイプの人が多いと、世間知らずのナリヒラは思った。
 たとえば、かつて学生時代に花園ラグビー場や神宮球場を沸かした学生スポーツの錚々たる選手だった人が、二十代から五十代までそろっているのであった。そのため、会社の体育会系のクラブは、ナショナルチームOBの顔見世のようであった。
 体も声も大きく、飲食となると人並みの量ではとても済まない同僚の中で、「エンピツモノ」のナリヒラは、彼らが形作ってきた、先輩後輩の序列の厳しいこの会社の流儀を見様見真似で身に着けて行った。同僚たちは、さすが一流選手であっただけに、腕づくで無茶を強いるようなことはなく、宴会でも酒を飲めないナリヒラを手加減して扱ってくれた。
 課長と同期入社の親友で、隣の課の課長をしていたのは、おサダさんに「ギンギラハヤト」と綽名をつけられていた。
 ギンギラハヤトは、いつも絹の入った光沢のある布地の背広を好んで着ていて、ネクタイピンにもカフスにもダイヤモンドを光らせていた。彼は戦後すぐにある官庁の長官を務めた官僚の息子ということであったが、つねづね、
「おれは法律よりもラグビーに興味があったから、親父のようにはならなかったんだ。」
と言っていた。ナリヒラは、彼が外車のスポーツカーの白い革張りの運転席で、ホイールを握って通勤しているのを何度も見かけた。
 彼は、電話は自分では決してかけなかった。正確に言えば、部下に電話のダイヤルを回させて、眼の前にうやうやしく突き出された受話器を
「ウム」
とうなずいて受け取るなり、相手と話し始めるのであった。
「うちの会社の昔の人に比べると、おれなんか、つつましいもんだぜ。おれが会社に入り立てのころ、うちの偉いさんが相撲の横綱のタニマチだったんで、触れ太鼓の行列で本館まで横綱が挨拶に来たことがあった。窓からみんな顔を出して行列をのぞいててね、そりゃ、にぎやかなもんだった。ご祝儀も相当はずんだんじゃないか。」
 幾分芝居がかった所作が目立つ人であったが、それがこの人の可愛げでもあった。親分肌なので、若者には人気があった。
 彼の机の引き出しには、上品とは言い難い写真ばかりの載った雑誌が何冊か入っているだけで、普段はそういう読み物を眺めているのであるが、一旦部下がトラブルに巻き込まれると、
「おれが行くから代われ。」
と言って、剣呑な相手の本拠に出かけて行くのであった。そして、どこのどういうツテで話をつけるのかはわからなかったが、不思議なことに、たいていの問題はそれで解決してしまうのであった。
 ナリヒラがある時、同僚と、誰がどこに人事異動になったのかなど、こそこそ話していると、彼は横目でナリヒラを見て、
「おまえがそんなバカだったとは今まで思わなかった!」
と一喝した。
 そのとき、ナリヒラは、以前おサダさんに言われた「心得」という言葉を咄嗟に思い出して、冷や汗が流れた。
 何かしらの事情があっての人事異動の表っつらだけを見て、「ああだ、こうだ」と口をきいていたことが、その一喝を招いたことは明らかだった。
 ナリヒラは、おサダさんに、ギンギラハヤトさんから一喝された話をした。
「うまく説明できないのですが、一喝された理由はわかるような気がしました。」
 おサダさんの眼が、一瞬ナリヒラの眼と合った。
「シーラちゃん、わかったのね。そうこなくっちゃね。」
 おサダさんは、人と話をするときは、相手の眼を見ないのであったが、このときは、さらにあさっての方角に顔を向けて続けた。
「ここで起こることは、つじつまが合わないようでも、それなりのいきさつからそうなっているんだから、表に見えることだけでわかったつもりになるのはまちがっているっていうこと。そして、あなたたちは何かしら起こったときに、世間が見ておかしくないようにカバーをすること。自分の理屈で理解できないからといって、決して余計な詮索やとがめ立てをしないこと。本館の玄関の扉をみてごらんなさい。建物の中では六十年の間いろんなことがあったけれど、扉はいつもしっかり閉まっているでしょ。中でなにがあっても、もっともらしい『扉』になっているのが、あんたたちの役目なのよ。」 
 ナリヒラは、今言われたことを頭のなかで繰り返して、なんとか理解しようとしていた。
「たとえば、テツさんは論客で歯に衣をきせない方のようですが・・・」
「テツさんだって、役目をはずすようなことがあれば、今のようにはしていられないわ。」
ナリヒラは、余計な詮索はするなという趣旨にとりあえず従うことにして、それ以上は聞かないことにした。 
     
八月下旬のある日、上司から、都内某所の会社資産について、大正年間に取得した際の資料を探すよう命じられた。ナリヒラは、おサダさんと、もう一人の同僚との三人で、本館の地下にある書庫に行って、古い資料を探し出すことになった。
今まで一度も足を踏み入れたことのない本館の地下二階にエレベーターが例のかん高い鈴の音をひとつ響かせて着床すると、冷たくよどんだ空気がエレベーターの籠に流れてきた。
地下の廊下は、黄色い裸電球がところどころについているほの暗い場所であった。
 この廊下をしばらく進むうちに、金属を小槌でたたくような、澄んだ音が繰り返し耳に入ってきた。
「シーラちゃん、ここは初めてね?そこの左の隅の部屋は、ロクさんの部屋よ。」
「ロクさんというのは?」
おサダさんの説明によると、ロクさんは、戦後すぐに採用された技術社員で、当時は電球を替えたり、建具の不具合を直したり、そういう技術作業を行なう人が何人も雇われていたらしい。その後、技術社員のほとんどは、事務社員に職種転換したのだが、ロクさんだけは、
「自分は旋盤を回している方が性にあっている。」
と言って、職種転換しないで、今もこの部屋にたった一人通ってきて、本館の部品を作っているとのことだった。ことに本館の建具は、すべて昭和初期の手造りのもので、市販の代替品がないのであった。
「ロクさんがいなくなると、ノブを造る人がほかにいないから、扉が故障すると開けられなくなるらしいわよ。」
 ロクさんの金属を加工する槌音は、秋の虫のカネタタキのたてる音のように廊下に響いていた。
 地下倉庫の扉の前にたどり着くと、真鍮の大きな鍵束から扉番号に合う鍵を探して、情前に合わせると、コトリと音を立てて錠が開いた。
 一年のうちに点燈されるのは数回にすぎないはずの照明を点燈すると、薄暗い室内に、見通したかぎりざっと百個近い段ボール箱が、上中下の三段に並んでいた。
 背の高い同僚とナリヒラとで、持参の懐中電灯をたよりにしながら、心当たりの段ボール箱を書架から降ろすと、何十年分ともわからないほこりがわれわれの頭上に降ってきた。おサダさんは、レースのハンカチで、やや古風な大きなウェイブの髪にかかった塵を払いながら、数歩さがってその作業を見ていた。
 目当ての書類は毛筆で
「拙者所有末尾記載ノ不動産ヲ六泉合名會社ニ譲渡スルニ際シ以下各条ノ記載ニ相違ナキコトヲ確約スルモノナリ・・・」
云々と文語体で書きつづったもので、末尾には大正時代に首相を勤めたことがあるはずの高名な陸軍軍人の署名があった。
「さあ、長居は無用、はやく上がりましょ。ここの錠前は内側からは開かないかもよ。」
 おサダさんはこう言って、けたけた声を立てて笑った。
 ロクさんの槌音以外、外の音が遮断されているこの倉庫で、三人が黙って立っていられるのは、五分がせいぜいかと思われた。
 同僚が、わざと声を励まして、
「ここはお化けとか、出たりするんですかね?」
と尋ねると、おサダさんは、はっきりした口調で、
「出るわよ。」
と、あたりまえのことのように答えた。
 倉庫にいたのはせいぜい十五分程度であったが、倉庫を出て地上の事務所に戻ったときには、何年も経った後のような感じがした。
 その夜、ナリヒラは夢を見た。
 ナリヒラはトンネルの中にいて、入口も出口も見えないなかに、たくさんの人が煤だらけになって働いている。
 よく見ると、一人一人が鑿や鶴嘴やシャベルやモッコを持って、トンネルの突き当りを掘り進む作業に携わっている。
 ナリヒラのすぐそばには火の焚かれていない暖炉があって、冷たそうな石炭が黒く光っている。
 場面が急転して、分厚い真鍮の扉が現れる。扉の表面には、何百何千もの指紋がついていて、鱗粉のように、さまざまな色彩を醸し出しながら光っている。
 そして、扉の内側から、鉦を打ち続けるような金属音に乗って、たくさんの男女の声が、ポリフォニーになって鳴り響き、それぞれの旋律で歌っている。どの旋律が主旋律ということはなく、ある声がひときわ浮かび上がったかと思うと、また別の声が代わりに浮かび上がってくる。歌詞は判然としないが、なにものかを懐かしみ嘆いているような曲調である。
 ポリフォニーの合唱がハーモニーになって次第に高まった。ナリヒラは、真鍮の扉の中から響いている合唱の正体を確かめようと、扉を押して開けた。扉はヒンジの擦れる音を立てながら厳かに開いたが、中に入るとさらに別の同じような真鍮の扉があった。その扉を開けようとすると、ナリヒラの後ろで初めの扉が手ごたえのある音をたてて閉じた。つぎの扉を開けて中を見ると、また次の扉が現れた。ナリヒラはそうやって、次々に新たな扉を開ける作業を繰り返していた・・・
気が付くと、ナリヒラはベッドの上で汗まみれで横たわっていた。
 ナリヒラは、おサダさんが
「出るわよ。」
と言ったのは、本当だったと思った。      

      二
「この間な、
『お客さんと取引してだいじょうぶかどうか確かめるには、少なくとも流動比率を計算せなあかん』
いうて、部の会議で発言したら、『流動比率』いう言葉を知っとったのは部長のテツさんだけやった。こんなん、ビジネスマンのイロハのイやで。」
 この本館で滅多に耳にしない関西弁は、モリさんの声であった。
 モリさんは、ナリヒラより会社の入社が二年早い先輩で、会社で珍しい理科系の学部出身であった。おサダさんの言葉で「エンピツモノ」であることはまちがいなかった。
「ほんま、シャレで会社員やっとるような坊ちゃんは、みんな人柄はええけど、仕事の方は家来がやるもんと、はなから思うとる。ゴルフのクラブより重いもんは持ったことあらへんのとちゃうか・・・」
 彼は、歯に衣を着せず思ったことをまくしたてるので、社内では眉をひそめる向きも多かった。ナリヒラには気安かったらしく、いつも普段にもまして思うことをずばずばと話した。
「それでも、それぞれいろいろな事情があるみたいですよ。何かを犠牲にしてご実家のためにこの場に来ているとか聞きますよ・・・」
「そんなん、言い出したらキリないわ。母子家庭の金物屋から、なんのつてもない東京に出てきたワシはどうなるちゅうんや?いなかでおかんは一人暮らしや。ここんとこ、忙しうて、そうそう新幹線乗って帰ってやるわけにもいかんし。」
 事務所内が比較的閑散としている午後の時間ではあったが、ナリヒラはほかの人の耳に会話が聞こえてしまうのではと気を回して、話題を無理矢理転じることにした。
「ところで、最近、版画は作ってますか?」
 モリさんの趣味は版画で、アルブレヒト・デューラーの作品を思わせるような銅版画の人物像が得意であった。
「ワシは家でひとりきりやから、やるこというたら、家事のほかには版画しかあらへん。今度できたらまた見せたるわ。」
 ナリヒラは、普段のモリさんのガラガラした話し方と、線画の繊細な版画作品とのコントラストに違和感があったが、知り合って半年もすると、案外この人なりに両者のバランスがとれているのがわかった。
「版画というと、社内で版画を版木に掘っている人がいましたよ。」
「ああ、シーラちゃん、役員室に行ったんやな。」
「そうです。あの方は、ご自分の部屋で、おてすきの時間には、版木を掘っておられるそうですね。」
「相談役ともなると、そういう時間があるんやなあ。あちらは日本風の版画で、版木をゴリゴリ掘らはるのや。」
「作業の最中も、背広の上着をきちんと着て、お顔を板に擦り付けるようにして掘っておられました。」
「あの方は、真夏でも上着を脱がはることはないらしいで。戦前の入社やから、行儀作法をうるそう仕込まれたんやろう。副社長まで勤めはって、外向きの用で忙しい社長に厄介かけへんように、社内のことはひとりで一手に引き受けてはったらしいわ。」
 モリさんはここで一旦言葉を切って、しばらくしてこう続けた。
「そういえば、相談役もなにかしら犠牲にしはったのやろうなあ。いつも社長の補佐役で、地味にしてはったからなあ。どんなことを思うて、彫刻刀を握ってはるのやろうか・・・」
 モリさんは、決してデリカシーのないタイプではなかった。微妙な表現を彫刻刀の細い線に託するセンスは、彼にごく近い人にしか知られていなかった。
「モリさんは、版画を作られているとき、何を考えているんですか?」
「そりゃ、考えの流れは一刻も止まらんから、とても無念無想とはいかへんけど、ラジオみたいに頭の中で鳴るにまかせて、気にせんと手を動かすだけや。」
      

昭和六十一年になると、世間の景気はさらに熱気を帯びてきた。六泉興産も世間の潮流の例外にもれず、借入金を増やして新規投資に充てれば、必ず利益が増えるという仕組みにのめり込んで行った。
切れ者で通るテツさんは、そのような新しい事業の旗頭で、世間ずれしていない上司の黙認のもとで、業務を次々に拡大して行った。
 会議の席で、テツさんが
「・・・という方針で実施したいと思います。詳細は専務から説明します。」
と言って、それを受けてテツさんの上司の専務が自分の手帳を取り出して、詳細の数字を説明するようなこともあった。
 テツさんの部下は、連日深夜まで残業して、テツさんの次々に湧き出すアイディアを形にするために、若いエネルギーを注力していた。
「こんなに手を広げて、ええんかなって、時々思うんやけど・・・」
 残業の合間に、出前の玉子丼をかき込みながら、モリさんはこう言った。
「お金を借りれば儲かるいうのは、ワシのおかんの金物屋では考えられへん。借金はいつかは返さなあかん。投資利回りよりも金利が上がってしもうたら、借金が返せへんようになる。」
「会社が今の方法で拡大すれば、株主には喜ばれるんですから、たぶん続きますよ。銀行もどんどんお金を貸してくれるそうです。」
「銀行は、雨の降らん時に傘を借りへんかと持ちかけておいて、雨が降ると傘を取り上げるところや。テツさんは商売人としてはどうなんやろうか?どういうそろばんを弾いてはるのやら、ようわからんようになる。」
 話の内容は、会社の経営のあり方にまさに関わるもので、とても残業の間の休憩の若手社員の雑談としては重たいものであった。
「テツさんが会議で話される時に、必ず付け加えるフレーズがありますね。」
「そんなもんあったかいな?なんや?」
「『今の経済情勢が継続すれば』というフレーズです。『今の経済情勢が継続すれば、本件投資は三十年で回収される見込みである』とか。そういう前提でそろばんを弾いているということじゃないでしょうか?」
「うぅむ、将来については、誰も確たることは言えないからな。でも、しがない商売人の子としては、ええんかいな、という気がするんや。あきんどは、将来の読みがちごうたら、店をたたまなならん。サラリーマンとはちがうんや。」
「テツさんは、たぶんサラリーマンとしては優等生なんでしょう。」
「優等生にまかせれば、店の命運は安泰なんやろうか?自腹の商売やったら、店の命運はいつも念頭を離れんはずやけど。」
「会社を自腹のように思っている人でないと、なかなか命運に責任をもった判断はむずかしいでしょう。戦前の財閥の同族には、六泉の命運を自分の死活ととらえていた人がいたかもしれません。」
「シーラちゃん、ええところに話を持って来たな。」
 ナリヒラは知らず知らずのうちに、モリさんの意図しているコンテクストにはまっていたのであった。
「ワシの実家のモリキン商店であれば、そのご当主はおかんや。店はおかんの持ち物や。おかんひとりの判断で、仕入れもできれば投資もできる、とりやめもできる。株式会社になった六泉には、今はご当主はおらんようになった。仕入れも投資も、優等生サラリーマンができることや。でも、とりやめはたぶんできへん。そこが雲泥の違いや。」
「本当にそうでしょうか?」
「物事を止めるのは、始めるのに比べて十倍はエネルギーが要るはずや。」
「たしかに、学校で勉強した法律学を思い出すと、元首の権能で最も重要なのは、ラテン語で『ヴェトー』という、拒否権でした。」
 ナリヒラは「ヴェトー」という言葉を発すると共に、大きな門扉を大勢の面前でぴしゃりと閉める音を連想した。
「その場を支配する人で、場の命運をいつも真っ先に考えている人でないと、なかなか止められないということやろう。ちなみに、命運いうものは、生きるか、死ぬか、やで。」
「『真っ先に』というのはどういうことでしょう?」
「人の発想の型の問題や。先に自分で許すべきことと許すべきでないことを決めていて、それが実現することを目的にする型の人もある。そうでなくて、最もトクになるようにしようと決めていて、それが実現することを目的にする型の人もある。後の方が優等生のサラリーマンの型で、前の方が元首の型、って言うたらわかってもらえるやろか?」
「つまり、モリさんは、その場で絶対に許しえない物事が何であるか、先にしっかり決まっている人が、場の命運を最優先に考える人、である、とおっしゃるのですね。言い換えれば、自分が場を仕切るためのルールを初めから立てている人ですね。」
「そういうこっちゃ。その場を自分の価値観と責任をもって支配しようとする人、場を取り仕切る人のことや。」
「法律がもともと王の法律として発生したものと考えれば、王には自らの法を貫徹することが自己目的として初めからあるということですね。刑罰も、王が自らの法の貫徹を要求するという意志の表われなのでしょう。」
ナリヒラは一旦言葉を切って、一呼吸置いて続けた。
「でも、そこには大きな問題があります。そういう型の人が、実際に元首になる保障がありません。私利私欲で贅沢をしたり、自分の保身で精いっぱいだったりする人が元首になることがある。そういうことが、民主主義の始まりにつながっているように思います。」
 モリさんはナリヒラの言葉を最後まで聞いたうえで、自分の意見を言った。
「昔は、元首に就く人が、ちゃんとみんなのために仕切る型の人となるように、生まれた時から場の支配者にふさわしい生活環境を整えて、帝王教育を施して、大事に後継候補を育てたわけや。でも期待はずれが続いて、結局そういう仕組みが廃止になる。仕切る型の人は、もしも現れても、場のトップに立つとは限らない世の中になっているのは、ご承知のとおりやな。そういうことが、ここ六泉グループにも起こっているわけや。ご当主の制度が復活すれば解決するような単純なことではないわな。今は、仕切る型の人は、ボランティアでせんとあかん世の中や。でも、そういう人なしには、場が成り立って行けへんことも事実や。」
「そういう型の人がボランティアやっても、ひとり芝居になりませんか?」
「ボランティアの当人でなくて、ひとつの場に属するみんなの方がガバナンスを必要としているんやで。ガバナンスがない場は、満員電車の中みたいに、たまたま大勢が寄り合っているだけで、場にはなってへん。仕切るということは場のガバナンスをするということやろ。」
「場を仕切る人になるかどうかは、本人の意思もありますが、場でそういう役割を否応なく割り振られるということとセットじゃないでしょうか。それは、リーダーとして選ばれるということでは必ずしもないのでしょう。たぶん、その場のキーパーソンとかアンカーとか呼ばれるような存在に、自ずとなるということだと思います。」
「うん、実のところ、いくら自分の気持ちと合うてへんでも、自分で立場を選んだりできへんのかもな。『自ずとなる』というところが大事やろな・・・」
「ところで、モリさんは、仕切る型ですね。」
モリさんは、ナリヒラの眼を見ながら、右手を敬礼のように挙げて、つぎのようにおどけて答えた。
「わたくしは、間口二間の小あきんどの後継者たるべく、おかんに大切に育てられたのでありまぁす。」
 そして彼は、少し考えてから、つぎのように話を続けた。
「でも、この会社でボランティアやるかどうかは、目下未定や。ワシはここではエンピツ一本のほかには何にも持ち合わせない身の上やから、そんな重いもん、よう預かる気がせえへんのや。キーパーソンになる運命が降ってきている感じも別にあらへんし。シーラちゃんはどないや?ボランティアやる気はあらへんか?」
 質問が自分に返って来ることは予感していたところであるが、偽りのないところを答えるほかはなかった。
「私は、まだ何も知らない子供です。」
      

