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ホリデイ9

 朝。いつもの声がコチを呼ぶ。

「コチ、いつまで寝ているんだ?早く行こうぜ!」

 「何言ってるんだ?これから寝るところだよ。」

 コチは、いつも気怠そうに、眠い目をこする仕草をした。でも、どちらかと言うと太陽の世界での疲れを、月の世界で取るような日々が続いていた。少しずつ、コチは太陽の世界で多くの時間を過ごすようになっていたのだ。それでも、コチは太陽の悪口は、欠かさなかった。自分が仕方なくこの世界にいるという通行手形を差し出しながら、飛んでいたからだ。誰かが、文句を言ってきたってこの通行手形とホリデイがいれば、大丈夫な気がした。そんな事をホリデイは知ってか知らずか、ホリデイは、コチを毎日誘いにやってきた。

 コチは、朝焼けと夕焼けのオレンジ色の空が好きになっていた。太陽の世界の始まりと月の世界の始まり。コチには、世界の終わりだった光、あの光が始まりに変わったからだ。オレンジ色の空が水色に変わって、ホリデイの笑い声が聞こえるまでのキラキラしたその時間をコチはドキドキしながら待っていた。きっとホリデイはそんな事知らない。知ったらホリデイは喜んでくれるだろう。でも、いつも朝のこの気だるい演技が邪魔をする。けど、それも止める事が出来ない。コチは無理やり誘われているという通行手形を持っているから、それを失ってしまったら、とたんに居場所がなくなってしまうのだ。

 太陽のいる世界で、文句ばかり言うコチにホリデイは、太陽の下で存在する色々な事を教えた。でも、それはコチに太陽の世界を好きになってもらいたいというそんな想いとはちょっと違う気がした。自分の世界に引きずり込もうなんて、蜘蛛のおじさんのような趣味は持ち合わせていないのだろう。ホリデイがコチに何かを教える時、ホリデイは最後にはいつも笑っていた。それが真実なのか分からない。全部、冗談だって言われた方がしっくりとくる。真実やら正解なんて誰も彼もが持っていて、本当なんて結局分からないし、存在すら怪しいものだ。いちいち探していたら、全く面倒だから、ホリデイの話は気が楽だ。最初から冗談のように聞こえるから、わざわざ疑う必要もない。


 世界は土砂降りの雨だった。コチがジイさんの葉に落ちる雨粒の幾千の雫の行方をただ見送るだけの時間を過ごしていると、雨音とため息の隙間から笑い声が聴こえてきた。

 「ずぶ濡れだぁ」

笑ってるホリデイがジイさんの木の下から這い上がってくる。

 「えっ、ホリデイ?」

 コチの胸が少し弾んだ。

 「お前、こんな日にも来るのかよ。」

 「冷たいなあ。コチも雨も冷たいよ!どうせ暇だろ?」

 全身ずぶ濡れのホリデイはいつもより滑稽に見えてコチはちょっと嬉しかった。

 「こっち来るなよ。濡れるだろ」

 「おいおい。本当は嬉しいんだろ。こんな日に俺に会えるなんて。素直になれよ」

 「今日はホリデイもやってこないし、あの忌々しい鳥もいない。なんていいお天気だって、ウキウキ気分でノリノリだったんだよ。まさか、ホリデイが来るなんて。」

 コチは下手くそな演技で絶望を全身で表現した。ホリデイはそれを鼻で笑う。

 「そういえば鳥がいないな。俺と違って根性なしだな。」

 ホリデイは羽の大きな水滴を落としながら戯けて笑った。コチは何気なくホリデイに気になっていた事を聞いてみた。

 「なぁ、そもそもなんであの忌々しい鳥の野郎はジイさんの枝にやってくるんだよ。」

 「忌々しいのはコチも一緒だろ。」

 怒るコチに、やっぱりホリデイは笑っていた。

 「なぁ、コチ。鳥が来た時じいさんは怒っていたか?いつもじいさんは笑っているだろ?じいさんは嬉しいんだよ。じいさんはあの鳥が好きなんだ。」

 コチは少し不満な顔をした。

「ホリデイ。冗談はよしてくれ」

 コチはジイさんを見上げた。ずぶ濡れのジイさんの葉の上で、今にもチュンチュンと声が聞こえてきそうで背中が震えてきた。「あんな野蛮な鳥をジイさんが好きだなんて」コチには、どうもいい気分ではない。コチは眉をひそめているとホリデイは続けた。

