吉田裕『兵士たちの戦後史 戦後日本社会を支えた人びと』

 アジア・太平洋戦争で動員された将校・下士官・兵士たちが戦後社会を生きる中で戦争体験とどう折り合いをつけていったかを追った研究。卒業論文の口頭試問で「吉田裕さんの『日本人の戦争観』によると~」「すいません、読んでません」となり恥ずかしい思いをして以来、見ないふりをしてきた本に挑戦。

 各地の戦友会の会誌に掲載される戦記の内容が時代を経るうちに変化していくのが面白かった。同じ部隊で戦った元兵士が親睦を深めるための戦友会は、1970年代に設立最盛期を迎え、2011年現在まで徐々に数を減らしながらも活動を続けている。戦友会では元兵士たちの連帯や国内外での慰霊が進んだ一方で、戦場の悲惨な現実や元上官への批判を封じる面があった。楽しくやってる仲間や悲しんでる遺族に遠慮しろというわけで、本当に悲惨ないじめの話は同窓会では出ないのと似ている。年長者から元兵士の数が減っていき、遺族の世代交代も進む中で80年代後半から告発調の戦記が増えていった。

 つい10年ぐらい前まで、何十年間も同じメンバーで集まって思い出話をしていたグループが日本中にあったわけで、それだけ長い間活動していたらそれぞれの戦友会で全く異なる戦場の物語が流通していそうだ。ヤンキー校ごとにヤバい先輩の武勇伝が盛られてオリジナルの伝説になっていくみたいに。

「戦記」というとブックオフの光が当たらないエリアでミリタリー趣味の青年か国粋主義者の年配男性が立ち読みしているものというイメージがあったが、元々は戦中派の人々がメインの読み手だったのだろう。彼らは一時期ノベルスで乱発されていた架空戦記ものは読むのかな。

 旧軍で幅を利かせていた幕領将校が防衛庁の戦史室に再雇用されたおかげで、隣で「軍神」が働いてるお仕事ラノベみたいな職場が出現していたのもウケる。

まわりはほとんどが元大本営参謀だった編さん官で、庶務担当の陸曹〔陸上自衛隊の階級で旧陸軍の下士官にあたる〕と事務的な話をする時が、わずかに緊張がとける程度の毎日だった。陸軍士官学校を卒業してはいたが、陸軍省や参謀本部の門もくぐったことのない身であってみれば、恐い参謀方の間に坐れば、自然そうなるのであった。左隣りが「軍神」というニックネームの方で、〔中略〕一切無駄話はしないし、用便以外は席を立たない。〔中略〕右隣りは、軍神より更に一期上の方で、服部卓四郎氏が、「陸軍60年の歴史の中で最高の頭脳」という評価をした人である。もちろん幼年学校、陸士、陸大全部優等で通した逸材である。西浦戦史室長がサボな私のために指導教官的任務を、その方に与えられたので、私は原稿を書くと、その逸材の点検をうけなければならないという、気の重いシステムになっていた。(近藤新治「「戦史こぼれ話」のこぼれ話」『陸戦研究』一九八三年九月号)

 絶対に働きたくない職場環境だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?