      三
 同じ職場に、シマケンさんと呼ばれる人がいた。もうすぐ五十歳で、技術要員としてこの会社に採用され、十年ほど前に事務員に職種を転換した人であった。
 この人は、お客さんの接待の上手な人であった。
 ゴルフ、麻雀、囲碁、将棋といった遊びごとは、どれもお客さんにとってそこそこ手ごたえのある相手ができるのであった。
 宴席ではしばしば得意の歌声を聞かせた。ナリヒラには、今の歌、昔の歌、明るい楽しい歌、暗めの悲しい歌、自分の好きな歌の五種類を持ち歌にするように教えた。
 彼自身の好きな歌は、往年の歌手ディックミネの古い流行歌であった。彼は、古い歌、特に戦前の歌は、宴席でお客様の持ち歌とまず重ならないので都合がよいのだと言っていた。高めの美声で歌う「或る雨の午後」は、彼の十八番であった。この歌は本人が好きで歌っているのにまちがいなかった。
 シマケンさんの話によると、父親は東京市電の運転手で、昭和初年には花形の職業であり、母親は柳橋の芸者であった。お客さんの気をそらさない接待の才能は、天性のものと思われた。
「おれたちが若いころは、今の人みたいに忙しくなかったから、夕方になると職場の仲間で毎日のように遊んであるいたもんだ。おれたちの頃は社交ダンスが流行っていて、おれもいろんなステップを覚えた。今役員をやっている面々も、そのころは年齢の近い先輩で、いっしょにダンスホールに行ったもんだ。
本館の地下の食堂、あそこの天井に、ミラーボールがあるのを知っているかい?」
「ええ、ちょっと場違いな気がしました。」
「昔は、夜になると、テーブルを片付けて、あそこがダンスホールになったんだ。今はずいぶんおばあちゃんになっちゃったけど、おサダさんはダンスで鳴らしたんだよ。おれともよく踊ったな。」
「私は時代が違うのでわからないのですが、ワルツとか、タンゴとかを踊っていたんですか?」
「そのとおり。みんなおサダさんと踊る順番になるのを、わくわくして待ったもんだ。シーラちゃんの世代ならば、ディスコに行って踊るんじゃないか?」
「世代としてはそうなんですが・・・私は一度友達に連れていってもらって、からきし踊れないものですから、部屋の隅のテーブルにあった、食べ放題のスパゲッティを食べて見ていただけでした。
シマケンさん、今でも踊られるんですか?」
「おれは、最近はダンスホールなんて行かないけれど、たぶんアップテンポでなければ、何とかこなせると思う。昔はタップだってキレがよかったんだが・・・おサダさんは、病気をしちまったから、それからはどうかなあ・・・」
「おサダさん、病気をされたのですか?」
「あれ、知らなかったかい。なんでも内臓に癌ができて、長く休んでいたことがあるんだ。最近は大分いいらしいが・・・」
「シマケンさんはおサダさんが会社に入られたころからのお仲間ですか?」
「そうだよ。
 おサダさんがうちの会社に入る前は、日比谷にあるうちの会社の子会社の持っている六盛ビルのエレベーターガールだったんだ。」
 シマケンさんの話は、つぎのようなものであった。
 GHQに接収されていた六盛ビルは、その頃には六泉グループに返還されて大分年数が経っていた。六盛ビル株式会社は、うちの会社、すなわち六泉興産株式会社の子会社であった。
 おサダさんは、その六盛ビルのエレベーターガールとして働いていた。
 若い彼女は、テナントの主だった人の顔を覚えていて、エレベーターの乗り降りの際に短い挨拶を添えるので、ビルのテナントの間で評判であったらしい。六盛ビルといえば、劇場が立ち並ぶ日比谷の土地柄から、映画製作会社や芸能プロダクションがいくつもテナントで入居していて、ビルの玄関前には、昼夜を分かたず大きな外車が何台も停まっていた。俳優や女優がビルに来館することも多かったが、おサダさんは、エレベーターの乗客である彼らにまったくひけをとらない堂々としたものと言われていた。彼女の評判は、シマケンさんが、おサダさんがうちの会社に来る前から、六盛ビルで働いていた技術要員の同僚から聞いていたので、確かな話だとのことだった。
 そんなある日の昼休みに、エレベーターガールの控室でおサダさんが化粧を直していると、ひさしの大きな帽子を被った洋装の初老の女性が、身に着けた上等な香水の香りをふり巻きながら、六盛ビルの社長を伴って、つかつかと部屋に入ってきた。
 その婦人は、いきなりおサダさんを指さして、六盛ビルの社長に対して、明らかに目下の者に対する口調で、
「ああ、この子ね。まちがいないわ。」
と言った。
 社長は恐縮した様子で、頭を下げながら
「はっ」
とだけ答えた。たったそれだけのやりとりの後、その婦人は、おサダさんと目を合わせることも言葉を交わすこともなく、くるっと踵を返して、社長にかしづかれて部屋を出て行った。
 おサダさんにとり、その婦人はまったく見知らぬ人であった。彼女はまわりの人にその婦人が誰かを聞いて回ったが、誰も首を横に振るだけであった。社長の様子からは、自分が仕事のうえで、自分の気が付かないうちに、その婦人に不快な思いでもさせていて、とがめられでもしているのでは、と想像していた。
 それから数日経って、突然会社から辞令が出て、おサダさんは親会社である六泉興産に異動になったのであった。おサダさんの思いもかけない展開で、おサダさんのために本館の扉が開いたのであった。
 おサダさんは、六盛ビルと六泉興産の人事担当の両方に、この異例な異動の理由を聞いたが、いずれからも、上の方の決定なので何もわからないという返事であった。
 そして、おサダさんは、この会社で和文タイピストとして働き始めた。おサダさんは小石川の女学校の出で、音楽や洋裁は身に着けていたが、和文タイプライターは触ったことのないものであった。それでも、六盛ビルでエレベーターの運転を始めた時と同様に、すぐに人並みにタイピングができるようになった。
 それからしばらく経って、シマケンさんはおサダさんのダンス仲間のひとりになった。
ある日、いつものようにダンスホールの閉店時刻になって、おサダさんとシマケンさんが地下鉄の駅まで歩いていた。
シマケンさんは、おサダさんの取り巻きのなかでも、自分は頭だけ抜きんでているとひそかに思っていて、このようにふたりきりで歩く短い時間がうれしかった。
おサダさんは、たくさんの男性の仲間がいて、それが楽しいと思っていたので、特定の誰かとより親密になることは気を付けて避けていた。
シマケンさんは、ふたりきりの時間に、おサダさんとどんな話をしたものだろうかと、内心どきどきしながら考えていたのであったが、おサダさんはまったくほかのことを考えている様子であった。
 シマケンさんは、プレイボーイを自認していて、女の人を口説くのには慣れていたが、月並みなことを言うのははばかられる雰囲気が感じられたので、ようやくつぎのような言葉を考え付いて、精いっぱい自然に聞こえるよう装いながら、話しかけてみた。
「こうしてふたりで歩くのも、不思議な巡り合わせかもね。」
すると、おサダさんは、びくっと不機嫌そうに眉をしかめて、独り言のように、つぎのように早口で言った。
「不思議な巡り合わせって、こういう時に使う言葉じゃないわ。あたしは生まれてすぐに養女に出されたんだけど、どういう事情で養女に出されたのかは、育ての親からは知らされたことはないし、実の親の顔も見たことがないの。六盛ビルからこの会社に異動になったときも、自分には事情は知らされなかったし、その前にあたしを指さしした女の人のことも、何もわからないわ。こういう不思議なことは、自分につきまとう巡り合わせだと思って、あきらめているのよ。不思議な巡り合せって、こういうことに使う言葉よ。おあいにくさま、ごきげんよう。」
 おサダさんはこう言い終わると、思わぬ反応に唖然としたシマケンさんに構わずさっさと先に改札口を入って、出発しかけている地下鉄にひとり飛び乗って帰って行った。
「おサダさんは『夜の蝶』っていう綽名があったぐらい、いろんな男性とつきあいのうわさがあったんだけれど、それは上辺そう見せてただけで、ほんとうのところは堅いんだな。まあ、ひらりと体をかわして帰っちゃうところだけは、ほんとに夜の蝶だったね。」
 シマケンさんは、自分の話をこう締めくくると、机の上の書類を片付けて、いつものようにぴかぴかに磨かれた靴で夜の街に出かけて行った。
      
 年末の最後の営業日の午後には、職場の事務所の中で納会が催された。
納会の会場を設営するのは、女性陣の仕事であったが、とりわけおサダさんが采配を揮うのであった。出席者は百人近い人数で、上戸も下戸もいるので、会場の設営や、飲み物やするめやピーナッツといった品物の準備は、けっこう手数がかかるものであった。
 納会の日には、普段役員室にいる社長以下の役員全員が事務所を巡回して歩いた。
 社長は乾杯の発声を執り行ったあと、ビールの注がれた紙コップに口をつけつつ、歩み寄ってくる人々と歓談していたが、少し人手が途切れたときに、おサダさんのところにそっと近づいた。
 おサダさんにとっては、社長は自分より年上ではあっても昔なじみの仲間のひとりであり、ごく自然な調子で、
「あら、この間テレビに出てるのを見たわよ。実物よりもずいぶんハンサムに映っていたわ。」
 社長は数日前にテレビの報道番組のインタビューに登場していた。社長はほろ酔い加減で快活に、
「今度はおサダとペアダンスで出よう。」
と冗談を言った。
 おサダさんは、けたけたと笑った。
「お歌ならばごいっしょできてよ。」
「それならおサダとデュエットだな。」
 納会の後の事務所の冷蔵庫の掃除は、おサダさん自らがやることになっていた。余人は手を出してはいけないのであった。それは長年の慣習という話であった。
 手の空いていたナリヒラが、
「若者がお手伝いした方がよいのではないですか?」
と声をかけると、おサダさんは、冷蔵庫の扉の陰から、濡れ雑巾を持ってしゃがんだままでナリヒラを見上げて、言葉のひとつひとつを強調するかのような口調で、
「これはあたしの仕事。これが、この会社での、あたしのお仕事なのよ。」
と答えた。
ナリヒラは、彼女がそう答えながら、その言葉を自分自身に言い聞かせているのではないかと思った。
 納会の後で、ナリヒラは同僚数名と、そば屋に入った。シマケンさんもいっしょであった。
 シマケンさんが、
「おサダさん、社長と話をしていたな。おれも社長とは若い頃は仲間だったんだけれど、今はやっぱり話しかけにくいな。」
「おサダさんは、ひとりで納会の片づけをしていて、さびしそうでしたね。」
 シマケンさんは、玉子焼きをほおばったまま、「ちがう、ちがう」という風に手を振った。そして、燗酒で玉子焼きを流し込んでから、こう言った。
「おサダさんは、昔から付き合いのある彼氏がいるんだ。」
 シマケンさんの話によると、おサダさんは、もう何十年も前から、ある彼氏と付き合っているらしく、自分でそう公言していた。彼氏と言っても、おサダさんの話によると、相手は既婚者らしく、ふたりの間に特別な関係があるのかどうかはわからないが、長い年月のなかで、親友同士のような関係らしかった。
 彼氏は、中学生が通学に使うようなビニールでできた人造皮革の安っぽい鞄を愛用しているらしかった。他人に綽名を付けるのが好きなおサダさんは、
「ビニールカバンの彼氏」
という言葉を、彼氏の固有名詞の代わりに使っていた。たとえば、
「こないだ『ビニールカバンの彼氏』に箱根に連れて行ってもらったんだけどね、・・・」
といった調子であった。
 しかし、会社の誰も、その彼氏が誰なのか、特定できないのであった。社内の人かどうかもわからないのであった。すべてはおサダさんの話から推測するしかなかった。
 だからと言って、おサダさんの話が作り事ということでもなさそうであった。おサダさんの話に出てくる場所は、箱根のホテルであったり、京都の旅館であったり、都内のレストランであったりして、一応名の通ったところばかりで、いずれも一人客が入りにくい場所であった。彼女は、たとえば、つぎのような話をするのであった。
「秋にお休みをとって、京都の都ホテルに『ビニールカバンの彼氏』と行ったんだけれど、ちょうど中秋の名月でね。ホテルの十階ぐらいに大きなベランダがあって、お月見できるように、お客に開放しているの。あたしたちの隣には、インドの人だと思うけど、四人ぐらいだったかしら、中にはサリーを着た大きな黒い瞳の若い女の人もいて、東山の上にかかった満月が平安神宮の屋根を照らしているのをいっしょに眺めたの。インドの人たちが、あちらの言葉で小さな声でおたがい何か話していて、サリーからは白檀の薫りが漂ってきて、白い月の光の下で、とても神秘的だったわ。」
彼女は、訪ねた場所がどういう場所であったのか、いつも具体的に話すので、少なくともそれらの場所に自ら行ったことがあることは確からしかった。
 その晩、ナリヒラが見た夢のなかで、以前見たような真鍮の扉が現れた。扉を開けるとまたつぎの扉があって、つぎつぎに扉を開けて中に進んでゆくと、そのたびにナリヒラの後ろで扉が閉じるのであった。何枚目かの扉に行き当たった時、その扉のドアノブに、安手のビニールの鞄が掛かっていた。ナリヒラはドアノブに手を伸ばすことがためらわれ、その扉を開けるのをあきらめた。
      
      四
 明けて昭和六十二年は、春先から会社は多忙を極めた。
 部長のテツさんの号令で、資産を取得して短期で転売するタイプの事業が急拡大したのであった。
 モリさんもナリヒラも、連日深夜まで勤務した。帰宅時には終電がないので、残っていたものでタクシーに乗り合って帰る毎日であった。
 その夜も、いつものように、モリさんとナリヒラは、本館の通用口から金門を抜けて、タクシーの停車している場所に向かった。タクシーは、灯りが消えて真っ暗な本館を背景に、天井に取り付けた提灯型のランプを光らせて待っていた。
 二人を乗せたタクシーが走り出した。ナリヒラが少しでもうとうとしようと思っていた矢先に、モリさんはつぎのように切り出した。
「ワシ、テツさんと今日、口論になったんや。このままちょっとワシの家に寄って、話を聞いてくれへんか?」
 モリさんの家に着いて、ナリヒラはモリさんについてタクシーを降りた。
二人はモリさんの部屋に入った。六畳一間の畳敷きの部屋は、小ぎれいに整頓されていた。モリさんはテーブルの上の彫りかけの版画を片付け、二杯のカップ麺にポットの湯を注ぎ終わると、口論の始終を一気にナリヒラに話した。
 モリさんは、ある事業案件で、会社が取得しようとしている資産の十年間の利回りの予想が、借入金利よりも低いことが気になり、部長のテツさんにその旨を伝えた。
 テツさんは、
「それは将来のインカムゲインの伸びの見込みが低いからだ。一パーセント上げればクリアするじゃないか。」
 モリさんは、
「たしかに直近の同種の資産のインカムゲインは、そのぐらい伸びています。しかし、それが今後十年間続くという保証はないと思います。」
 テツさんは、近眼の度の強い眼鏡越しにこう言った。
「将来の予想は、現状と同等であると想定すればよい。」
 モリさんは、本人としては精いっぱいやんわりとつぎのように反論した、
「そう想定すれば、紙の上では辻褄が合いますが、想定さえすればそのとおりになるわけではないと思います。将来の伸びを想定することには、『謙抑的』であるべきです。」
 テツさんは、即座につぎのように怒鳴り返した。
「ケンヨクテキとは何だ、ケンヨクテキとは!インテリの使うみたいな、きいた風な言葉を使いやがって!
『想定した収益の伸びは、何が何でも頑張って達成します』
というのが、担当者のあるべき態度じゃないのか。ケンヨクテキというのは、やる気がないということだ!」
モリさんは、内心このようにテツさんが反応することを予想していた。
 テツさんは、一旦沈黙し、冷静さをとり戻そうとする様子であった。部長席に座るテツさんと、その前に起立するモリさんとの二人の間に気まずい数十秒の空気が流れた後、テツさんはつぎのように続けた。
「よい機会だから、お前には話しておきたいことがある。
おれがこの会社に入ったのは、この世を動かしているカネの中枢に入って、古い仕組みを壊したかったからだ。
 この国の建前は民主主義、平和主義、いろいろある。おれはそれを本気になって信じた。民主主義が何であるのか、高校の頃から、大学の先生たちの書いた本を何冊も読んだ。そしておれは大学に入った。
 そこで実際に目にした大学の先生たちは、自分の本に書いたことと全く矛盾した生活をしていた。まずもって、本を公表できるのは、それおれの学閥の親分格の先生だけだ。親分が助教授以下の子分の人事権を握っていて、親分の学説に反論しようものならば、大学に居残ることはできないし、学閥が握っている系列の私学の教官のポストにもつけない。発表する機会が独占されているのに、言論の自由と言えるのかね。そして、主だった親分格は、おたがい一族同士の婚姻で閨閥を作っていることもわかった。これは、民主主義以前の、資本主義以前の、家元制度そのものではないか。
 おれは、学内の家元制度に反発して、学生運動に走った。資本主義にすらなっていない、古い仕組みが壊したかったのだ。
 しかし、その試みは、腕づくでつぶされてしまった。権力のむき出しの行使に負けただけではない。就職が危うくなることがわかると、仲間はつぎつぎに脱落して行った。カネが問題だったんだよ。政権を辛辣に批判していた大学の先生で、味方になってくれた人は、おれの知る限り皆無だ。
 それで、おれは、日本のカネの中枢のひとつである六泉グループに入って、カネの論理を極めることで、家元制度を壊してやりたいと思ったんだ。
 多くの仲間は、資本主義がすでに日本に成立していることを前提にしていて、それを壊さなければならないと思いこんでいたが、おれは、資本主義以前の古い仕組みを壊さないと、日本はいつまでも国際社会で二流扱いのままだと思っている。
 だから、何が何でも、おれはカネの中枢で、カネの論理を貫徹させてやりたいと思っているんだ。日本のために、家元社会を市場原理で真の資本主義に革命するのだ。事業を拡大するのは今が絶好のタイミングだ。邪魔をする者はお前とて容赦できない。わかるか?」
 モリさんは、人に少々強くあたられても平気なたちなので、遠慮することなく、自分が疑問に思ったことをつぎのように尋ねた。
「お話を聞いて、明治時代に福澤諭吉が、
『門閥は親の仇』
と言っていたのを思い出しました。テツさんがどういうお考えでおられるのか、私のような若者にわかりやすくお話いただいて、とても恐縮しています。
 ひとつ教えていただきたいのですが、六泉グループという集団自体の命運は、日本の資本主義化の貫徹をめざされるなかで、どう考えておられるのでしょうか?」
「戦前の財閥という制度は、まさに日本の家元制度の一つだと思う。それが反財閥の世論の前にもたなくなって、部分的に公開会社になり、戦争の後でGHQの方針によって消滅したことになっている。
同族の支配という点ではそうかもしれないが、六泉で働く人材の集団は、創業以来、いろいろな変化はあったものの、今もって続いている。そういう人材の集団は、『なんとか一家』という言い方がされるように、家の論理だから、資本主義とは根本では相容れないとおれは思っている。資本主義は、働く人は会社と契約しているだけだ。会社が不要になれば、つながりはそれまでだ。
それに、集団の中でもランクがあって、中心から遠い人たちには、戦前だってけっこう厳しく当たってきたじゃあないか。おれのおやじは炭坑夫だったから、それは身に染みてわかっている。六泉の一家といっても、東京にヘッドクォーターがあって、その下に鉱山会社があって、九州にその炭鉱があって、東京から来た所長や社員がいて、その下に主任がいて、炭坑夫は末端にいる。会社は炭鉱住宅とか病院とか作ってくれて、福利厚生もそれなりにやってくれたさ。体を泣かせるきつい仕事には、賃金をはずんでくれることもあった。でも、不況になって真っ先にあおりを喰うのが末端だ。石炭産業が急に斜陽になって、炭坑夫は職場がなくなって、転職しなけりゃ生きてゆけなくしまった。一家主義なんて、ねずみ講みたいなもので、真ん中にいる人に都合のよい仕組みだ。ちっともよいものとは思わない。
でも、一家主義は、カネの論理の貫徹のためにとりあえず役に立つのであれば、大いに歓迎だ。一家一丸となってカネ儲けに突き進んでもらえるのであればたいへん結構だ。」
モリさんは、ここまで聞くと、もう当該事業案件の話に立ち戻る気がなくなったと言った。
モリさんは、話がひと段落したところで、ナリヒラの顔をのぞき込んで、つぎのように言った。
「なあ、ワシは、テツさんには、いつかは斬られるかもしらん・・・」
そして、モリさんはつぎのように続けた。「テツさんの話は、ビジネスエリートに転じた元学生が、資本主義に邁進するためのひとつの納得の仕方や思う。テツさんはたしかあの大学で日本政治思想史のゼミやった方のはずや。テツさんは、大学の先生のこと、えろう批判してはったけど、考え方の上ではむしろ忠実なお弟子やったんやなかろうか。近代のビジネスのリーダーは、親分とはちゃうから、要らんようになった部下は斬らはるで、きっと。
そやかてな、ワシにとって、小さいころから、家すなわち店やったから、損得づくだけで店が立ってゆけば家はいらんて言われて、『はあ、さようで』とは、さすがによう言わん。それに、商売の道具やったら、いらんようになったら、ほかすんやろうけど、人は道具とはちゃうで。
一家と言うもんは、ノスタルジーのなかにしかあらへんようになってしもうたんかなあ。そういう一家の命運を預かる人は、ひとり芝居のようにしか見えへんやろうから、気の毒やなあ・・・」
ナリヒラは、眠い頭のなかでぐるぐる回るモリさんの言葉の意味をとらえるべく格闘しながら、その夜に残っていた自分のすべてのエネルギーをかけて、つぎのような言葉を絞り出した。
「モリさんのお話で、テツさんのお考えがよくわかりましたが、かといってテツさんの思うように、市場原理の貫徹によって家元制度がなくなるのでしょうか?明治以来、インテリといわれる人々があれほどたくさん出てきたにもかかわらず、世の中の根っこのところはちっとも変っていないようにみえるのは、なぜでしょう?それは、インテリの変わり身が早くて、一般の人がついてゆけなかったからだと思います。もちろん、私はついてゆけない方の一人です。
 私はもう今夜のところはこのぐらいがやっとです。もうこのへんで失礼します。」
「シーラちゃん、ようワシの話につき合うてくれたな。シーラカンスは不器用そうやから、方向転換なんか、できへんのやろうなあ。」
ナリヒラは、表通りでモリさんにタクシーを拾ってもらった。彼の乗ったタクシーの窓を、その時間帯ではもう見る人の誰もいないネオンサインが、色とりどりに流れて去って行った。
     