 「知ってるか?じいさんも空を飛ぶって」

 コチは不思議そうにホリデイを見た。

 「どう言う事?」 

 「じいさんはさ。いつか空を飛ぶんだよ。」

 「嘘だろ?こんな大きなジイさんがどうやって飛ぶんだよ。」

 またコチはだんだん声を荒げる。ホリデイはまるで空を流れる雲のような口調で話を続ける。コチは、ふわふわ漂う雲が空に戻ってきたのかと空を見上げたがやっぱり雨が降っていた。

 「飛ぶのはじいさんなんだけど、小さいじいさんなんだよ。」

 「小さいジイさん?!どこから出てきたんだよ!」

 「小さいじいさんは、なんていうかな。独りじゃ飛べないんだ。」

 「だから小さいジイさんは、何?」

 「誰かがじいさんの翼になるんだ。誰がじいさんの翼になると思う?」

 「おい、だから小さいジイさんって誰だよ?」

 「うるせーな。小さいじいさんは小さいじいさんなんだよ。でな、小さいじいさんは鳥の翼で空を飛ぶんだ。」

 「え、そこで鳥?!」

信じられないという顔をこれでもかとホリデイに見せつけた後、首を横に振りながらコチは言う。

 「おい。鳥がジイさんを運ぶって事か?どうやって、こんなに大きいジイさんをあんな小さい鳥が運ぶって言うんだよ?」

 「だから運ぶのは小さいじいさんだって」

 「だから小さいジイさんってなんだよ」

 「しつこいなぁ!話が進まないだろ。いいか。じいさんはな。鳥に運ばれて大空を飛ぶんだ。飛ぶのが下手くそなコチなんかよりもずっとずっと遠くに飛んでいくんだ。」

 コチは信じられないという顔をして、ひとり考えこんでいた。

 「小さいジイさん…」

その顔を見てホリデイはニヤニヤ笑った。

 「なぁホリデイ。じいさんはいつ飛ぶの?」

「いつ?そりゃ。世界に祝福される時が来た時だろ」

 「祝福?」

 「誰にだって世界に祝福される時が来るのさ」

 ホリデイは笑いながらそう言った。

 「ホリデイはそれを見た事ある?」

 「ないよ。」

 「じゃあ、なんで知っているの?」

 「風の噂さ。」

 「ジイさんと鳥が・・。」

 コチがなんだか居心地悪そうにしていると、ジイさんの葉が優しく揺れる。

 そんな優しいジイさんの揺れる葉を見ながらホリデイはボソッとつぶやいた。

 「見る事が出来たらいいのになあ。」

 ホリデイは、まるで見る事が出来ないって知っているかのようだった。いつも夢心地のホリデイにしては珍しい事だ。この世界では、コチやホリデイの知る事のない途方もない時間が流れている。今は、誰かがつないでくれたバトンを持っているだけ。いつか、そのバトンを手放さないといけない。それがいつなのか?きっと長くない。もう背中には羽がある。知っているさ。

