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「単一」神話という排他的差別

差別はSNSに留まるものか

 フリージャーナリストの安田菜津紀が、自身の父親が在日韓国・朝鮮人であることに言及したエッセイ(※1)で、密入国者などと民族の出自に関する差別と偏見を含んだ誹謗中傷を受けたとして、誹謗中傷をした2人に200万円の損害賠償を求め、12月8日に東京地裁に提訴した。(※2)SNSにおける在日韓国・朝鮮人をはじめ、民族差別に関する誹謗中傷が日常化しているのはこの国の人権意識の乏しさの表れであると同時に「単一性」が神話であるという事実に対する反発の表れとも言える。ただ、これは今に始まったことではない。

 私が学生のころ、大学当局がトイレの落書きの中に部落差別、在日韓国・朝鮮人差別に関するものがあったと発表し、このようなことがないよう再発防止に努め、人権教育を徹底するということを強調した。私の出身大学は戦前にも朝鮮植民地、台湾植民地などからの留学生を受け入れていたことなどを理由にキリスト教精神に基づく多様性、寛容性に基づく教育をしたと強調する大学であった。(※3)ただ、大学が多様性を受け入れることに真摯に取り組んできたのか、という想いは差別に関する落書き事件が起きたときにも感じていた。

 私の恩師は1970年代にT・K生のペンネームで「韓国からの通信」を岩波書店の世界に執筆していた池明観を大学の講師として招きたいと働きかけたところ、大学当局は政治的な問題、南北朝鮮の問題を理由に難色を示したと話していた。当時、南北朝鮮の問題が現在以上にタブー視されていた状況下であったことは間違いない。だが、だからこそなぜ朝鮮半島が南北に分断をしているのか、在日韓国・朝鮮人に対する差別の問題、政治的、イデオロギー対立に向き合う姿勢を大学は目指すべきではなかったのか。抽象的な事象について差別はいけないと主張することは誰にでもできる。自身が差別に関連するできごとに接した際に、そこにまつわる複雑な政治的問題、社会からの反発に対して向き合うことができたときはじめて差別の問題に取り組んでいると言える。大学は池明観を拒否したことで、差別問題やその背景に向き合わなかったのである。

在日韓国・朝鮮人に対する様々な価値観の違いを認識すること

 (※1)で引用をした「もうひとつの「遺書」、外国人登録票」では、安田の父親の半生と自身とのつながり、父方の家のルーツのほか、在日韓国・朝鮮人のアイデンティティについての見解およびそれらに対する日本社会の反発などが記されている。自らの民族の出自に対してどういう道を歩むのかは個々人が考えるべき問題であり、外的要因で決められるべきものではない。民族教育を行ってきたとして朝鮮学校にアイデンティティを求める人がいるという事実がある一方で、それ以外の道を選んだ人もいる。朝鮮人ではなく日本人として生きる道を選択した人もいるし、ルーツを明確にした上で日本社会で在日として生きる人もいる。(※4)いろいろな生き方をする在日韓国・朝鮮人の多様性を理解し、尊重することが私たち日本人はできているだろうか。

 日本人として生きている片方の親が在日韓国・朝鮮人の人は、関東大震災時における朝鮮人虐殺の問題について、自分は日本人として生きてきたから関係がないという印象もあったと話していた。と同時に虐殺の際に朝鮮人のみならず、朝鮮人と疑われた地方出身の訛りの強い人たちや朝鮮人の知り合いのいる人たちなども襲撃されて巻き添えを食らったという事実に、自分の主観とは違う差別の恐ろしさと自身が巻き込まれるかもしれない怖さを感じたと話していたのを覚えている。

ウトロ地区放火事件について

 最後に今年の8月に起きたウトロ地区放火事件について話したい。当該事件の容疑者は7月に名古屋市内の民団、韓国学校にも放火をしたとして逮捕、起訴されたとあった。(※5)仮に放火が事実であるとしたら、日本も諸外国同様-正確には人種差別、民族差別への対処について関心が低い意味ではより深刻と言えるのだが-に人種、民族問題が起きているのだということを認識するべきだろう。

 また、放火によって歴史的な資料の一部が焼失してしまい、真実を明らかにする術も失われてしまうという問題も起きた。ともすると現実に向き合うことに消極的な日本社会の状況をより悪化させる可能性が懸念される。

憎悪・反発を恐れないこと

 差別問題は在日韓国・朝鮮人問題だけではない。ただ、在日韓国・朝鮮人問題における差別はタブーと同時に憎悪、反発を伴う意味で深刻さがあることは間違いない。だからこそ、一人ひとりがこの問題に立ち上がってほしいというのが率直な気持ちだ。

 なお、在日コリアンという物言いがされているが、これは南北朝鮮における複雑な関係を回避するための表現であり、そうした「政治」的な物言いに同意できない意味で在日韓国・朝鮮人と記載した。朝鮮アイデンティティを無視した、南北朝鮮に優位を付けたという反発もあるだろうが、無難な表現に対する私の「ひねた」性格にあるのだろう。

(敬称略)

皆が集まっているイラスト2

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(※1)

(※2)

(※3) 大学の多様な学生を受け入れていたという主張は、植民地において彼らが自発的な教育をすることを独立運動につながるとして、警戒し抑え込もうとしていた国家の姿勢に対する視点はないことも私たち日本人は認識するべきだろう。

(※4)  在日韓国・朝鮮人問題を取り上げたNIKE CM「動かしつづける。自分を。未来を。篇」は、問題の背景をきちんと調査し、深く捉えないで、差別はいけないと単純化した上で人道的な会社という会社のイメージ戦略をしたことは問題の本質を理解していない意味で問題である。現在は当該CMはNIKE JAPANの公式you tubeからは削除されている。NIKE JAPANにとって在日韓国・朝鮮人差別の問題とは何だったのだろうかという疑問を抱かざるを得ない。

(※5)


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