ナリヒラは、それから数日の間、モリさんとの話を反芻しながら断続的に考え続けた。
ひとつの集団が成り立ってきたということは、その陰には必ず、犠牲があるはずだ。犠牲になった命があり、犠牲を払った人の痛みがあるはずだ。現代は犠牲を軽んじる時代だ。犠牲になったのは、その人が弱かったからだ、とか、その人が計算をまちがったからだ、とか、人はいろいろな理屈をつけて、犠牲を忘れようとする。もともと、犠牲を追憶して人心を鎮めることは、集団を維持するうえで最も大事なことだったはずだ。集団のために犠牲を払ったはずなのに、あとでその人個人の問題として処理されるということでは、人心は鎮まらない。それに、あとで軽んじられることがわかっているとしたら、集団のためにたとえ小さくても犠牲を払う人はまずいないだろう。犠牲が忘れ去られるようになれば、集団は名ばかりのものになってしまう。ばらばらの個人や、紙の上の存在にすぎない法人が、契約関係で結びついたり離れたりするだけだ。そうすると、名ばかりの集団の命運など、突き詰めれば他人ごとになる。それが日本の近代化をめざしたエリートの論理の帰結だ。
日本のエリートは、富国強兵をめざして、経済力の強い国家を創るべく、資本主義を日本に根付かせるように突き進んだ。しかし、その試みは、昭和恐慌で挫折したのではないか。近代化につれて拡大する貧富の格差を前にして、ごく普通の国民にとっては、近代化の論理は受け付けられなかったのだ。今度は、国民の不満を、国内の上層部に向けるのではなくて、国外に向けるための、新しい国家体制が推進された。官僚たちは、軌道を修正して、近代化の理念を英米流の資本主義からドイツ流の国家社会主義に切り替えた。
戦争で負けた後は、監督官庁による護送船団方式によって市場をコントロールすることを重視し、社会の安定異のための公共政策をとり入れた、修正資本主義に理念を切り替えた。
問題は、その時その時の理念の是非ではない。日本の近代化の裏側には、その場の都合に合わせた、変わり身の早い、大方針の切り替えがいつもつきまとっている。そこには、純粋であるべき何かが欠けている。このことが問題なのだ。官僚的な変わり身の早さが、われわれにとっては不安なのだ。しかし、エリート自身としては、その都度妥当なあり方に方向転換しているにすぎず、ついて来れない人のことは、時代の変化について来れない、遅れた人に見えるだけだ。
テツさんは、炭坑夫が石炭から石油へのエネルギー改革のあおりで失職した話をしたが、エネルギー改革のひずみは、そういう変わり身の早さのもたらしたものだ。
変わり身の早さの先には、何があるのだろうか?本懐があって、それを遂げるためなのだろうか?テツさんの本懐は、彼の言葉どおりに、家元制度を仕留めることなのだろうか?
モリさんの話以来のナリヒラの断続的な思考は、容易にまとまりそうになかった。

     五
 それにしても、ナリヒラはシーラカンスと呼ばれるほど、旧弊な性格である。
 それは、ナリヒラが明治生れの祖父母たちに育てられたことが多分に影響している。
 祖母フミは、明治維新で失職した幕臣の後裔だ。彼女の祖父ハセガワ・ツネミチは、戊申戦争で幕府方につき、会津に転戦して明治を迎えた。戊辰戦争終結後も、会津に潜伏していたが、数年経ってほとぼりが冷めたころ、東京に帰って来たらしい。ツネミチは、同僚の妹を妻にして、日本橋の蠣殻町で、ささやかな店で香木を商って一家を養った。
 ツネミチは、旧幕時代には寺社奉行の配下の役人であったが、志野流の香道の嗜みがあり、その時のつてをたどって、この商売に入るようになった。
 店といっても、行商がほとんどであった。零落した幕臣の家から所蔵の香木を買い取って、旧公卿や旧大名との社交のためにこういう物が必要になってきた維新の成功者たちに転売していた。しかし、香木はもとより生活の必需品ではなく、文明開化の世の中での需要はごく限られていた。香木だけでは商売が成り立たないので、店先で旧幕時代の浮世絵や絵葉書を売ったりしていた。
 ツネミチは、香について、家人につぎのように言っていた。
「香道では、香は『かぐ』と言わないで、『聞く』ということになっているが、先日あるお屋敷に上がった際に、お公卿からお嫁に来られた奥様が、ご実家では、香の薫りの見当をつけてから、師匠になになにの香と答えてその評を待つので、香を『聞く』というのだ、とおっしゃった。おれはなるほどと思ったが、もう一歩深入りして考えてみた。それで、おれの考えでは、香が語りかける言葉を聞くから、香を『聞く』というのだ。古来、馬尾蚊足と言って、ほんの爪のかけらほどの香木に、香道具を使って焦げないように熱を加えると、一筋の煙と共に薫りが立ち上って来る。そこで、立ち始めから立ち終わるまで、薫りが変わり続けるのを、じっと聞き続けるってことさ。それで、おれはさらに考えたんだが、香木でなくても、何物であっても、こちらの心に語りかけるものがあるから、その言葉に耳を傾けることは大事なことだ。」
ツネミチは、時には旧幕時代の仲間と連れ立って、飛鳥山や亀戸天神などの東京近郊の景勝地で、聞香や俳句の会を催すこともあった。亀戸天神のそばの柳島には、式守蝸牛という趣味人が住んでいて、その家をしばしば訪ねた。蝸牛は、明治初年に生まれ、相撲膏という外用薬で有名な商家であった実家の財力で、明治になっても相変わらず旧幕時代の楽しみごとを続けていたのであった。蝸牛は茶道、香道に通じ、浜離宮に外国の賓客が訪れるときには、宮内省の依頼で茶や香の点前を披露するような人物であった。ツネミチは、自分の香木の商いがてらということもあって、自分よりも年の若いこの風流人の家によく出入りした。自分の店先で売っていた浮世絵も、蝸牛の家に集まる同人のつてで仕入れたものだった。
ツネミチの俳句は、もっぱら仲間との社交の術であり、詠んだものを書き溜めて句集を編むようなことはなかった。俳句をたまたま書き留めたものもなくはなかったが、のちの戦災で散佚しまい、ナリヒラが聞き知っているのはつぎの一句だけであった。

さくら花 散りて清むる 浮世かな

ツネミチは、戊辰戦争の話は家では一言も語ることなく、ささやかな小遣いの中で江戸風の風流を楽しみとしながら、市井で静かに維新の世を過ごし、明治天皇が崩御して間もなく、夫婦相次いで亡くなった。彼の没後、天井裏から、筵に丁寧に包まれた一振りの刀が見つかった。刀はしかるべく研がれたもので、一点も曇りもなかった。彼は家族に隠れて、明治の長い年月の間、旧幕時代と同様に刀の手入れをしていたのだった。
 フミの母は一人娘で、同じ元幕臣の家から婿をとった。婿のヒデタケは、木挽町にあった商工省で、統計の数字を扱う下級の役人をしていた。彼は、一度だけ上司の視察旅行に随行してヨーロッパに行ったことがあった。彼は帰国すると、
「これからは、西洋のように靴を履いたままで自宅に上がることにする。」
と言い出して、ひと騒動になった。文明国では、靴を脱いで座敷に上がる習慣はなく、靴を履いて建物に入れるようにすることこそが、わが国が文明国に伍するための第一歩である、というのが彼の理屈であった。彼は、洋行みやげに買い求めた、イタリアのテノール歌手カルーソーのレコードを、蓄音機で朝晩鳴らして楽しんでいた。
ところが、ヒデタケの帰国から数か月経ったところで、関東大震災が起こった。幸い一家でけがをした者はなく、家は焼失や全壊を免れた。被害といえば、食器など割れ物の類とともに、カルーソーのレコードがすべて割れたぐらいであった。しかし、彼の西洋かぶれは憑き物の落ちたようにすっかり消えてしまって、靴で座敷に上がる話は沙汰やみとなった。昭和になると、ヒデタケ夫婦は、蠣殻町の家で、昔のように金魚を飼ったり朝顔を育てたりしながら暮らしていたが、二人とも昭和十年ごろに亡くなった。
 フミもまた一人娘で、女学校を出ると、やはり同じように元幕臣で算盤塾を開いていた家から、小学校の教師をしていた婿ヨウイチをとって、深川に住んだ。深川の新居は関東大震災で焼失してしまったが、夫婦ともに無事で、ほどなく焼け跡に住まいを建て直した。
 ヨウイチとフミとの夫婦は、昭和初年に男子を授かった。それがナリヒラの父ハジメであった。
 ヨウイチの勤務する小学校には、役者や寄席芸人の子弟が通っていた。彼らは、子役として舞台に立ったり、親の地方巡業についていったりで、休みや早退が多かったが、ヨウイチは彼らの事情をよく理解して、彼らが困らないように、補習をしたり追試験をしたりして、面倒を見ていた。彼らの父兄は、お礼として盆暮れに付け届けをするのであったが、清廉を重んじるヨウイチは、一つ一つ礼状を添えたうえで、包みを開けないでそのまま送り返していた。
 太平洋戦争の始まる数年前のことであったが、卒業式の日の夕方に、一人の初老の男性が、羽織袴に威儀を正して、その日卒業した息子を連れて、ヨウイチの家を訪ねてきた。
 彼は、落語家で、ラジオにもよく出演する名人であった。
 その名人は、このように切り出した。
「先生には、あっしのせがれを無事卒業させていただきまして、ひとかたならぬお世話になりまして、どうもありがとうございました。
 せがれは、あっしが五十を過ぎてできた恥かきっ子でして、体がこのとおり弱く生まれつきまして、冬なんぞ風邪ばかりひいてロクに学校に行けないこともございましたが、先生がよくよく面倒を見てくださって、よその子供さんにいじめられることもなく、無事本日卒業させていただくことができまして、親として、このとおり、お礼申しあげます。」
 名人は白い扇子を膝の前に横に置くと、両手を突いて深々と頭を下げた。
「で、お礼の印といってはなんでございますが、先生がたとえ一升瓶一本、菓子折一折なりとも、お納めにならないことはよく承知しております。そこで、せめてものあっしの気持ちとして、商売ものでございますが、おめでたいお噺を一席、こちらでやらせていただきたいと存じますが、ご迷惑ではござんせんでしょうか?」
 名人はそう言って、ヨウイチ一家と自分の息子の四人をお客にして、六畳の茶の間で「松竹梅」を一席語って帰って行った。
 太平洋戦争となって、深川はアメリカ軍による昭和二十年三月十日の東京大空襲で全面的に焦土となった。アメリカ軍は、人の衣類や、木と紙でできた家屋にガソリンがしっかり付着するように、ガソリンをゼリー状に加工し、焼夷弾に詰めて投下した。木造住宅がほとんどであった下町は、たちまち猛火に包まれた。ヨウイチは、勤めていた小学校の建物の焼け跡で、避難してきた大勢の人々の遺体と共に亡くなっているのが発見された。ヨウイチの遺体の胸には、真鍮製の菊の御紋だけが焼け残ったご真影の額縁が抱えられていた。フミは逃げる間もなく自宅に焼夷弾を受け、背中に大やけどを負ったが、かろうじて命が助かった。一人息子であったハジメは母フミにかばわれて無事であった。
 戦争が終わると、フミはつてを頼って、小田原にあった大病院の院長の家にお手伝いとして働くようになった。ハジメは行政書士の資格をとって、小さな自宅の一室で開業して生計を立てた。ハジメは、フミの勤める家に出入りしていた酒屋の娘であったナリヒラの母アイと結婚したが、アイはナリヒラを産むと間もなく病気で亡くなった。
 ナリヒラはこのような家で生まれ育ったのであるが、フミは、ナリヒラの育ての母であり、ナリヒラの性格の形成に多大な影響を及ぼしていた。そして、今振り返ると、フミが明治以来の世の中の変遷について、彼女独特の見方をしていたことに気づかされるのであった。
フミにとって、明治維新とは、成り上がり者が外国の力やカネを借りて威張っている世の中であって、本来守られるべきであった日本古来の制度を壊してゆくことに我慢がならなかった。
 ナリヒラが小さい頃、フミに日本橋に連れて行ってもらった時、彼女が徳川慶喜の「日本橋」
の揮毫を指さして、
「ナリヒラ、あれはケイキが書いた字よ。よく見てお置き。」
と言ったのをよく憶えている。
 彼女が言う「ケイキ」という言葉は、わずかであるが軽蔑を含んで聞こえた。
 彼女の家の感覚では、徳川慶喜は、ロクに戦わないで幕府をつぶしてしまった、甲斐性のない当主であって、彼に対して複雑な気持ちを抱いていたのであった。家では、「ヨシノブ公」「公方さま」といった言い方ではなく、名前を「ケイキ」と音読みにして、呼び捨てにしているのであった。
 フミは、折にふれて、廃仏毀釈で多くの寺が壊されてしまったことを嘆いた。フミが生まれたのは明治三十八年で、彼女自身が寺の廃棄を目にしたことはないはずだが、自分の祖父母や親から繰り返し聞かされた話が染み込んでいた。
 ある時、フミはナリヒラを連れて上京し、虎の門にある琴平神社にお参りした。そのとき、彼女は、
「南無金毘羅大権現、南無金毘羅大権現」
と繰り返し唱えるのであった。中学生になっていたナリヒラは、
「それは仏さまへの拝み方じゃないの?ここは神社だよ。」
とフミに注意を促した。
 フミは、唱えるのを中断して、ナリヒラの方を向いた。そして、いつもの伝法な江戸言葉で、つぎのように答えた。
「もともと、金毘羅さんはお寺で祀っていたもんだ。讃岐の金毘羅さんに行けば、もともと松尾寺でお祀りしていたものを、廃仏毀釈のときに神社にしたって、ちゃんと書いてあるのさ。神だ仏だって、うるさく言う人もあるけれど、ちょっと考えてみりゃわかりそうなもんだよ。桜の花を見て心が動けば、それで和歌を作る人もいれば、漢詩を作る人もいるじゃないか。畏れ多いと心が動いたところで、それを神主が柏手を打って祀るのも、坊主がお経を唱えて拝むのも、それと同じことさ。なぜ和歌だけがよくて、漢詩はだめなんだい。心が動いたのは同じなのに、おかしかあないかい?」
 彼女の幕臣の家族としての感覚は、ナリヒラにも知らず知らずのうちに染みついている。
 初夏となり、老人が遠出をするのに適した気候になった頃、フミが小田原から久しぶりの芝居見物で上京することになった。
 ナリヒラは、土曜日の東京駅まで彼女を出迎え、タクシーに乗せて、勤め先の本館まで案内した。彼は、休日で閉まっている本館の扉の前で、フミに
「ここでおれは働いているんだ。」
と説明した。
 フミは、正面玄関の上の方をしばらく見上げてから、つぎのように答えた。
「そうそう、ここは六泉の本館だ。せんには市電で前をよく通ったもんだが、これができたときは、あきんどがまあ大それた洋館を建てたもんだって思ったね。自分の孫が六十年経ったらそこで働くようになるなんてことは、思いもよらないことさ。
 ところで、六泉商事ってえのは、ここに入っているのかね?」
「昔は入っていましたが、今は大手町に移ったんだ。」
「知り合いのお孫さんが六泉商事に勤めていたから、聞いてみたのさ。
 うちがまだ蠣殻町にあったころ、旗本の奥さんでひどく年の寄った人がいて、うちに時々、何の用事か、子供のあたしにはわからないけれど、お抱えの人力車に乗ってね、うちは客間らしい部屋もないのに、そこへ訪ねて来るのさ。その人は真っ白の髪を、歌舞伎に出てくる奥方みたいにお切り下げに結っていて、人力車には家紋の鱗鶴が描いてあったよ。そのお宅とうちとは、明治が終わってからもずっと付き合いがあってね。お孫さんが、女の子だけれど、徳川さんの一族の方のフランス人の家庭教師に、お姫様のお相伴で語学を習っていて、よくできたらしいよ。それで、昭和の初めごろ、六泉商事に勤めたってきいたよ。あたしより少し若い人よ。」
 ナリヒラは、何気なくつぎのように尋ねた。
「その奥さんのお名前は?」
「たしか・・・シモダさん、そうそう、シモダのおっかさんって呼ばれていたね。」
 ナリヒラは、フミの口からシモダさんの名前が出てくるとは予想していなかった。
「そのシモダさんのお孫さん、たぶん先日亡くなったシモダさんのことだと思う。シモダのおっかさんのお孫さん、最近まで存命だったんだよ。本館の中ではちょっと有名な方だったんだ。」
「おや、そう。あの頃、うちのおっかさんは、『弓町のお屋敷こそ切り売りして今は小さくなってしまったが、元はご大身の旗本のお嬢さんが、御用商人の店に女中に上がる時代になったんだね』って言っていたけれど。もっとも、ナリヒラ、おまえも丁稚に上がったわけだけれどね。」
 フミはふんと笑うと、扇子を開いて、藍色の袷の襟に風を入れた。
 ナリヒラはフミと地下鉄に乗って、東銀座の歌舞伎座に向かった。
 歌舞伎座の切符は、ナリヒラがあらかじめ手配したもので、ナリヒラの財布の大きさからみれば奮発したつもりで、二階席を二席とった。昼の部は、普段家庭にいる主婦の出かけやすい時間帯なので、婦人客の数が男の客を上回って見えた。
 舞台では、フミがお気に入りの尾上梅幸の「藤娘」が掛かった。ふっくらとした体つきの梅幸の所作は、あでやかであって、しとやかでもあった。
開演前に手に入れた、歌舞伎座の向かいの弁松の弁当を食べながら、フミは、
「弁松の弁当は昔と変わらないね。舞台の上はずいぶん若い人ばかりになっちまったけれどね。」
「六代目の尾上菊五郎が贔屓だったんだよね。」
「あたしは『キクキチばあさん』よ。菊五郎と吉右衛門の全盛期を知っているんだから。」
 芝居通の間では、何かにつけ六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門を引き合いに出して芝居の批評をする人のことを、「キクキチじいさん」とか「キクキチばあさん」とか呼ぶということだった。
「六代目の『藤娘』は、かわいらしい女の子が藤の中からこの世に今出て来たばかりのように、みずみずしく見えたよ。『鏡獅子』で、お獅子が牡丹に戯れているさまなんぞ、本物のお獅子ってこういうものかと思ったぐらいだったね。そうそうまねのできる人はいまいよ。それに、吉右衛門の大星由良助、花道から切腹の場の主君に駆け寄って、主君と目と目を合わせて、主君の御意を合点するところ、あたしは今でもはっきり覚えているよ。」
「忠臣蔵だね。忠臣蔵を掛ければ、芝居は必ず大当たりするって聞くけれど・・・」
「元禄ははるか昔のことなのに、今でもこの芝居をみんな見たがるわけさ。喧嘩両成敗がご定法のはずが、浅野だけが切腹になったのが、今もってかわいそうってこと。」
「あの時は、幕府は、京都の朝廷から下向した勅使を接遇する最中だったから、勅使を派遣している京都の朝廷との関係で、吉良を罰するのがまずかったんだと思う。吉良はこの接遇の実質的な責任者だった、吉良を罰することは、勅使に対して幕府に失態があったことを認めたことになるからね。もっとも、これは勝手な推測だけれど・・・」
「理屈ではそんなところだったんだろうよ。でもね、そんな上の方のご都合は、下々の知ったこっちゃないってことよ。それに、赤穂浪士は、主君の仇を討つために命がけで、自分の都合を勘定に入れている人が一人もいないからね。お上はたとえ口にはしなくても、ご都合の裏には言うに言えない情けがあるってことが下々にわかれば、ああしてお上のご都合を貫いたとしても、後々までこんな芝居になるようなことにはならないで済んだろうよ。」
「その『情け』って、上から下へのものじゃないよね?」
「もちろん、『お情け』じゃないよ。まあ、ないものねだりさ。」
 フミのこの言葉を聞いて、ナリヒラは、純粋ということについて、人はとても敏感であることに気がついた。そして、そういう感覚は、ノスタルジーの中だけで発動するのではなくて、人々の心の中でいつも脈々と生きているのではないかと思った。
 芝居がはねて、ロビーの売店の前を通りかかった。和菓子や和装小物のような品物がいろいろ並んでいるなかで、フミは立ち止まって、ある品物を手に取り上げて言った。
「ナリヒラ、これが鱗鶴よ。ほら、シモダのおっかさんの家紋。」
 見ると、それは紫の縮緬風の化学繊維でできた風呂敷で、いろいろな家紋が染められている中に、二等辺三角形で、鶴を極限まで意匠化した透かしの入ったものが三つ、環のように連なった形で白く抜かれてあった。
 フミは、芝居に連れて来てくれたお礼だと言って、彼女にとっては安からぬ金額である三千円の風呂敷をナリヒラに買ってくれた。
 フミは何年ぶりかの芝居を堪能した様子で、
「また芝居を見に出て来るよ、きっとね。」
と言って、東京駅から夕方の普通列車に乗って帰って行った。
      