 ホリデイは笑った。

 釣られてコチも笑う。 

 「小さなジイさんは、知らない世界に行っても僕を思い出すかな?」

 笑うコチは、チカチカと揺れるジイさんの木漏れ日に当たりながら、ホリデイにそう、聞いた。

 「当たり前だろ。そんなブサイクな面、忘れるわけがない。夢に出てきて、小さいじいさんがうなされない事を祈るよ。」

 コチは、笑って、ホリデイを小突いた。

 「おい。じいさん。だからって俺の事も忘れないでくれよ。」

 笑う2匹の声。風に揺れる葉はそっと答える。

 いつからだろう。いつの間にか雨は止んでいた。

 「あの鳥が、ジイさんを運ぶなんてね。なかなかやるじゃないか。今度からは、ウルサイ鳥の鳴き声も少しはましに聞こえるかな?」

 どこからか、聞こえてくる鳥の鳴き声は、小気味なリズムで世界に音を作る。コチとホリデイは、その世界に耳を澄ませた。

 そんな、いつもの朝。でも少し違う。平べったい世界が丸くなっていく。ホリデイが言っていた世界が手をつなぐという意味が、コチの中で、うっすらと見えかくれしていた。

 


 「俺、めちゃくちゃ人気なんだよ」

興奮したホリデイにコチが連れて行かれた所は、花屋だった。花屋には、色とりどりの花達が、色別に分けられ、綺麗に整頓され並んでいる。

 「ほら。笑って。」

 綺麗に並べられた花達は、合図に合わせて笑顔を作る。ここの花はみんなが笑っている。みんなが同じ顔で、にっこりと作り笑顔を振りまく。暗く沈んだ顔をした花なんてここにはいない。暗い顔をした花を見て、ご機嫌になる人間なんていないと同じように。

 コチは、ホリデイに案内されて、2匹はその花屋のある通り沿いまで来た。

 花屋には、ホリデイがいうように花の蜜の匂いが溢れかえっていた。ホリデイのテンションはみるみる上がっていく。

 「さあ。見ていろよ。コチ。俺の勇姿を。」

 コチは、おう、と気の抜けた返事をして、その様子を電信柱の陰から見守った。

 ホリデイが言っていた通り、確かにホリデイは、花屋の花たちからすごい人気だった。でも、コチはそんなに見せびらかさなくてもホリデイに対する花の喜びは知っていた。いつもジイさんの庭で見ていたから。

 今、いつもと違うホリデイは明らかに何か飾っていた。ホリデイもやっぱり蝶だな。コチは、そんなホリデイを小馬鹿に笑う。

 ホリデイに近づけばどんなご利益があるのか、花たちは、金切声でホリデイを呼び止める。確かに、ホリデイが止まった花は、どこか気取ったように振る舞った。きっと、蝶の止まった花は、箔がつくのだろう。それだけの為に、あんな必死に声を出して、ホリデイを呼び止めるなんて、ご苦労な事だ。まんざらでもない表情で、コチの視線を探しているホリデイ。コチは、まゆをひそめて、間抜けなホリデイに視線を送る。

 別のところでも花の歓声が聞こえた。花屋に別の蝶が3匹やってきた。3匹の蝶は、花の歓声を聞き、まんざらでもない表情だ。どこの蝶も間抜けなものだ。ただ、似た間抜け同士もそれを認めたくはないらしい。特に後から来た3匹はホリデイと同じ歓声を浴びている事が気に入らないようだった。3匹に気がついたホリデイが3匹に喋りかけても、ふん、とホリデイの言葉を振り落とした。そして、一匹の蝶がホリデイを見て言った。