      六
 十月のよく晴れた日の昼休みに、ナリヒラは同僚と昼食を済ませてぶらぶらと本館に向けて歩いていると、片手に日傘をさしたおサダさんと行き逢った。われわれ社員は普段は本館の通用口から出入りすることが多かったが、おサダさんは、この日は珍しく、本館の正面玄関の扉を開けて外に出て来たのだった。
 おサダさんは、いつものように笑顔で軽く会釈をしてわれわれとすれ違ったが、顔色がいつもより青白く見えた。
 同僚の一人が言った。
「今度、会社の電話機が新しくなって、かかってきた電話は保留ボタンを押して転送するようになったけれど、おサダさんはそれがどうしても覚えられなくて、いつも電話を切っちゃうんだよ。この間もお客さんの電話を切っちゃって、こちらで平謝りだよ。」
 ほかの同僚が続けた。
「このところ、おサダさんが独りで昼間に百貨店の中をよくぶらついていて、何を買うわけでもなくて、じっと美術品なんかを眺めているらしい。あの人には誰も口を出せないし、何も会社に迷惑がかかるわけではないんだけれど・・・」
 おサダさんはそれから数日して、会社を休み始めた。
 病気が再発して、入院したと聞いた。
 同僚一同は、そのうち見舞いにゆかなければと相談していたが、十一月に入って、彼女の訃報が届いた。
 ナリヒラはお見舞いに行かないままにしていたことをひどく後悔したが、後のまつりであった。
 社員で物故者が出るときはいつもそうであったが、まずは後任者への事務の引継ぎや退職慰労金の精算を始めとして、社業に影響を最小限にとどめるべく、手際よく後処理がなされていった。みんな、哀悼の念や故人の様々な思い出を、無表情な顔の下に押し隠して、粛々と業務が続けられるのであった。
 同僚一同で、ひっそりした通夜と葬儀を手伝うことになった。
 式場のお寺は、京成線の四ツ木駅が最寄りであった。
 そのお寺は、木下川薬師と書いて『きねがわやくし』と読む名刹で、旧幕時代は徳川家の祈願寺院のひとつであった。
 荒川に差し掛かる京成線の車両の中で、シマケンさんが独りごとのように言った。
「この電車に乗るといつも思うんだが、都心の地下鉄とは、お客の見え方が全然違う。おれの勝手な見方かもしれないが、この電車のお客は、一人一人、自分らしい顔をしている。地下鉄のお客は、仕事のこととか、人にどう見えるかとか、少なくとも今の自分のことと違うことを考えているから、こういう顔にならないね。この線のお客は、どこそこの誰々という前に、男だったり、女だったりする。ちゃんと自分の顔をしている。だからこの線が好きなんだ。」
 われわれは、四ツ木駅から十分ぐらい歩いて、式場のお寺に着いた。
 境内の説明板を読むと、元は現在の荒川放水路の中にあたる場所にあり、景勝で有名であったが、放水路ができるにあたって、現在地に移転した旨が書かれていた。この場所は水害を何度も受けた土地柄であるため、本堂は建物の三階ぐらいの高さのところに設けられていて、たどり着くには長い階段を登らなければならなかった。
 お通夜も葬儀も、ごく内輪のもので、おサダさんの養家の方で取り仕切られた。
 ナリヒラは香奠の計算の係で、お通夜の晩と本葬の日中、不祝儀袋を開けては帳簿に氏名と金額を転記した。延べ百名ほどの会葬者の中には、六泉家の関係者を思わせる苗字は見当たらなかった。
 僧侶の読む般若心経が、ナリヒラの作業している控室にも聞こえて来た。
「観自在菩薩が、智慧の完成のため深い修行をしている時、すべての事物は実体がないことを悟った、」
という意味の文で始まる経典であった。
ナリヒラは、お経を聞きながら、つぎのように考えを続けた。
 「事物に実体がない」というのは、「事物に依存することができない」という意味だろう。事物が瞬時に過去のものになってゆくということは、依存することができないということの証拠だ。事物が依存できないものであるとすれば、名誉も、力も、財産も、享楽も、例外なく依存できないものである。このことがわかれば、それを得るために、またそれを手放さないために、正気を失うようなことは、回避することができる。欲望の行き過ぎにはブレーキをかけやすくなる。自分の心を見つめて、何かにしがみつこうとする依存に気づいて、そこから心を解き放ち、不幸への道に足を踏み入れないように生活してゆくべきだ。そして日々がその連続であるべきだ。お釈迦様は、依存する事物を求める日常生活を捨てて、修行者の集団の中でまさにそのように日々を送ることが、最も幸せなことだとお教えになったのだと思う。
 われわれ凡夫は、修行者の集団に属してはいない。少なくとも自分は、本館という、資本主義の巨大な臓器の中で、東洋の巨大な物欲の動きの一部分として働いている凡夫である。田舎には、わずかながらにせよ仕送りを頼りにしている祖母と父親がいる。
凡夫は、事物が「ある」ことを前提に生きている。そして、自然には法則があり、ものごとには道理がある。肘は外側には曲がらない。腹が減ったらば何か食べなくてはならない。たとえ「この世は夢幻のごとし」であっても、好き勝手やりたい放題ということでは一刻も生きてゆけない。  
凡夫は、事物に依存できないとことを、たとえ自分ではわかったつもりになっても、心が乱れることはやまない。本当に心底わかるということはむずかしい。依存できないという真実を知ったとしても、依存したいという心があれば、その真実を無視し隠してしまうからだ。そして、依存を日々繰り返しては、日々裏切られるのだ。
真実を隠しながら何かに依存しようとする心も、自分の心だ。心にも都合のよい部分と都合のよくない部分がある。心の都合のよくない部分だけを切り捨てたり無視したりしようとするのは誤りだろう。それは都合のよくない部分がない、「清く正しい」自分の姿への依存だからだ。もしも、何物にも依存しない獅子のような心になれれば、どんなにすばらしいだろう。しかし、自分がなすべきことは、自分の依存心を自分に隠さないで直視しながら、道を外さないで日々生きて行ければ・・・
ナリヒラの考えはさらに続いた。
事物は一刻も留まることなく、つぎつぎに去り行くが、依存がないならば、そのこと自体は厭うべきことではない。事物が去りゆくからこそ、美しいという感覚も、いとしいという気持ちも起こるのだ。去りゆくからこそ、心が動くのだ。去りゆくからこそ、他人を知りたいという気持ちも、他人への慈しみも、他人の切実な望みに何とかして応えようという心も、起こるのだ。
凡夫としては、つらい時、悲しい時、思い通りにものごとが進まない時、自分の無力を嘆き、自分を超えた大きな力の助けを得たいと切実に望むであろう。たとえば、深山幽谷に分け入る時、巨木や滝や大岩に出会って、自然の大いなる力を感じることがある。泥の中からすらりと茎を伸ばして咲いた白い蓮の花に、心を動かされることがある。人は自分を超えた力を畏れ敬って、祈りを捧げる。石が流れて木の葉が沈むような不合理な現象を目にして、どうか正しい道理が実現するように、助けを求める。自分を超えた大きな力は、われわれにいつも都合のよい結果をもたらすわけではない。生産も司れば、破壊も司る。凡夫でも賢い者は、そのことをよく心得たうえで畏れ敬うであろう。
 そして凡夫は、すべて去りゆく大きな流れのなかで生きながら、たとえ一つでも二つでも、美しい、素晴らしいと思えることを行なってゆければよいのではないだろうか?それが凡夫の幸福ということではなかろうか?すべては去り行くかもしれないが、新たに行ない続け、生み出し続けてゆけばよいのではないだろうか? 
 だから、今日このお寺の本堂で、おサダさんがあの世で幸せになるように願いながらご本尊に手を合わせることは、おサダさんにも、手を合わせる本人にとっても、幸せなことなのだ。今日のところはこう思っておこう・・・
 ナリヒラは、読経の流れて来る控室で、電卓で香奠の金額の計算を繰り返しながら、このように考えた。
 会葬者は延べ百人足らずで、ほとんど会社関係者ばかりであった。社長も短い時間であったが、黒塗りの社用車に乗って、焼香に訪れた。会葬者は境内のところどころに二、三人ずつ集まって、若い頃におサダさんと呑みにいったりダンスをしたりといった昔話をしていた。それは葬儀というよりも、どこかに転勤する人のための内輪のささやかな送別会のようであった。
 会葬御礼のお茶の包み紙には、鱗鶴の紋が白抜きで印刷されていた。
 葬儀の終わった木下川薬師の境内に、荒川放水路からの風が吹き付けて、ナリヒラは喪服の上に着たコートの襟を立てた。
 帰りの川岸の道を、小学校の低学年らしい男の子の手を引いた女の人が向こうから歩いてきて、ナリヒラとすれ違った。母親と息子と思われた。
 息子の方は、しょげているのか、下を向いて、母親の手にしっかりすがって歩いていた。
 すれ違う時に、母親が息子に語りかける声が聞こえた。
「元気を出して!今日明日わからなくても、わかりたいと本気で思っていれば、だいじょうぶなのよ!」
 その言葉は、先ほど香奠を数えながらいろいろ考えていたナリヒラに向けられた言葉のように感じられた。
 ナリヒラがしばらくして振り返ると、初冬の夕日が、親子の横顔を穏やかに照らしていた。男の子はもう下を向いてはいなかった。そして、母親の手を放して、独りで歩き始めていた。
 おサダさんの葬儀の翌日、ナリヒラが本館に出勤すると、主のいなくなったおサダさんの机のフックに、いつも彼女が持ち歩いていた日傘が、几帳面に畳まれたままで下がっていた。
      七
 その年の年末の忘年会は、新しく部門の責任者になった役員の方針で、二百人あまりの部門所属者全員が一堂に会する盛大なものとすることになった。
 会場は、本館七階の大食堂が選ばれた。普段は講演会や大きな会議に使われている部屋であるが、本来は食堂として作られた部屋であり、久しぶりに賑やかな催しが行われるのであった。
 大食堂の扉は、観音開きのものであるが、普段の日は片側だけが開けられるようにしてあった。その晩は、両方の扉が開け放たれて、大食堂の光がいつもよりも明るく廊下に漏れ出した。
 広い大食堂は、椅子をすべて壁際に寄せて、テーブルには白いクロスが掛けられて、料理の盛られた銀色の大皿が何十枚も並べられた。
 会場の中央には、大きな日本酒の酒樽が据えられて、役員や部長が木槌を持って威勢よく鏡割りを行なった。
 当日の趣向は、寄木張りの床を広く開けてダンスフロアにして、腕に覚えのある従業員が踊れるようにするというものであった。
 余興の時間が始まると、ダンスの学生選手権に出たことのある若手の社員のカップルが、コンチネンタル・タンゴの楽曲「ジェラシー」に乗って社交ダンスを披露した。次いで、その日のためににわか仕込みでダンスを習わされた新入社員のカップルが三組、やはりタンゴを披露した。にわか仕込みのカップルでは、男性の足がまるで柔道のように女性の足を払ったり、女性の靴の片方が何かの拍子に脱げたりして、満座は大笑いとなった。
 続いて、司会がつぎのようにアナウンスした。
「ここからはダンスタイムです。どなたでもご参加ください。先輩方も、昔とった杵柄で、久しぶりにいかがでしょうか?」
 音楽が始まると、六十歳を超えた役員をはじめとして、五十歳代の社員男女が十数人、お互いの顔を見合わせながらフロアに出てきて、カップルを組んで踊り始めた。普段はほとんど若手との会話に加わらないで、老眼鏡越しに書類を睨んでいるような、白髪頭の社員が何人もフロアに出て来ると、若い世代は、
「ええっ、あの人も・・・」
と声を挙げた。カップルがうまくできない人には、先ほど踊った若手が相手を勤めた。
 シマケンさんは、その中では真っ先にフロアに飛び出した。
 シマケンさんは、相手を次々に替えて踊っていたが、最後に、ここ二年ほどナリヒラと机を並べていて、普段はモダンバレエを習っている、ランさんというあだ名の女性とカップルを組んで、タンゴ風にアレンジされた「黒い瞳」の曲でステップを見せた。
 ナリヒラは、このような場所での例によって、テーブルの陰でスパゲッティを啜りながら、ただ見ていた。
 宴会は副本部長の一本締めでお開きとなった。
 ナリヒラは一旦事務所に戻って、もう誰もいない事務所の照明を点灯すると、間もなくシマケンさんが戻ってきた。
 シマケンさんは、今夜のためにダンス用の靴に履き替えていたが、宴会が終わって、自席に置いてあった普段の靴に履き替えに戻ったのだった。
 シマケンさんは、ダンス用の靴を紙袋に入れながら、こう言った。
「それにしても、おサダさんがいないのはさびしかったな。ゆっくりの曲ならば、フロアに出て来ただろうに・・・」
 そして、シマケンさんは一瞬話すのを躊躇している様子であったが、つぎのように続けた。
「それでね、変な話なんだけれど、おサダさん、」
 シマケンさんはそこで言い淀んだが、重み切ったようだった。
「おサダさん・・・出て来た。」
「出て来たって、死んだ方が出て来たということですか?」
「そうなんだ。シーラちゃんに笑われるかもしれないけれど・・・。最後のダンスの時に、ランさんと踊っていたはずなんだけれど、踊りながらその子の瞳をじっと見ているうちに、一瞬ランさんがおサダさんになったんだ。いや、本当に。」
 ナリヒラは、かつておサダさんと本館の地下倉庫に行った時に、彼女が
「出るわよ。」
と言ったのを思い出した。

 ナリヒラは、シマケンさんと別れて、帰宅しようと電車に乗った。
 彼は、座席で半分うとうとしながら、つぎのように考えた。
 すべての人にある魂の疵とはなんだろうか?おサダさんの葬儀の時に考えた、依存ということと関わっているのであろうか?
 思い切って飛躍して、人間の欲望の最大限は何かを考えてみると、答えがわかるかもしれない。たぶん、欲望の最大限は、ありとあらゆるものを自分のものにすることだろう。すべての人は天国から落っこちるときに、何かを失っている。つまり何かが欠けている。生まれて来る時に、必ず自分の切り株を、その生えている大地ごと、向こう側に残してきているのだ。もっと言えば、およそ存在というものには不存在が欠けていて、不存在というものには存在が欠けている。そうであるとすれば、自分に欠けたものを求めるに決まっている。そうしないと、ありとあらゆるものが自分のものになったとは言えないからだ。すべての人の疵とは、すべての人がこのような欠落を帯びているということではないか?それはすべての人が、自覚しているかどうかは別にして、少なくとも潜在的には大欲を抱いていることを意味する。大欲があるから、人はつぎからつぎに異なるものを欲しがるものを取り替え続けるかもしれないし、あるいは一度にすべてを欲しがるかもしれない。そして、この大欲は、生きている限りは決して実現しないものである。かといって、死んだ人間には、大欲を満たした満足など、味わうことはもとより不可能である。
他者に依存するということは、他者から何かを受け取りたいということであり、そのために自分は対価を期待していろいろな物を相手に差し出す。しかし、結局それは人間の大欲にはほど遠いちっぽけなものにすぎない。雪で井戸を埋めるようなもので、際限がない。依存する相手は、自分が欲しいものを差し出してくるかもしれないが、自分が欲しくないものを差し出してくるかもしれないし、自分から受け取るだけ受け取って何も差し出さないかもしれない。そればかりでなく、自分を支配しようとするかもしれない。人はお互いそのような状況にある。人は望まない事態が他者からもたらされる可能性を無意識に感得して、いつもさまざまな不安に襲われる。
そもそも、大欲とは、究極の依存だ。大欲の原因である欠落がすべての人間の疵であるとすれば、人間である限り、依存というものから脱することはできないということにならないだろうか?大欲のゴールに立っている門の扉は、生きている間は開くことがなくて、死ぬ時には扉は閂が下りて永遠に閉じてしまうのではないか?
なんらかの修行によって扉の向こうを疑似体験すればわかるのだろうか?でも、この世には、有史以来、一度死んでから帰って来た人はいないのだから、誰も証明できないのだ。疑似体験は、どんなにゼロに近づいても、ゼロとは紙一重を隔てるのだ。「この扉を開けられれば」と、どんなに思い続けても、少なくともこの扉に限っては、生きている誰もが開けられない。それとも、紙一重のぎりぎりの場所において、嘘からまことが表われることに賭けるべきなのだろうか?
言葉の桎梏から逃れればよいという考え方もある。存在と不存在とは鏡で写したような対称関係ではない。不存在、何かが「ない」というのは、何かが「あるべき」という前提があって、それがないということを意味する。言葉の背景には、必ずこのような「べき」という命令的な抑圧がある。これを取り払えば、存在も不存在も消滅する、という理屈だ。
しかしそれは、扉の取っ手を引きちぎって、扉が開いたと思い込むようなものだ。言葉を離れて対象物があるというのは、仮説だ。そして、この仮説の是非を争う前に、どうしても問わなければならないことがある。そのようなアクロバットを演じなければ、人は幸せになれないのか?それとも、たとえ少数であっても、アクロバットではなくて本当に扉を開けることができる人がいて、そういう人が聖人と呼ばれるのであろうか?
存在が不存在を、不存在が存在を描いているということは、つぎのように言いかえられないか?存在は不存在が前提に成り立っていて、不存在は存在を前提に成り立っている。この二者はひとつのことの表面と裏面だ。ただし、この真実は、人間の眼にはきわめて見えにくく、また忘れやすいのだ・・・
彼はそのあと、数分の間、睡眠に陥ったが、電車の一揺れで意識がもどって、一旦中断していた考えの流れに戻った。
大欲とは人がよく直視できるものなのだろうか?およそ東洋における富にかかわる、あらゆる欲望の蓄電池のような、本館という場所に勤めていて、そのごく上澄みを事務的に処理するような生活をするうちに、大欲もなんらかの便利な方法で事務的に処理できるような気になっているだけではないか?本館の中にいる限りは、落っこちたはずの天国に戻ったかのような錯覚にひたることが容易だ。 
おサダさんが
「出るわよ。」
と言ったのは、そういう錯覚の日々で忘れ去られている、生々しい欲望とそれにより払われた犠牲とのさまざまな帰結の姿が「化けて」出るということだろう。大欲とは、心の内にひっそりと秘められたおとなしいものではなくて、人を呑みこんでしまう猛々しいもののはずだ。
自分は、大欲という、手に負えないものを相手にしなければならないのか?あえて冒険をしないで、疵とうまくつき合って一生を渡ってゆければ、それでよいのではないか?・・・
 彼は論理の粗さにかまわず、考え続けていた。
 気が付くと、電車は彼の降りるべき駅をとうに超えて、秩父に近いと思われる、ナリヒラの知らない駅に到着していた。窓の外には、深夜の暗がりの中にまばらな人家の灯りが見えていた。彼はその駅で電車を降りた。
 郊外の透明な空気の中、星のひとつひとつがはっきり見分けられるような冬の夜空の下のプラットホームのベンチに腰かけながら、ナリヒラは、自分が降りるべき駅を乗り過ごしたように、自分の考えが大事なところをするっと通り過ぎているのではないかと思った。そして、自分はこれからも本館に毎日通って来て、大欲の扉と背中合わせにしてデスクにすわって、人の欲望の上澄みの事務処理をしながら、しまいには自分の人生もそれなりの体裁のとれるように事務処理するのだろう、そこで門番として腕を振るえば振るうほど、この場への依存を強めるのだろう、と予感した。本館という、経済の巨大な臓器の只中にいて、その場所で代謝機能の一端を担い続ける人生であれば、会社と縁が切れる日まで自分の考えは堂々巡りのままではないかとも思った。
 彼は、空を仰いで、星のひとつひとつを努めて見分けていた。そのとき、彼の耳は、冷たい風の中に、誰の声かはわからない、つぎのような言葉を聞き取っていた。
「結論を急がないで!もしも大欲が満たされたとしても、その瞬間には自分は消えてしまっているわ。それなのにね、そんなにはかないものなのに、大欲は、人が生きてゆくエネルギーの源なのよ。だから、大欲の問題を解決済みにして生きることは、一生、誰にもできないわ。本当の修行は、大欲に振り回されないように、大欲と一生つきあって生き抜くことだと思うわ。だから、人の心には、さとりも、迷いも、どちらも可能性として備わっている・・・とりあえずは、そのぐらいに思っていればいいの。そうして人生を生き抜くなかで、自分ではないものに出会ったり、自分ではないものを好きになったりすればいいのよ。」
 彼は、袋小路の行き止まりに、小さな出口の扉をみつけたような気がした。風の中の声は、おサダさんの葬式の後に荒川土手で会った子連れのお母さんの声に似ているように思えた。ナリヒラは、夜空の下でひとつ深呼吸すると、気管を過ぎる冷たい空気が快く感じられた。
 彼はふと、次の休みには、祖母とよく出かけて行った金毘羅さんに、久しぶりにお参りに行こうと思い立った。      
      
      八
 世の中は低金利の金融政策が続き、資産価値がどんどん上がって、景気がよかったはずであったが、本館のお向かいの中央銀行で金融政策が変わり、経済の雲行きが急に怪しくなった。
 モリさんは、いつものように残業の途中で店屋物の夕食を採りながら、ナリヒラに話しかけた。
「今思うとな、プラザ合意、あれが始まりや。」
 モリさんはかつ丼をほおばりながら、つぎのような話をした。
 彼によると、戦後一ドル三六〇円という為替レートが設定されていたのは、相当の円安水準であり、そのおかげで輸出を伸ばして高度経済成長が実現した。これは国際的に日本に与えられた特権のようなもので、冷戦の中で日本が西側陣営の一員として復興することを企図したものであった。
 ところが、オイルショックで原油価格がそれまでとは桁違いに高くなり、アメリカも冷戦とベトナム戦争で国力を消耗し、この為替レートの維持が「しんどく」なった。
 だから、アメリカのニクソン大統領が金とドルとの交換を停止するとともに為替レートを円高方向に変更し、その後短い間に為替レートの固定相場制が終わり変動相場制に移行した。
 さらに、先進国は、もっと円高にしてもらって、自分たちの貿易収支を改善したいと考えた。その結果がプラザ合意で、モリさんの言い方では、アメリカに「円を高うせい」と言われて、日本はさらなる円高を約束した。
 円高を約束したものの、国内の景気が冷えると困るから、金融政策は低金利政策をとった。これがここ数年の資産価格の上昇を招いた。
「そやから、また外国に円を高うせいと言われて、金利を上げんならんようになったんとちゃうか。円安で儲けたんやから、多少は返せ、ちゅうところやろ。」
「うちの会社も、投資の方針は変わってくるのでしょうか?」
「テツさんは、あいかわらず強気や。景気には循環いうもんがあるさかい、沈んでもまた浮いてくる、意地でも、何がなんでも、どういう手を使っても、また浮かぶようにするのが経済人の務めや・・・そういうふうに言うてはった。」
「精神論としてはわかります。」
「世界大恐慌の時だって、大戦争になっても、経済は沈みっぱなしにならへんかった、いうことやな。苦し紛れに禁じ手にでも手を出すからやないか。そやから、精神論だけで済ませへんやろ。でも、禁じ手は副作用もあるで。」
 モリさんは味噌汁をすすりながら続けた。
「そういう世の中で、自分の商売を生き残らせていかなあかん。資金だけは切れたらおしまいや。自分の商売の資金がつまらんように、考えなあかん。利ザヤ稼ぎ一本では、生き残りはでけんよ。サバイバルの時代になったいうことや。」
「そういえば、この間経理部で、売上はすべてを癒す、という言葉を聞きました。」
「株式市場は売上が伸びればついてくるかもしれへんが、資金繰りはそれとは全く別の話や。ワシはサバイバルの話をしとんのや。まあ、そのうちシーラちゃんもワシの言うとる意味がわかるやろ。」
 モリさんは、かつ丼の三つ葉のついた前歯を見せてにやっと笑った。
「これまで銀行は担保さえあれば融資してはったが、最近はキャッシュフローに心配がないか、チェックが厳しゅうなった。金融いうもんは、担保やなくて、借り手の事業性能をみて貸すのが王道やから、本来の姿に戻るいうことやろうけどな、そりゃ借り手の方からみたら掌が返ったようなもんで、これから倒れるところも出てくるんとちゃうか。」
「どうして日本は不動産担保金融がこんなに大きくなったんでしょうか?」
「不動産の値段が、そこから得られるインカムゲインとの見合いで決まるんやったら、ここまで大きくならんかったろうな。ここまで拡大して来たのは、いったいなんでか、いうとな、・・・」
モリさんはちょっとためらってから続けた。
「ワシひとりの考えやが、それはな、不動産の供給が有限で、生産すれば供給が増えるもんやないと思われとったからや。供給が増えへん市場は、供給よりも需要が多かったら、理屈のうえでは値段がどんどん上がる。需要の方があきらめん限りは、どんどん上がる。単純に言えば、人口が増えれば、人間は宙に浮いて生きることができへんから、かならず地べたか床かが必要になるから、簡単にあきらめるわけにはいかんやろ。」
 モリさんはまたためらうように言葉を中断してから、また続けた。
「でもな、建物を建てれば、供給は増えるんや。教科書でよく見る、普通の需給曲線に近づくんやな。それやったらば、どこかで値段は頭打ちになるわな。ここんとこ、どんどん新しい建物が建って、街の景色もずいぶん変わってきた思うで。」
「それは・・・つまり、日本の不動産の需給曲線のあり方が変わるということですね。もしも需要が供給を下回るような事態になると、資産市場にとって、決定的な転換点になるのではないですか?」
「たぶん、そう言うても大げさやないやろ。人口に見合う床がもう足りた、いうことやとすると・・・それで何が起こるか、ワシにはようわからんけど。」
 ナリヒラは、モリさんはそう言いながらも、近い将来をよく見通しているはずだと思った。
 ナリヒラは、少なくとも、日本がプラザ合意という扉を開けて、戦後の高度成長時代とは異なる時代に入って行ったというのは、たぶん当たっていると思った。そして、生き残りの時代に、この本館という場を背負うのはいったい誰だろうかという懸念が心をよぎった。      

七月になって、ナリヒラは古くから六王が持っている資産を処分する業務を担当することになった。
 戦前から保有している資産は、簿価が旧円のままであったから、これを現時点の価格で売却すると、売上高のほぼすべてが利益になった。
 六王興産といえども、資金の確保は次第に経営の重要課題となり、まずは遊休資産の活用や売却を検討せざるをえない情勢となっていた。
 資産処分業務の担当役員は、テツさんであった。
 それまで投資事業の急拡大に辣腕を振ってきたテツさんことスミダ常務が、今度は守勢の総大将になった形であった。
 スミダ常務とナリヒラとの間には、部長や課長やその下の管理職が四人ほど挟まっていて、日ごろはナリヒラがテツさんに直接話をする機会はまずなかった。
 八月になって、長野県の松本にあった遊休地の売却が検討課題になった。
 この遊休地は、もともと戦前にある会社への貸付金の担保にとっていたものが流れて六王の資産になったものであった。戦争直後の経済の混乱期に、六王は現金が入る事業には何でも手を出す方針となり、この土地で麦芽糖から飴を作る工場を営んだことがあった。その後、財閥解体を経て、朝鮮戦争の特需で経営が息を吹き返すと、必ずしも成功していなかった飴の製造は打ち切りになった。土地の上にはバラック造りの工場が、手入れされることなく残っており、ご近所の農家に迷惑をかけないように、時折委託業者に草引きをさせる程度で、現在に至っていた。
 スミダ常務は、この土地の検分に自ら出かけることになった。
 現地を目視して調べることを、この会社では「実査」と呼んでいた。
 ナリヒラはスミダ常務の実査の随行を命じられた。
 早朝の中央線の特急が出発する新宿駅のプラットホームで、ナリヒラはスミダ常務を待ち受けた。
 スミダ常務は、日帰りの出張なので荷物を持たずに手ぶらで現れた。
 特急のグリーン車に乗り込んで、ナリヒラがスミダ常務の隣に座ろうとしたところ、スミダ常務は、
「広く座れ。」
と言って、ナリヒラに空いている別の席に座るよう命じた。
 ナリヒラは、動き出した特急の車窓を眺めた。新宿を出発してしばらくの間、特急は高層の建物の間を縫うように進んだが、そのうちまわりの建物は低くなり、木々の緑もまだらではあるが見えるようになった。
 スミダ常務は、いつも自席で座っているときのように背筋をしゃんと伸ばして、度の強い眼鏡を額にずらして、岩波新書と思われる書物を両手に持って、無表情に字を追っていた。
 特急が高尾を過ぎ、甲斐路に入り、左右は山々の緑の続く景色になった。
 ナリヒラは、中里介山の小説で名高い大菩薩峠はたしかこのあたりではなかったかと、右の車窓に首を向けた。
 その小説の主人公の机龍之助は、剣術の達人で、生きた人間に剣を振るいたいという衝動のままに、何の落ち度もない通りがかりの巡礼を切り殺したのであった。
 ナリヒラはその長大な小説を通読したことはなかったが、市川雷蔵が主演する映画を見たことがあった。主人公は、普段は倦怠しているかのように無表情に過ごしながら、生きた人間に剣を振るう時にはその万能感に陶酔するのであった。そして、主人公は、おのれの所業がおのれに報復するさまざまな幻覚にとらわれて、その苦しみに狂乱するのであった。
ナリヒラは車窓を過ぎる山々を見るともなく眺めながら考えた。
市川雷蔵の表現する倦怠は、陶酔の一瞬を待つ倦怠であり、また一瞬の陶酔の過ぎ去った後の倦怠だ。そしてその倦怠は、弛緩ではなくて、次の前触れのない陶酔の機会を成功させるための不断の緊張だ
主人公の苦しみは、主人公が万能感の代償として切り捨てた生身のおのれの苦しみだ。そして、主人公を愛してしまう薄幸の女性と、主人公が逆さ吊りのような生き方を改めることを願って祈るまわりの人々が、菩薩の発する白光のように主人公を悲しく照らしている。
自分の一時の陶酔にのみ忠実で、善も悪も認めないニヒリストは、自分とまわりの人々にどのような悲しみをもたらすのだろうか。人間にとり、もっともつらいのは、苦しみではなくて、悲しみなのかもしれない・・・
 ナリヒラがこのようなことを考え続けるうちに、特急は、諏訪湖の東岸を通過し、ほどなく松本駅に到着した。
 松本駅には、かねて予約してあった個人タクシーが待っていた。
 タクシーが街の中心部を抜けて十五分ばかり走ると、廃校のような佇まいの古い木造平屋の旧工場の建物が、黒々とした北アルプスの山容を遠景にして見えてきた。
 二人は管理人の事務所を訪れた。
 管理人は六十台半ばの男で、ナリヒラの記憶ではたしか会社の嘱託社員になっていて、肩書は「所長」のはずであった。彼は三千坪以上ある敷地とその上物である半ば廃屋の建物の管理をしながら、年に一度か二度、東京の本社から実査に来る人を応対するのだった。
二人は、シートのあちらこちらに穴が開いて、中の黄色い詰め物がのぞいている応接セットに案内された。
鴨居の上には、茶色くなった本館のモノクロ写真が、錆びた画鋲で貼られていた。
 ナリヒラは、シートに座ると、用意していた資料をとり出して、上司に物件概要の説明をしようとした。
 スミダ常務は、それを遮ってこう言った。
「せっかく地元の方のお話を聞こうとしているのに、お前はだまってろ。」
 所長は、訥々と、いかに建物が傷んでいるかについて、青焼きコピーの図面を指さしながら説明した。
 そして、所長の案内で、旧工場の敷地と建物との状況をひとわたり見て回った。
 建物の木製の扉は引き戸で、レールが錆び
ていて、開けるときにがたがたと音を立てた。
飴の製造機械はかなり以前に搬出されて、
建物は学校の体育館のようながらんどうだった。
 所長は腰に手拭いを下げた出で立ちで、
「ここには糖を煮詰める窯があったんです。」
「ここには製品を延ばす装置がありました。」
と、工場が稼働していた時の状況を細かく説明した。
 一同は、建物の内外の傷み具合、敷地境界、周囲の接道状況、近隣の状況、最寄りのバス停など、すべてを徒歩で確認した。
松本は標高の高い土地であるが、八月初めの正午に近い時間となるとさすがに暑く、屋外を見て回るのは若いナリヒラにも一苦労であった。
 屋内外の確認が一通り終わると、一同は再び事務所に戻ってきた。
 事務所では、所長の奥方の手作りのそうめんが氷に冷えて一同を待っていた。
 スミダ常務は、会社で上下の人と応対する時の鋭い調子とは全く異なり、所長が自分の目上であるかのように丁寧に話しかけた。
「いつも所長おひとりに管理のご苦労をおかけしています。おかげさまで、ご近所からもさしたる苦情のないことを聞いて安心いたしました。」
所長は、実査を無事に終えて、安心した様子でつぎのように言った。
「ご本社からは、正月過ぎに、スキーに行かれる途中だとおっしゃって、若い方が三人ばかり、急にお見えになったことがありましたが、今日はそれから半年ぶりのご訪問です。普段は背広など着ませんが、今日はご本社の実査ですので、蔵から夏の背広を出しました。」
彼の脱いだ上着の畳み皺とナフタリンの匂いとが、彼の話を裏付けていた。
 スミダ常務は、普段見せないような打ち解けた表情になって言った。
「私は会社に入って間もない頃、何度かこちらにうかがったことがあります。その時も所長はここにおいでになりましたね。飴の生産を停止しようかどうかという時でした。所長は工場の生産ラインにおられて、一日かけて飴の製造工程を初めから最後まで教えていただいたのを覚えています。結局、工場を閉めることに決まって、みなさまにはずいぶんご苦労をかけたと思います。」
「ああ、覚えています。スミダさんは、工場に働いていた連中を集めて、閉鎖の説明をされましたね。泣き出した人もいましたが、みなさん何日も泊りがけで説得にあたられて・・・」
「どうしても反対の方が三人おられて、一升瓶をはさんで一晩中お話をしました。最後には、『わかったよ、あんたも会社に言われてやってるんだから』と言ってもらいました。」
「あなたの上司は、最初から最後まで強面で、腕組みしたまんま、ほとんど口を利かなかった。」
「そうでした。彼も年をとってからは好々爺になりましたが、一昨年亡くなりました。」
 所長は、スミダ常務とナリヒラとがこの敷地を売却する検討のために来ていること、まして売却によって所長の雇用契約にも影響がありうることには、まるで勘づいていない様子だった。スミダ常務は、まったく通常的な資産状況確認のために実査に訪れた風を貫き通した。スミダ常務は、しばらくの間、普段あまり他人と話す機会がない老所長の昔話の相手をした。
実査が終わって、二人は再びタクシーに乗り込んだ。ナリヒラが車中で後ろを振り返ると、所長はまるで敬礼するかのような手つきで、右手を顎まで上げて肘を張ったまま、タクシーが視野から消えてゆくのを見送った。
 スミダ常務とナリヒラは、タクシーで街の中心部に戻った。
 あらかじめ指定券を買ってある夕方の特急までは時間があった。
 タクシーの車中で、スミダ常務はナリヒラに言った。
「時間があるから、松本城に行ってみるか。」
「はっ?」
「だから・・・俺たちは出張中で観光するわけにはいかないんだから、天守閣の中には入らないけれど、城の堀でもぶらついて、電車を待とう、と言ってるんだよ。」
 ナリヒラは、再び
「はっ」
と答えると、スミダ常務は、
「おまえはいつも、『はっ』、とか、『そうですね』、とか、相槌しか打たないな。俺と話をしないつもりか。」
「いえ、いえ。平社員が常務にお話しすることは、やはり遠慮されますので・・・」
「モリ公もそんなことを言っていた。そのくせ、やつは俺にケンヨクテキであるべきだとか言ってきてな、それで思い切り言い返してやったことがある。おおかた、そんな話でも耳にしているもんだから、話しにくいんだろう。モリ公とおまえは仲がいいのは知ってる。」
 ナリヒラは、モリさんから聞かされた、モリさんとテツさんとの問答を思い出した。
 タクシーは松本城公園の南側の入り口の前で二人を降ろした。
 二人は公園に入って、内堀沿いに歩いた。蝉時雨の中、観光客の姿はまばらだった。き、天守閣のよく見える場所で、スミダ常務はナリヒラに話しかけた。
「ここは石川数正が建てた名城だ。石川数正を知っているか?」
「ええと・・・はい、徳川家の懐刀だった人物ですが、徳川から出奔して秀吉の部下になったという話だったと思います。出奔の理由については、いろいろな説があって、たしか決め手がないとされていたはずです。」
「徳川を裏切ったという言い方をされることもあるらしい。自分では弁明をしなかったんだろうな。だから今もって出奔の理由は謎なんだ。」
「本人には、何か言うに言えない事情があったのかもしれません。」
「うむ、おまえはやっぱり若者らしくないな。そんなに物分かりよくしてないで、謎を徹底究明してやろうとか、そういう気にはならないのか?相槌しか打たないのは、まだ子供だからかな、と思っていたが、どうも違うようだ。シーラカンスはなかなか食えないな。」
 スミダ常務は、もともとは自分が名付け親である、ナリヒラのあだ名を持ち出してそう言った。
 ナリヒラは、すこし考えてから、つぎのように返答した。
「人は見た目だけではなくて、さまざまな事情を抱えているもんだと、会社に入った時におサダさんに教わりました。最近はそういう習慣がついてしまったのでしょう、歴史的人物についても、そのように思ってしまいます。」
「そういう考え方がシーラカンスなんだ。そういう古い財閥の発想は、市場原理で変えてゆかなければならないんだ。カネは言葉ではないけれども、雄弁だ。なにせ結果が歴然だからな。儲かるか、損をするかだ。カネの結果には、議論もイデオロギーも関係ない。」
ナリヒラは内心つぎのように思った。
自分たちサラリーマンが理解しているのは、そういう市場原理のカネの論理というよりも、勝つか、負けるかだ。事業が儲かっていなくても、シェアがとれれば、勝っているように見える。大きなプロジェクトが物理的に完成すれば、勝っているように見える。そのために、利益を度外視して、体を壊してまで無理をする猛烈社員がたくさんいる。世の中にも、自分の会社の中にも、利益率が低い事業がたくさん進行している。それは儲けるためではなくて、勝つためだ。より正確に言えば、自分で勝つというよりも、勝ち馬に乗って見せたいのだ。勝ち馬に乗り遅れたくないのだ。その時その時の勝ち馬に乗り換えるのだ。決して、市場原理が浸透して近代化されているのではない。人々にとって、近代化は上から降ってくるもので、人々はそれを経験的にわかりやすい形で受け止めるのだ。だから、どうしても必要なことは、全体があらぬ方に駆け出してしまわないように、アンカーを確保することなのだ。
テツさんが日本の近代化を志しているのは、近代化そのものが自己目的ではない。近代化した日本が、世界の中で勝つためのはずだ。その目的が、かつて学生時代に挫折した自分のくやしさと裏表になっているのだ。
テツさんは、自分の人生もかつての仲間も犠牲にして、勝つために生きてきたのだ。ナリヒラは、行きの電車で自分が机龍之助を思い出したのは、テツさんの生き方が机龍之助に似ているとどこかで感じていたからだと理解した。
ナリヒラはつぎのように返答した。
「テツさんが日本のために信念を通されていることは、自分のような者にもわかります。自分は呑み込みが遅いたちですから、よく勉強いたします。」
 スミダ常務は、ナリヒラの顔にちらっと眼を向けたが、この言葉には返答をしないで、ナリヒラの先に立って一人でずんずん歩いて行った。昔は女子社員に人気があったというスミダ常務の骨張った長身と、ナリヒラとの間の距離は、少しずつ広がって行った。
 しばらく会話が途切れた後に、スミダ常務はつぎのように独り言を言った。
「今日も結局、天守閣の中には入れなかった。前に工場を閉めに来た時も、何日も松本に泊ったんだが、中には入らずじまいだった。大手の門の扉は開いているのに・・・俺は結局のところ入れないめぐり合わせなんだな。」
 ナリヒラには、その独り言がスミダ常務としてではなくて、ひとりの元学生のテツさんの独り言のように感じられた。ナリヒラには、約四百年もの風雪に耐えた五層の天守閣に背中を向けて歩くスミダ常務の姿が、ひどく疲れているように見えた。
 立秋を過ぎたばかりの太陽は、天守閣の西に見える北アルプスの峰々の上方に傾いて、やや和らいだ白い光で二人を照らした。
ナリヒラが、スミダ常務の背中にそっと、
「常務、そろそろ駅に向かいましょう。」
と声をかけると、スミダ常務はこっくりと無言で頷いた。

      九
 三月に入って、雨の日が続いた。
 ナリヒラは、昼休みには、昼食を早く済ませて、本館のまわりのあちらこちらを散歩することを楽しみしていたが、あいにくの天気続きで、本館の中に留まっていることが多かった。
 その日も朝から雨が続いていたが、ナリヒラは、
「ここのところ運動不足だから、今日は雨でも外を歩こう。桜はそろそろ咲いたかな。」
と思って、傘を持って戸外に出た。
 さいわいに雨はやんで、空はやや明るくなっていた。
 ナリヒラが、右に折れると、ビルの谷間に埋もれるように、コンクリート造りながら、小さな寺院風の建物があった。
旧弊なたちのナリヒラは、このようなお堂があると、必ず立ち寄って、十円玉を備えて頭を下げないと、気が済まないのであった。
この日も、朝から取引先の債権回収のこじれた案件の会議が二件ばかり続き、ナリヒラはぜひとも気分転換せずにはいられない気分であった。
ナリヒラが財布をさぐると、十円玉はなくて、一円玉が数枚と、百円玉が一枚あった。
ナリヒラは、厄払いをしたい気持ちで、財布の小銭をすべて賽銭箱に入れて、頭の上の鉦を鳴らした。
ナリヒラは、雨に湿ってすべりやすくなったお堂の階段を下りて車道に出ると、道の向こう側から、
「あ、シーラちゃん」
と声をかけられたのに気が付いた。
 声の主は、会社の同僚の女子社員のランであった。ランはナリヒラよりも年齢は一つか二つ下のはずであったが、高校を卒業してすぐに入社したので、入社年次はナリヒラよりも先であった。
 この「ラン」というのはあだ名で、会社では普段誰も本人の氏名で呼ばないのであった。
 ランの仕事ぶりには独特のものがあった。
 ランはナリヒラの所属する課の事務まわりの業務を担当するアシスタントであったが、机の上には、伝票やら、契約書案やら、作成するべき書類が無造作に散乱していた。その散乱した書類をよく見てみると、どの書類も、普通の作りかけであればある程度はきりのよいところで止めているべきものが、たとえば人の氏名の途中の二、三文字目で止まっていたり、八桁のはずの数字の頭の五文字だけで止まっていたり、契約書のこより綴じ用の錐が、一つ目の穴を開け終わった形で横になっていたりした。
 そのような突然の中断の連続には理由があった。ランは仕事の途中で誰かに声を掛けられると、すぐに書類から顔を上げ、手を放して話の応対に入り、その会話が終わると、今度はまったくちがう書類に手をつけるのであった。
 それでは、ランが事務員として仕事に問題があるかというと、そのようなことはなかった。ランはほとんど残業しないのに、それぞれの仕事の期限には、なすべき仕事が出来上がっているのであった。その出来上がった経緯はほかの誰にもわからない、彼女独特の不思議な方法で、最後の辻褄は合わせているのだった。
 シマケンさんは、
「毎日誰かに誘われるとランラン楽しそうについて行くようにみえるから、ランって言われるんだ。」
と言っていた。
 彼女は飲み会に誘われると、気軽に応じるらしく、社内では結構顔が広かった。
 ナリヒラは、ランとは仕事の話以外には、話らしい話をしたことがなかった。
彼は、耳にした噂から、
「彼女はメリメのカルメンのような、奔放で人を振り回すタイプなんだろう、必要以上には近づかないでおくに限る。」
と決め込んでいた。
 ナリヒラに声を掛けたランは、近所に弁当を買いに来た帰りらしく、濃い紺の制服に黒いレザーの短い上着を羽織り、臙脂色の絹物のスカーフを取り合わせて、手にビニールの袋をぶら下げていた。
 ナリヒラがランのいる道の向こうに渡ると、香粧品の香りに混じって、レザーのにおいがした。
「ランさん、買い物ですか?」
「そうだけど、シーラちゃんはあそこで何してたの?」
「厄払いのお参りに・・・」
「ご利益あるのかしら。」
「少なくとも、気分がちょっと晴れましたよ。」
「このところ雨続きだしね・・・そういえば、あのお堂、町会の寄り合い所みたいになってるんでしょ。」
「うん、そうらしい。」
「日本橋はお社やお堂を寄り合い所にしてるところ、多いみたいね。」
「ランさん、詳しいですね。」
「ここはちがうけど、お神輿庫なんかもあったりして、何かと集まることが多いのよ。うち、前には日本橋中洲で仕出し屋をやってたから、わかるのよ。」
「へえ、初耳だ。じゃあ、日本橋に住んでたわけだ。」
「うん、子供の頃ね。おじいちゃんが、」
ランはすぐに言い直した。
「あっ、祖父が、店をたたんでからは、みんな隅田川の向こうに越しちゃったの。でもね、あっちもお祭りは盛んだし、ちょっと歩いて清洲橋を渡れば中洲の街だし、引っ越してもあんまり変わった感じはしなかったわ。あたしね、あっちのお祭りには神楽の横笛を吹くのよ。お囃子連中でお神輿と列を作って街を練り歩くのよ。」
「ランさんにそんな古風なところがあるなんて、意外ですね。」
「あら、ごあいさつね。これでも日本舞踊も一通り習った、なでしこですよ。地毛で桃割れを結ってもらって踊ってたんだから。でも、会社に入ってから髪はさっくり切っちゃったの。」
 彼女はそう言って、襟足で高く切り揃えられたおかっぱの裾を、指先でさらっと撫でた。
 ナリヒラは、ランが通勤時に着ている流行の直線裁ちでモノトーンの洋服が、彼女のヘアスタイルとよくバランスがとれて見えるのを思い出していた。
「今も踊ったりするんですか?」
「今はね、ちがうジャンルを習ってるのよ。」
「ひょっとして、フラメンコとか?」
「なんでここで、フラメンコって出てくるのよ。はずれよ。はずれだけど・・・あたり。」
 ランは自分の言葉にナリヒラがどう反応したのか、うかがうように顔を向けた。
「今はね、モダンバレエやってるの。こないだまで習ってた曲目はカルメンだったから、あたりってことにしておいてあげるわ。まあまあ、いい勘してるようね。」
 ランは話を続けた。
「でも、フラメンコってかっこいいわね。バラとかくわえて、ハイヒールで床を鳴らすのよね。」
「また次のことを考えてるんですね。モダンバレエ、もう飽きちゃった?」
「飽きたわけじゃないんだけど、あたし、何でも少しできるようになると、早く次のことがしたくなるのよ。」
「ああ・・・わかります。」
 ランはその言葉を聞くと、鋭い口調になって言った。
「シーラちゃんって、何でもわかるのね。でも、わかったからって、どうするの?わかるって、もう考えなくてよくなったって、ひとりで安心するだけのことじゃない?ねえ?」
 この言葉にはナリヒラはどう答えてよいものか、狼狽した。
「ランさん、何か気に障ったんだったら、ごめんね。」
 ランは口調を和らげて答えた。
「ううん、気に障ったりしてないわ。ほんとに訊いてみたかったのよ。」
 ナリヒラは、ランに自分が今まで気が付いていなかった急所を直截に衝かれたと思った。 彼は、ランにしてみれば、ナリヒラがいつも曖昧な愛想の良さを崩さないのが不思議で、何か意外な反応が飛び出てくるのではと思って、ナリヒラが混乱するようなことを口から出るがまま言ってみたのかもしれないとは思ったが、平静を装いつつ、つぎのように取り繕うのがやっとだった。
「わかりますって言ったのは、すぐに次のことをしたくなるなんて、いかにもランさんらしいと思ったもんだから・・・」
 ランは、ナリヒラの目をしっかりと見ながら、真顔でつぎのように言葉を返した。
「ランさんらしいって・・・あたしのことが、どうしてわかるの?何年も机を並べているけど、仕事の用事以外で、ちゃんとお話ししたことはないわ。シーラちゃんはあたしのこと、なんにも知らないのよ。なんにも知らない、シーラちゃんよ。」
「わかったようなことを言って、悪かったね。女の人と話すの、なれなれしいと思われないかと心配で、得意じゃないんだよ。」
「シーラちゃんは嘘が下手そうだから、今の言葉は本当ね。今日はこのぐらいで勘弁してあげる。」
 川の方から唐突に、春の訪れを告げる強い南風が二人に吹き付けた。
柳のように風に乱れるランの黒髪の裾に、桜貝の色になった耳朶が見え隠れした。
 気が付くと、本館はすぐ目の前のところまで来ていた。
 昼休みの会話は、二人が昼食帰りの大勢の社員の流れに合流して裏玄関を通るところで途切れた。
 ランは、エレベーターを降りたところで、普段仲良しの同僚に声をかけられたが、小刻みに指先を振って返すだけで、珍しく何も会話を交わさなかった。
 ナリヒラは、普段と変わらない風を努めて装って自席に就いてからも、昼休みの短い会話が気になった。ランの指先ならば、普通は開くはずない扉も、ひらひらと開けてゆくことができるのかもしれない、でも、今日彼女が開けた扉は、開けっ放しのままだ、といったことを考え続けていた。そして、ナリヒラは本館の黒い鉄骨の窓枠からわずかに見える空を眺めながら、その開けっ放しの扉から桜の花びらが吹き込んでくる情景を想像した。
      
 ランとナリヒラの間に短い会話のあった次の日は、土曜日で、会社は休みだった。
 前日は、短い会話の後、ナリヒラは上司と取引先に出かけてそのまま帰宅したので、ランとは会う機会がなかった。
 ナリヒラは、やはりランはカルメンのような発展家の女性で、世間知らずの自分はからかわれただけだ、と決めつけようとして、決めかねた。
 彼は、ランについて、自分が見聞きして知っていることを反芻した。
 まず、酒が強いということ。酔うと煙草をほしがるらしいこと。流行の歌をたくさん知っていて、しかも歌うとうまいこと。
 酒が強いことは、ナリヒラが年に数回の会社の部署の宴会の席で、実際に見聞きした通りだった。元一流のスポーツ選手がおのれのペースで勧める酒杯を、断ることなくつぎつぎに飲み干すのであった。しかし、ナリヒラは、彼女が煙草を吸っている現場を見た記憶はなかった。
 彼女の歌は、声域が低く、テンポをルバート気味に崩す癖があって、その歌を持ち歌にしている歌手のまねに終わらない、個性的な雰囲気を出していた。
 彼女は自分ではアップテンポの歌が好みのようだったが、ナリヒラはある時、ランが普段はあまり歌わない演歌を歌うのを聞いて、うまいと感心したことがあった。
 それは、大広間の宴会で、この会社の宴会でたまにあるように、ちょっと悪ふざけが過ぎて、徳利や皿小鉢が散乱し、こういう時にはいつもそうであるように、しらふのナリヒラに片づけの任務が回ってきた。そのときに、誰かが選曲したカラオケが、歌い手なしに始まった。選曲した本人は、酔いつぶれてもう寝ているのであった。
 前奏のあと、しばらくバックグラウンドだけが鳴っていたが、歌詞の一番の途中から、歌声が聞こえてきた。
 昭和二十年代にラジオの人気者となって、その後昭和の大スターとなった歌手の持ち歌である、行く川の流れにたとえながら、この大歌手となった人の行き着いた人生観を歌い上げた歌詞を、かすかな小節を入れながら、言葉のひとつひとつを揺らすように歌っているのは、いったい誰だろう・・・と、ナリヒラが片づけの手を止めて舞台を見上げると、そこにはマイクを握り締めたランが立っていた。彼女の低い声域は、この歌にふさわしかった。
 つぎに、三次会、四次会と、遅くまで同僚に付き合うこと。
 酒を飲まないナリヒラは、たいてい一次会が終わると先輩に、
「いい子はもうねんね・・・」
とからかわれて帰されるので、これはその翌日に会社で聞いた話だった。
 しかし、ランは、親の家から会社に通っていて、夜の十二時が門限で、
「自分はシンデレラよ。」
と言っているらしかった。 
 あとは、銀座で会社の何某と二人でタクシーに乗り込むのを見かけた、という類のうわさをナリヒラはいくつか耳にしていた。
 ナリヒラは、ここ二年ぐらい、同じ部署でランと机を並べていながら、この程度の情報しか持っていなかった。つまるところ、ランが、社交的なタイプで、自分の楽しみたいという気持ちに正直に楽しんでいるらしい、ということ以外はわからないのであった。ただし、あの演歌の歌い方は、男女の葛藤を少なからず経験した人のものではないかと思われた。
 ナリヒラは、明くる日の土曜日は、たまっていた洗濯や掃除をしてから、図書館に行った。図書館では、どれかひとつの本を読むでもなく、背表紙を眺めては、気になった本を取り出して、ぱらぱらめくることを繰り返した。
 彼は、何気なく古典文学全集の古今和歌集を開くと、詠み人知らずのつぎの歌が眼に留まった。

 ほととぎす 鳴くやさつきの あやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな

 ナリヒラは、今は菖蒲には季節が早いな、とだけ思って、本を閉じた。
 図書館では、市民のための無料の催しが行われていて、その日は、
「純邦楽に親しむ会 午後三時より 新内『蘭蝶』」
と張り出されていた。
 彼が会場に入ると、会議室の窓側に、金屏風が立てられ、その前に紫色の座布団を載せた演台が据えられていて、間もなく、それぞれ鈍い光沢のある絹物の着流しに、細い角帯を締めた男性の演者が二人現れた。
 三味線の調子合わせの弦の音に続いて曲が始まり、太夫が鶴の鳴き声のような高い音調で、詞章を唄い始めた。
 この曲の詞章は、蘭蝶という男をめぐる、男の女房のお宮と、男のなじみの遊女此糸と、の間の愛憎の話である。
 ナリヒラは、純邦楽は何も考えないで浸るもの、心で聴くものと決めていて、あまり詞章を事前に調べたりはしないのであったが、その日は事前に配られたパンフレットで、あらかじめ詞章を確かめていた。

縁でこそあれ末かけて
約束かため身をかため世帯かためて落ち着いて
アア嬉しやと思ふたは
本に一日あらばこそ

 蘭蝶を此糸に奪われるお宮も、蘭蝶をお宮に取り返されないように心中まで覚悟する此糸も、それぞれが苦しいうちに、蘭蝶への思いを、お互いに切々と訴えかかるのであった。
 葛藤の強い圧力のなかで、情けが溶岩のように沸き起こり、それぞれの女が精いっぱいの慎しみのうちにようやく語る言葉に心の動きが濃縮されて、現実をはるかに超える質感をもって聞く人に迫ってくる。
 その場に蘭蝶は不在のままだ。蝶のようにひらひらと心移りする蘭蝶の移り気な心が二人の女の苦しみの原因だ。その点においては二人の女は呉越同舟で、このことがお互いの語り合いを可能にしている。二人の女は、蘭蝶へ投げかけるべき恨みを、その場にはなぜか顔を出さない蘭蝶の代わりに、お互い相手の女に投げかけているのでもあった。
ナリヒラは、新内を生演奏で聞いたのは初めてであったが、心を熱い奔流で撚られる思いがした。それはナリヒラにとって、片時のカタルシスであった。
 土曜日の夜は、新内が効いたのか、ナリヒラはよく眠ることができた。
日曜日の午後になって、ナリヒラは、清洲橋に行ってみようと思った。
 清洲橋は、金曜日のランの話の中で出た地名である。
 ナリヒラは、ランの住所も、まして彼女の引っ越し前の日本橋中洲の住所も知らなかった。
 彼には、せめてランに関係のありそうな場所に行けば、何か悟るところがあるのではないか、という漠然とした期待があった。
 清洲橋は、旧日本橋区の東にあり、隅田川を越えて深川に渡る橋で、ドイツのケルンの吊り橋に範をとって、関東大震災の復興事業としてかけられた橋である。
 柱と柱とをわたるケーブルは、金属でできているはずなのに、繊維を撚り合わせたようにしなやかに曲線を描いていた。
 このあたりの隅田川の岸には、桜の木は少なかった。それでも、よく晴れた春の午後の日差しの下、ほころびた紅桜が、残る白梅と妍を競い合っているのが見えた。
 彼は、前日図書館で調べた日本橋中洲の歴史を思い出した。
 清洲橋の西詰の日本橋中洲は、元は隅田川と、隅田川の支流の箱崎川とで挟まれた島であった。
 かつては、月の名所としても知られ、川沿いにたくさんの料亭が立ち並び、江戸の市民が風流を楽しめる場所であった。
 今は、箱崎川は埋め立てられて上に高速道路が通り、日本橋中洲は箱崎側の対岸とはまったくの地続きになった。料亭街は昭和四十年ごろまで続いていたが、ランのおじいさんのように畳む店が相次ぎ、今も商売を続けている料亭はなかった。料亭の跡地は、倉庫になったり、事務所になったりしていた。
 ナリヒラが隅田川の水面に目を移すと、白い水鳥が、波間に浮かぶのが見えた。
 隅田川の清洲橋よりもずっと上手には、言問橋がある。
 言問橋は「伊勢物語」にちなむ場所である。京からはるばる武蔵まで旅をしてきた無官の大夫の在原業平が、隅田川で水鳥の名前を舟人に尋ねて、それが都鳥と呼ばれていることを知ると、

 名にしおはば いざ事問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

と詠んだ、ということにちなんで名づけられた地名である。
 「伊勢物語」の多くの章が「むかし、男ありけり」で始まることにちなんで、在原業平が「昔男」と呼ばれていたのを高校の古文の教科書で知って、僭越にも平安時代の自分と同じ名前の歌人に自分と通じるものを感じたのを思い出した。
 自分のランへの気持ちは、欲望だけであろうか?それであれば、ただちに踵を返して、ここを立ち去るのがよい。あの春風のたわむれの中に見立てた、わが求める面影だけではなくて、ランの浮気性や、会社で見せない未知の顔も承知したうえで、それでもなお、自分は彼女に歌いかけたいと思っているであろうか?
 愛の強烈なエネルギーは、惜しみなく奪う独善的な力でもあり、葛藤や奪い合いやいつわりも生み出す源である。そのありさまは、エゴの葛藤であり、泥沼という言葉が、形容するにふさわしい。「蘭蝶」の世界は、泥沼のまっただ中に咲いた一輪の花だからこそ、人の心を絞るのだ。自分は泥沼をどれだけわかっているのか?泥沼を耐え抜く覚悟はあるのか?泥沼のまっただ中で、歌いかけることが自分にはできるのか?
 ナリヒラは、持ち歩いていたレポート用紙を縦書きに使って、つぎのような文章を書いた。「伊勢物語」を擬したつもりであった。
「むかし、男ありけり。武蔵の国なるはしのたもとにて、乙女たはむれに、男女の世を知るやいなや、男にこころみけり。男、え答えず、その夜はえも寝ねず。乙女の住まふてふ川の端にあくがれいでて、都鳥に歌を詠みかけしとなむ。

 しづごころ なみにたはむる みやこどり きしべのまつや けふもまもらむ

 この男、世の道は待つのみとや思ひけむ。」
 ナリヒラは、結局自分は都合の良い現実が外から与えられるのを待ち続ける傍観者であり続けるのか、それでおれは人生に悔いがないのか、と思った。
 彼は、たわむれの擬古文を書いたレポート用紙を、橋から水面に投じた。
投じた紙は、表を見せ、裏を見せて風に流され、ナリヒラにはどこに着水したものか確認ができなかった。
 彼は、清洲橋から立ち去りがたく、大型トラックが通るたびに揺れる橋を三度ほど往復してから、家路についた。

 月曜日になって、ナリヒラは普段のとおりに出社した。
 ランも普段のとおりに来ていて、ナリヒラは普段のとおり短く
「おはようございます」
と声をかけ、ランも
「おはようございます」
と普段のとおり答えた。
 二人とも、本館の中では誰もがしているように、本来多面体である自分のうち、本館という大きな舞台で振られた役割に応じたたった一つの面だけを見せるようにしていた。二人は、そういう芸当は、とうに心得ていた。
 日中も、ナリヒラは事務の必要から二、三回ランと話す機会があったが、まったくの仕事上の会話にすぎなかった。
 夕方十八時ごろ、ナリヒラは、ランがすでに事務所を離れているのに気がついた。ランの机の上の書類は、大まかに片寄せられていた。
 それから三十分ばかりして、ナリヒラも帰宅した。
 ナリヒラは普段のとおり本館の地下に降りて、地下鉄の駅につながる扉を抜けて地下道に出た。
 ナリヒラの胸中には、どこかにランが待っているのでは、という期待がよぎったが、そのようなことはなく、ナリヒラは地下鉄に乗り込んだ。
 翌日も、その翌日も、普段のとおりの日が続いた。
 木曜日の午前中、ナリヒラは、込み入った債権回収案件のうち、最大の課題であった案件に、解決の目途が立って、一安心していた。その取引先が海外からの資金回収に成功して資金状況が改善したのであった。
 昼休みになって、ナリヒラは、これはお礼の参詣をしなければと思って、西河岸の地蔵堂に向かった。
 ナリヒラが前の金曜日と同じように鉦を一つ鳴らして参拝し、踵を返すと、道の向こう側にランが立っていた。
 ナリヒラはランに手を軽く振ってから、道を渡った。
 ランはナリヒラが道を渡るやいなや、堰を切ったように話し出した。
「おそい。おそいわ。あたし、きのうも、おとといも、昼にはここに来てたのよ。シーラちゃんが出て来ると思って・・・まったく、気が利かないんだから。」
「えっ、昼休み、ずっと待ってたの?」
「はずれ・・・でも、あたりよ。シーラちゃんのためにずっとなんて待ってないわよ。こないだと同じころに出てきて、お弁当を買って戻るだけだけ。毎日同じ中華の弁当で、飽きちゃったわ。」
「なんだ、おれは勘があんまり働かないから・・・月曜の昼にここに来ればよかったんだ。ごめんね。」
「仕事、けっこうたいへんみたいね。」
「うん、長年の取引先だけど、副業の海外投資がうまく行かなくなって、資金が相当苦しくなっていて、うちの債権が焦げ付きそうだったんだけど、それは何とかなりそうなんだ。」
「その取引先、よく、『お嬢さんたちに』って、虎ノ門から大福餅を持ってきてくれる、でっぷりした社長さんよね。」
「そう、甘党で、お酒を飲まない人だから、おれとは話が合ったんだけれどね。社長さんは集団就職で上京してきて、一代で会社を立ち上げた人なんだけど、息子さんがお友達に勧められて筋のよくない投資を進めたんで、たいへんな状況になっちゃったんだ。うちではみんな、何とかしてあげられればと思っていろいろ考えているんだけれど・・・金額も大きくて、心配していたんだけど、とりあえずはほっとしたよ。
 それで、シーラちゃん、このあいだは勘弁したけれど、話の続きをしようと思って。でも、昼は人目もあるし・・・」
 ナリヒラは、その言葉がみな終わらないうちに、畳みかけるように提案した。
「おれ、こないだの休みに清洲橋に散歩に行ったんだ。ランさん、あそこならば、おうちの近所なんじゃない?今度の土曜日のお昼前、十一時に、清洲橋の西詰、道の北側のたもとでどう?」
 ナリヒラは、こんなにすらすらと段取りが口を衝いて出て来て、自分でも意外だった。
 ランは即座に答えた。
「わかったわ。だいじょうぶよ。」
 ランは、まわりを見渡していたが、声を低めて早口にこう言った。
「シーラちゃん、みんな、よく他人のこと見てるのよ。別々の扉から戻りましょう。」
 つぎの土曜日は、花曇りの寒い朝になった。
 桜は五分咲きといったところで、開いた花は寒そうに枝に震えていた。 
 ナリヒラは、約束の時間に約束の場所でランを待った。
 彼は、深緑の徳利首のセーターに、グレーのフランネルのスラックスを穿き、一張羅のコーデュロイの紺のジャケットの上に、会社に着てゆくトレンチコートを羽織っていた。だから、遠目には、彼の姿は通勤の姿とさほど変わって見えなかった。
 目の前の隅田川を、古タイヤを積んだ船が上ってゆくのが見えた。
 清洲橋の周りに咲き出したわずかな桜が、コンクリートだらけの灰色の川岸の風景を彩っていた。
 この先、正午ごろまで待っても現れなければ帰ろう、それまでは寒くても腰を据えてしっかり待とう、と思い始めたところで、清洲橋の東詰めから、若い女が一人歩いてくるのに気が付いた。
 かつかつと歩みを刻みながら近づくその姿は、やや灰色がかった直線裁ちの桜色の長いコートを同色のベルトで腰元に絞って、菫色のエナメルの光るハイヒールを履いていた。腕には、船底型の真珠色の革製のハンドバッグを提げていた。襟元には。白地に鎖の束が撚られた模様をあしらった絹物の大ぶりのスカーフがふわりと巻かれていて、その上の口元にやや暗みのある濃い紅色のルージュがくっきり引かれているのが見えた。それはランであった。
ランがナリヒラに近づくにつれ、この日のランが、会社に来る日にしているような、アイシャドウの上に眉を太く引く今風の化粧ではなくて、風呂上がりのような薄化粧であることにナリヒラは気が付いた。
「お待たせしてごめんなさい。うちが西深川橋だから、近いからと思って油断しちゃって、着替えしているうちに、遅くなっちゃった。」
「気にしないで。おれは待つのは平気だよ。」
 ナリヒラは、ランが約束をすっぽかさないで来てくれてうれしかったが、顔に表さないようにして平静を装った。
「お昼までには間があるわ。このへん、あたし土地勘があるから、案内するわ。」
 ランの案内で、二人は西側に向かって歩き、横断歩道を渡って、高速道路の手前の路地を南に折れた。
「あたしのうち、ここにあったの。」
 そこは、間口が六メートルほどの小さな露天の駐車場であった。
「この向かいのマンションは、あたしが住んでるころは大きな倉庫で、それより前は真砂座って名前の劇場だったそうよ。このあたりは、元は歓楽街で、けっこうはやっていたらしいわ。戦災で焼けちゃって、その後も昔の名残の料亭とかあったけど、あたしが住んでるころは大分静かになってたわ。」
「そこの高速道路は、ランさんが住んでるころにはあったの?」
「あたしが小学校に上がる前は、そこは川だったのよ。」
 二人はすぐの路地を右に渡って、高速道路の下を斜めに横切る形の場所に出た。
「ここはね、女橋の跡。あたしは川が埋め立てられるまで、この橋を通って、そこの小学校に通っていたってわけ。中洲には、女橋っていう橋と男橋っていう橋がかかっていて、橋の上からはお互いの橋がみえたのよ。ちょっと粋なところでしょ。」
 今や箱崎川は埋め立てられて、高速道路の下で、緑の少ない砂地の公園になっていて、その先には高速道路の入り口が視線を遮っていた。
「あたしのおじいちゃん、あ、祖父がね、よくあたしの手を引いて、
『おまえは、毎日、女橋を渡って学校に通うんだから、おまえのばあさんの若い時みたいに、いい女になれるぞ。』
って言っていたわ。そしたら、小学校に入るちょっと前に埋め立てになっちゃったから、女橋もなくなっちゃったのよ。」
「ランさん、男橋って、近いの?」
「行ってみたい?連れてゆくわ。」
 二人は、高速道路に沿って北に向かい、清洲橋通りを渡ってさらに北に歩いた。
 ランがまた立ち止まると、そこもまた高速道路を横切る道であった。
「ここが、男橋。ほら、高速の入り口の脇に、女橋のあったところの端っこだけが見えるわ。」
「女橋に、男橋か。あやかりたいカップルがぞろぞろ来てもおかしくない名前だけどね。」
「あら、他人事みたい。あたしたちもカップルじゃないの。」
 ランはちらっとナリヒラを横目で見て、きゃっきゃっと笑ってから続けた。
「景色がちょっとね。街がこんなに変わっちゃっても、うちも、ご近所も、みんな諦めがよかったのよ。『ご時世だな』って、祖父も言ってたわ。でも、高速の下の公園って、夏は日陰になって涼しいのよ。子供は雨の日も遊べるし。」
 二人は、男橋を過ぎて、右に曲がって南に進んだ。
 清洲橋通りに出るところに、祠があった。
 祠の周りの玉垣の石柱には、料亭の名前や芸者さんの名前が掘られて、赤い色が塗られていた。
「ここは金毘羅さんよ。このあたりのうちは、みんなで大切にお守りしてるのよ。」
「ランちゃん、おれ、金毘羅さんにはご縁があるみたいなんだ。」
 ナリヒラは、小さい頃、祖母に虎ノ門の金毘羅さんに連れて行ってもらった思い出を話した。
「シーラちゃんのおばあさん、江戸かたぎの人なのね。うちの親と話が合うかも。」
 二人は小さな石の鳥居をくぐって祠の前にそろって頭を下げた。
 ランが尋ねた。
「シーラちゃん、何をお願いしたの?」
「ひとひらの天使の羽根。」
「え、何、それ?そんな歌詞のある歌、あったかしら?」
「ランちゃんは何をお願いしたの?」
「それは、今はないしょ。」
 祠の前には、戦災供養の小さな石の地蔵があった。
「このあたりも戦災で焼かれて、うちの店の若い衆さんで、亡くなった方がいたのよ。」
「おれのじいさんも、戦災で亡くなったんだ。」
二人はそっと手を合わせた。
参拝を終えて、再び鳥居をくぐる二人に、折しも境内を清掃していた割烹着の中年の婦人が、
「どうぞお気を付けてお戻りなさいませ」
と声をかけた。
 二人はその声に会釈して、鳥居を出た。
ランは言った。
「あれが、本当の日本橋の言葉よ。江戸っ子の言葉は、とかく乱暴のように思われてて、落語家にもそんな調子の人がけっこういるけど、あたしが住んでたころは、みんな、今の方みたいな、丁寧なあきんどらしい言葉だったわ。だって、江戸っていろんな事情でいろんなところから吹きだまりみたいに集まった人ばかりだから、けんかにならないように、お互い深入りしないように、あきないに差し支えができたりしないように、って、物言いに気を付けたものよ。あたしも小さい時分に祖父から物の言い方をずいぶん直されたわ。」
「それはおれもそうだったな。祖母も伝法肌の言葉遣いの方だけど、
『物は言いようなんだから、角の立つようなことを言うもんじゃないよ』
って、よく言い直しをさせられたもんだ。」
 ナリヒラは、祠の脇で清洲橋通りが高速道路を横切る場所も、橋の跡ではないかと思った。
「ランちゃん、ここも橋の跡だろう。」
「そうよ、ここは、菖蒲橋。菖蒲橋の北にあるのが男橋、南にあるのが女橋。」
 あやめばし、という言葉の響きに、ナリヒラは先日図書館で読んだ古今集の恋歌を思い出した。

 ほととぎす 鳴くやさつきの あやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな

 ナリヒラは、女橋、男橋、その二つの橋の間にかかる菖蒲橋と、江戸の人は粋な名づけをしたものだ、あやめも知らぬ、先行きの見えない男と女の仲は、昔も今も変わらないんだな、と思った。
 ランが付け加えた。
「あたしのおじいちゃん、祖父ね、
『この橋は男橋と女橋の間にあるショウブ橋だ。男と女がショウブするんだ。』
って言ってたわ。あたし、小学生だったから、
『ショウブって、男と女でお相撲でもとるの?』
って聞いたら、おじいちゃんね、急にまじめな顔になって、
『おまえも大きくなったらわかるよ。行司の立ち会わねえ、二人っきりの勝負だ。』
なんて言ってたわ。」
 ランはそう言いながら、横目でナリヒラの様子をちらりと見た。
 ナリヒラは顔色には出さなかったが、そうだ、おれは今日の勝負には負けるわけにはいかないんだ、とあらためて確かめた。
 何かひとりで考えている様子のナリヒラに、ランが話しかけた。
「シーラちゃん、さっきからあたしのこと、『ランさん』じゃなくって、『ランちゃん』って呼んでるの、自分で気が付いてる?」
 ナリヒラは不意を衝かれて、
「あ、ランさんって言わなくっちゃね。」
 ランは、きゃっきゃっと笑った。
「あたしは気にしてないわ。シーラちゃんって、案外わかりやすい人ね。
そういえば、会社の人で、あたしのこと、お昼に誘う人って、本当は初めてなのよ。会社の人って、みんな平日の夜、飲みに誘うでしょ。飲んだ後で、たいていはあたしのタクシーに自分も乗り込んできて、それでもって、いきなり、答えに困るようなことを言い出すのよ。途中でタクシーから降りてもらうのがたいへんなの。それがパターンみたいに続くから、うちに帰ると、いつもおかしくて笑っちゃうの。」
ナリヒラは、この話題は、深入りしてはまずいな、と直感した。
そこでナリヒラは、話題を変えることにした。
「おれの先祖は、蛎殻町に店を出していたらしいんだ。蛎殻町に行ってみたいんだけど、いいかい。」
「いいわよ。あたしの通った小学校の脇を通れば、すぐよ。でも、蛎殻町って広いのよ。どのあたりか、見当はついているの?」
「うん、米相場の立つ市場がすぐそばにあったって聞いてる。」
「たぶん、商品取引所のあたりね。」
 二人は水天宮前の交差点を渡って、路地を左に折れた。
 ランはこのあたりは歩き慣れた道のようであった。
「あ、このパン屋さん、今もやってるのね。おじさん二人がご兄弟でやってて、あたしも時々来てたのよ。ツナサンドがおいしいの。最近お目にかかってないけど、お二人ともお元気かしら。ねえ、おなか、すかない?」
 そろそろ昼食時に近づいていたので、ナリヒラは、かねて調べてあった。古くから続く洋食屋にランを連れて行った。
 そこは、木造の建物で、靴を脱いで座敷に上がる仕組みになっていた。
 このあたりが葭町から人形町に続く歓楽街としてもっとにぎやかだったころからの店であった。
 ランがコートを脱ぐと、ウールのスーツの鮮やかな紅桜色が、黒光りする玄関の床板に映った。
 ランは、網目の細かい深紫のストッキングに透けて青白く見える膝を斜めに折って、食卓の座布団に座った。
 ナリヒラは、この店を本で調べただけだったので、座敷に上がる仕組みになっているのを知らなかった。
「靴を脱ぐとは知らなかったんだよ。」
「あたし、ぜんぜん気にしてないわ。シーラちゃん、あたしはお嬢様じゃないから、そんなに気を使わなくていいのよ。」
 ランは、この店は初めてだと言った。
「この店の前は通ったことがあるけど、うちは食べ物屋やってたから、自分たちがよその店に入るってことは、めったになかったのよ。」
「おうちでは、今も仕出し屋さんをやってるの?」
「今はね、魚屋。といっても、扱ってるのは、鰻とか、鮎とか、鯉とか、川魚が多いわ。海のものは、鮑や牡蠣とかもあるわ。料理屋さんに卸していて、うちで働いている人が六人いるの。」
 ナリヒラは、そのように答えたランの顔から、一瞬表情が消えたような気がした。
「ランちゃん、何か思い出したの?」
「ううん・・・」
 ナリヒラは、ランが、何か話したいことをあえて黙っていようとしていると思った。
「ビール、もらおうか?」
「ありがとう、でも、あたし、休みの日は飲まないの。それに、シーラちゃんが飲まないのに、女のあたしだけ飲んでたら、おかしいわ。」
 ランは、また、きゃっきゃっと笑った。
「煙草を吸うの?」
 ナリヒラのこの問いかけに、ランは真珠色のハンドバックの金色の留め金を外して、中から封の切られたハイライトを取り出した。
「これはね、あたしの小道具なの。いざというときに効き目があるのよ。」
「え、どういうこと?」
「男の人がべたべたしてきて、めんどうな話になるとね、こうやって煙草を取り出して、」
 ランは煙草を左手で一本取り出して、唇に吸い口をくわえて、右手の指先でライターの蓋をからんという音を立てて開けて、火をつけるまねだけして、左手の指先で煙草を挟んで唇から放し、口をつぼめて息を思い切り吐きながら、煙草をこめかみあたりの高さに上げてみせた。
 ナリヒラは、ライターに左上方を睨んだ般若の面が描かれているのに気づいた。ライターを扱い慣れたランの手つきにも、目が留まった。
「それでね、相手の眼をこうやって斜めに見てね、いつもよりオクターブぐらい低い声にして、
『あんたみたいな、マザコンのお坊っちゃん、ありがたくもなんともないわ。』
って言ってやるの。これ、よく効くのよ。だいたいそれで向こうは手を引くわ。」
 仲居頭らしい和服の女性が、ランの持つ煙草に気が付いて、灰皿を持ってきて、ランの手元に差し出した。ランは、灰皿に目を向けずに、火のついていない煙草を、灰皿の底にぎゅっと無造作に押し付けた。
 それから、ランはいつもの快活な調子に戻って、自分が小さいころお転婆で、川のコンクリートの護岸の上を平均台みたいに歩いて親におこられたことなどを、ナリヒラに話して聞かせた。
 ナリヒラは、自分が小田原にいた小さい頃、小田原城の中にある子供遊園地が好きで、豆汽車に乗るのが楽しみだったことや、高校生の頃、初夏に箱根の旧東海道を三島まで通しでハイキングしたことなどを話した。
 店の名物のハヤシライスを食べ終わって、二人はどこへ行こうかと相談した。
「海か大きな川の見えるところに行ってみない?まだ一時にならないから、時間はあるわ。」
「海か、大きな川ねえ・・・」
「あたし、カップルがよく行くようなところは、たいてい行ったことあるから、景色やお店がない、あまり人が行かないようなところがいいわ。」
「それならば、荒川の河川敷とかは?」
「それ、ここからそんなに遠くないわね。」
「すぐそこの人形町の駅から電車で一本だよ。」
 二人は、都営地下鉄に乗って、地下鉄が乗り入れている京成線の四つ木に向かった。
 車中で、ナリヒラは、以前シマケンさんが、
「この電車に乗るといつも思うんだが、都心の地下鉄とは、お客の見え方が全然違う。この電車のお客は、一人一人、自分らしい顔をしている。」
「この線のお客は、どこそこの誰々という前に、男だったり、女だったりする。ちゃんと自分の顔をしている。だからこの線が好きなんだ。」
と言っていたのを思い出した。
 ナリヒラが席の向かいの窓ガラスに目を向けると、そこには座ったナリヒラとランとの二人が映っていた。
 男の方の像は、堅い握りこぶしを衝き上げたような、色黒のごつごつとした顔に、大ぶりの目鼻が目立っていた。
 女の方の像は、市松人形のような姿に、薄化粧の顔を白く浮かべて、睫毛の長い目をまっすぐ前に向けていた。
 ナリヒラは、二人の像を見て、
「これならば、シマケンさんに京成線のお客として認めてもらえるだろう。」
と思った。
 二人は、到着した四つ木駅から数分歩くと、荒川の河川敷に着いた。
 人工の放水路である荒川の太いゆっくりした流れをはさんで、河川敷の緑地が広がり、その縁にはまだ雑草が茂るには早い黄色の斜面の堤防があって、堤防の上には舗装道路が通っていた。
 空は花曇りから太陽の光が漏れ始めて、少しずつ晴れ間が広がっていた。
 二人は、堤防から河川敷に降りた。
 河川敷には、目立つ立木もなく、二人の姿を隠すものは何もなかった。
 二人から百メートル以上離れたところにある、河川敷の野球場には、休みの午後に野球をする人々が見えた。
 灰色のユニフォームの若い男が数人、フェンス越しに、このあたりでは珍しいカップルの二人を見て、指をさして互いに何か話していた。
 ランが口を開いた。
「シーラちゃんはここによく来るの?」
「いや、これで二回目だ。」
「あたしは初めてだけど、ここは気持ちがせいせいするわ。ありきたりの場所は、いろんなことを思い出して、疲れたりするけど、ここはそんな心配がないわ。」
「ここで散歩する人は、ご近所の人ばかりだから、おれたちは目立って見えるんだろうな。」
「いいじゃない。この距離では、どこの誰だか、わからないわ。」
「さびしいところに女の子を連れ込んできたように見えるのかな?」
「それとも二人で愛の逃避行?」
 ランは、また、きゃっきゃっと笑った。
「愛の逃避行といえば・・・おれの名前のナリヒラは、文学少女だった母親が、在原業平にちなんでつけたらしいんだけど、在原業平が出て来る「伊勢物語」に、彼が好きになったお姫様を屋敷から無理やり連れ出して、愛の逃避行をした話があるんだ。結局追っ手につかまっちゃうんだけれどね。それは大阪と京都との間の、淀川の河川敷で、芥河っていう小さな川が流れ込むところだったらしい。」
「たしか、教科書か何かに、絵が載っていたわ。白塗りの、ひな人形のお内裏さまみたいな男の人が、おひなさまみたいな女の人をおんぶしているところよ。」
「そう、それでね、物語には、川岸で女が鬼に食われちゃったと伝わっているのは、実は追っ手につかまったのだ、といった話まで書いてある。ここも、そこの綾瀬川が荒川に合流するようになってるから、その話の舞台に似てるね。」
 ナリヒラの半歩前を歩いていたランは急に歩みを止め、振り返ると、彼の眼を見据えて言った。
「ねえ、あたしのこと、おんぶして。」
「ランちゃんが鬼に食われちゃったらいやだなあ・・・」
「はぐらかさないで。おんぶして。」
 ランはすでにナリヒラの後ろに回って、彼の首筋に腕をかけていた。
「じゃあ、おんぶするけれど、おれの手が腰にあたるよ。」
「あたしは、お姫様じゃないから、気にしないで。物語のお姫様だって、彼氏が手でかかえなきゃ、どうやっておんぶされたのよ。あたしが落っこちないようにすればいいの。」
 ナリヒラは、自分の顎の前に来ていたランのハンドバッグを受け取って、自分の左の腕にかけてから、両腕でランの左右の脚を抱え込んで、ランを自分の背中に持ち上げた。
 ランは取り付いたナリヒラの首筋に、右の頬を寄せて言った。
「あたしは鬼に食われたりしないわ。あたしが鬼かもしれないのに・・・」
 ナリヒラは、一人の女を背負うことの重さを初めて思い知りながら、まず右足を一歩前に出した。
「ああ、おれはランちゃんのこと、何も知らないシーラカンスだ。」
 彼はつぎに左足を前に出して、ぬかるみの草を踏みしめた。
「おれは、ランちゃんが、鬼なんだか、何なんだか、知らない。」
 またつぎに右足を繰り出した。
「でも、ランちゃんのこと、わかっている。」
「正直に言っておくわ。あたし、男の人に抱かれたことは何度かあるわ・・・」
 ナリヒラは、ランが最後まで言い切らないうちに、遮るように、声を張って言葉を重ねた。
「だから・・・わかっているってば。別れの回数だけ、悲しい思いをしたんでしょう。」
 ナリヒラの背中で、ランの体の重みがぐっと増した。彼は、暖かい涙のしずくが、自分の首筋を伝って、徳利首のセーターの襟の中に流れてゆくのを感じた。
 ランは、しばらくして、ナリヒラの濡れた首筋に当てた右の頬を左に替えて、彼の耳元に向けて、かすれがちの声でささやいた。
「それでも、男の人におんぶされるのは、初めてよ。」
 しばらくの間、二人の間に沈黙が続いた。ナリヒラは、背中にランの心臓の早い鼓動を感じながら、歩き続けた。
 やがて、ランは、頭をナリヒラの首筋から持ち上げて、言った。
「ずいぶん遠くまで背負ってもらった気がするわ。重くてごめんなさい。降りるわ。ありがとう。」
 ナリヒラは、ランを背負ったまま横に向き直って、堤の斜面に背中を向け、落としたりしないように注意深く中腰になって、ランを斜面に降ろした。
二人の道行はものの数分で終わったが、二人は長い時間が経ったように感じた。
 ナリヒラは中腰から立ち上がって言った。
「おれが言ったことは、本当だ。」
 ランは、枯草に覆われた斜面に座って、ナリヒラを見上げて尋ねた。
「シーラちゃん、あたしのこと、わかっただけ?それだけ?あたし、お嬢様でも、お姫様でもないのよ。」
 ナリヒラは、黒髪の豊かなランの頭に両手をかけると、自分の額をランの額に接着させて、静かに言った。
「あなたが大好きだ。お姫様よりも、お嬢様よりも、大切なんだ。だから、おれの知っていること、知らないこと、全部ひっくるめて、わかっているんだ。」
 ランはナリヒラの瞳を見上げながら、やはり静かに答えた。
「あたしもあなたが好き。ずっと前から、大好き。」
 二人はお互いの額をつけたまま、お互いの眼をしばらく見つめた。
 ナリヒラは、そのまま膝を屈すると、ランの肩に腕を回した。それと同時に、ランの腕もナリヒラの肩に預けられた。そして二人は、お互いの心臓と心臓とを重ね合わせた。
 春分に近い太陽が、河川敷のところどころに残るぬかるみの泥を光らせた。
 午後三時を回って、まだ肌寒い春の川風が、二人の頬を快く冷やした。
しばらくして、ナリヒラは、ランに手を差し伸べて、斜面から引き起こした。
 それから二人は、手をつないで歩き出した。
「いっしょに暮らそう。」
「ええ、そうしましょう。」
 またしばらく沈黙が続いてから、ナリヒラが言った。
「煙草、呑みたいんじゃない?遠慮しなくていいんだ。さっき、火のついていない煙草を灰皿に置くときに、ぎゅっとやって火を消そうとしてたから、気づいたよ。」
 ランは目を見張って答えた。
「お見通しなのね。あなた、やっぱり勘がいいわ。でも、あたし、一週間前から、煙草はやめてるの。願い事があるときは、断ち物をするのよ。禁煙には慣れたし、今日せっかく願いがかなったから。もう煙草はやめるわ。」
「それじゃ、煙草とライターは、おれが預かろう。もう小道具で使うようなことも、ないよね。」
 ランは、ハンドバックから般若の面の睨むライターと煙草の箱を取り出して、ナリヒラに差し出した。
 ナリヒラが尋ねた。
「お昼におうちの話をしていた時、何か気にしていたね。おれに話せることなら、話して。」
「それはね、」
 ランは、ひとつ深呼吸をして、少し躊躇してから、話し出した。
「あたしは、魚屋の一人娘よ。お店で働く人がいて、お店はずっと続けなくちゃいけないの。だから、親がね、婿に来てくれる人と結婚してほしいって言うの。でもね、あなたがいやだったら、親と喧嘩別れしてもいいと思ってる。」
 ナリヒラは、話を聞いて、すぐに快活な声で、ランを励ますように答えた。
「そういう心配をしていたんだね。おれは、別に小田原の家を継がなくてもいいんだ。おやじの代でおしまいでもいい。」
「そんなこと、ご家族と話したことがあるの?」
「ない。でも、うちは祖父も曽祖父も入り婿だ。うちには財産らしいものは何もない。家も借家だ。二人とも、たぶん、『男気がある』って喜んでくれると思う。そういう人たちだと信じている。もしも必要ならば、ランのおうちは、おれが守るよ。」
 ナリヒラは、もしもランの実家を守らなければならなくなったとすれば、それは本館が自分を放免してくれたということだから、本館の扉から旅立って行こう、と思った。しかし同時に、現実的帰結はそう簡単ではなさそうで、バブルに沸いた好景気の宴の後片づけの役が、しらふの自分に回ってくるのではないか、という予感もしていた。
 ランは、ナリヒラの言葉に、黙って頷いた。 ナリヒラは、さらに言葉を続けた。
「ランのうちの店先に、
『シーラカンス、入荷しました』
って貼り出そうか。」
 それを聞いたランは、またきゃっきゃっと笑った。

      十
 五月のゴールデンウィークが過ぎてしばらくして、ナリヒラは、モリさんが会社を辞めて実家に帰るという噂を耳にした。
 モリさんは、その年の四月の人事異動で、ナリヒラのいる部署とは別の部署に移っていた。
 ナリヒラは、モリさんの手がすいている時間を見計らって事情を尋ねようと思っていたが、自分の仕事が立て込んでいたのでなかなかモリさんの席に行かないでいるうちに、五月も終わりにさしかかった。
 モリさんは、夜七時にはいつも残業の手を止めて、店屋物をかき込んでいるはずなので、ナリヒラはその時間をねらってモリさんの席を尋ねた。
 モリさんは、夕食もとらないで仕事をしているところであった。
 ナリヒラはモリさんに声をかけた。
「お久しぶりです。噂を耳にしたのですが、モリさんは会社を辞められるのですか?」
 モリさんは机から目を挙げたが、手は書類のファイルを開いて持ったままであった。
「ああ、シーラちゃんか。えろう耳が早うなったな。その要領ならば、この会社のどこかで定年まで泳いでおれるやろ。」
「やはり辞められるんですね。」
「ああ、そうや。おかんが、年取ってしもうて、店の切り盛りが独りでつらい言うもんやさかい、戻ることにしたんや。」
「驚きました。」
「今日はなあ、タイミング悪いんや。ワシはあさってまでやから、それまでに片付けんならん仕事がぎょうさんあるんや。落ち着いたら手紙書くわ。こんどは、ワシが大将できるさかい、ゴーもストップもワシ次第や。ロクに相手もでけへんで、かんにんな。」
「いえ、とんでもない。モリさんにはこれまでお世話になり、ありがとうございました。」
 ナリヒラがそう言って頭を下げると、モリさんはファイルを机に伏せてから椅子から立ち上がり、両手を丁寧に膝の上に置いて
「こちらこそ、お世話になりました。またお目にかかりましょう。」
と言って、お辞儀を返した。それはいつもナリヒラに話しかける関西弁ではなくて、モリさんがこの会社で身に着けた標準語のアクセントであった。
 モリさんとナリヒラとがお辞儀を終えて頭を上げると、自ずと視線が交差した。モリさんは、咄嗟に分厚い眼鏡の下で目を細めて笑顔を作ってみせた。
 五月末の夜、ナリヒラは、取引先の事務所で長びく会議から抜けられないでいた。その日はモリさんが退社する日であったので、ナリヒラは、もう一度モリさんに挨拶をしたいと思っていたが、独り席を離れるのはむずかしかった。
 会議は九時すぎまでかかり、ナリヒラはそこから電車を乗り継いで、夕方からの霧雨の中、本館をめざして小走りに帰った。
 本館の手前まで来ると、通用口の扉が開いて、折り畳み式の傘を右手に差して、紐でからげた段ボール箱を左手に下げた男が出て来るのが見えた。モリさんであった。
 ナリヒラはモリさんとの間に距離があったので、大声を出して呼びかけたが、モリさんは気づかなかったのか、あるいは聞こえていて無視をしたのか、そのまま信号を渡って神田駅の方へ歩いて行った。ナリヒラは、赤になった信号を置き去りにしてどんどん歩いてゆくモリさんの後姿を見送りながら、
「ゴーもストップもワシ次第や。」
という言葉を思い出した。
 彼は、モリさんが出たあと閉まったばかりの扉を開けると、自分の事務所に戻った。彼は、モリさんはたぶん二度とこの扉を開けて入ってくることはないのだろうと思った。
 彼は、日付が替わった頃に帰宅してから、つぎのような漢詩を作った。ナリヒラは、もしも手紙が来たら、返信にこの漢詩を添えようと思った。しかし、たぶんもう手紙は来ないだろうとも思った。
 雲水幾來往 雲水 いくたびか来往する
 行人何日歸 行く人 いずれの日にか帰る
 一留而一去 一人は留まり 一人は去る
 更夜掩門扉 更夜 門扉をとざす
                完
 この小説はフィクションです。登場する人物、団体は実在のものとは関係ありません。

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