 「こいつだよ。こないだ見ただろ。蕾に変な事を吹き込んでいるあいつだよ。」

 「変な事?おい。お前、俺を変態扱いするなよ。」

 ホリデイが笑いながら、そう言うともう1匹の蝶が話に入ってきた。

 「君か。勝手な事を言ってくれたら困るんだよ。蝶は花の夢の運び屋なんかじゃない。」

 3匹は、合わせるように笑った。

 「君のおかげで蜜を頂くのに、花に話しかけられるなんて、いちいち面倒なんだよ。」

 「そうだ。」

 「そうだ。」

 取り巻きが騒ぎ立てる。羽の大きさはホリデイには及ばないが、声だけは大きい。

 「夢やおとぎ話を言ってくれるな。約束を破らない蝶の中に、こんなホラ吹きがいたら蝶の評判が下がってしまうだろ?」

 3匹は、合わせるように笑っていた。

 また、ホリデイが面倒くさい事になっているな、と面倒臭そうにその光景を見ていたコチだったが、コチは、その3匹の蝶の笑い声を聞いて何かを思い出していた。

 「あ、そうだ」今、思い出した。あの3匹の蝶は、まだ、コチが飛ぶ練習をしていた頃、「木枯らしだー」と言って、コチの上に笑い声を残して通りすぎた、あのコチが最初に出会った蝶だった。ホリデイに出会ってなかったなら、きっと、コチにとって、蝶とは、あの3匹の蝶であった。「木枯らし」という呼び名は、蝶とコチとは、明白に違うという事を教えてくれた。それは、きっとあの蝶たちの望み通り。コチにやってきたあの感じ。ホリデイと青空の下を一緒に飛んでいる時とは違うあの感じ、青空がどんどん遠ざかっていくあの感じだ。このまま、見つからないように、そっと、この場から離れよう。ホリデイには、つまらないから先に帰ったと後で伝えればいい。見つからないように電信柱の背後に移動していると声がした。

 「なんで、俺がここから離れないといけない?」

 ホリデイの声が聞こえた。コチは花屋を振り向く。3対1。ホリデイが小突かれる。

 「ここは、別にお前らだけの世界じゃない。」

 コチの羽が動いた。

 「そりゃ、そうだろ。」

 コチは、3匹の蝶に目掛けて、飛び出した。

 「どけ、どけえ。」

 一匹の蝶がコチの体当たりによって、宙を回る。他の2匹の蝶は何事かと、飛んできたコチを見る。ホリデイがコチに駆け寄ってくる。

 「コチ。いいタックルじゃねえかよ。」

 ホリデイは嬉しそうにコチを小突いた。そんなコチとホリデイを見据える蝶は、何かを思い出したかのように突然、騒ぎ出した。

 「大変だ。エライ事だ。春に木枯らしがやってきた。」

 宙を回っていた蝶も、一緒になって騒ぐ。

 「木枯らしだ。みんな逃げろ。」

 花屋は、異様な雰囲気でざわざわとしている。

 「みんな気をつけろ。こいつに近づいたら枯れてしまうぞ。」 

 3匹の蝶は、「木枯らしだー」と方々に叫びながら去って行った。


 「木枯らし?なんだ。あいつら?」

 眉をひそめるホリデイに対して、コチは黙ったままだった。

 「これで、邪魔がいなくなったな。俺は、邪魔な奴を追い出す才能があるみたいだ。」 

 ホリデイはいつもの調子で笑う。コチも、下手くそな笑い声を出した。

 花屋の花の様子がおかしい事はすぐに気がついた。恐ろしいものを見るようにコチを見ていた。それだけじゃないホリデイに対してもそうだった。様子のおかしい花に、ホリデイが近づくと、悲鳴が生まれた。拒絶するような叫びだ。

 「嫌っ!来ないでー。」

 飛ぶホリデイが、その上を通るたび悲鳴が続く。その時のホリデイの表情が、コチの目に焼きついた。ホリデイは、すぐにいつものいたずらな表情に戻り、コチの方を向いた。

 「俺、悪魔に変身しちゃった?」

 すると、ホリデイは、花の上ギリギリに飛んで、次々と聞こえる花の悲鳴の波を作った。

 「なんだよ。歓声も悲鳴も結局変わらないじゃないか。」

 ホリデイはいつもの調子で笑っていた。でもコチにはホリデイの作り笑顔に見えてしまった。

 「コチ。」

 見てろよ。とホリデイはいつかコチがやったハッハハハと空から大魔王が降臨してきたように笑って花の上を飛んだ。

 「ホリデイ。」

 それ、僕のやつだろ。

 「コチ。」

 じゃ一緒に飛ぼう。コチも一緒になって飛んでホリデイと同じように笑った。花の悲鳴と変な笑い声が混じった音が花屋に響き渡る。

 「なんだこれ?」

 後になって、2匹は、ちゃんと腹を抱えて笑い転げたよ。


 「せっかく俺の人気ぶりをコチに見せてやろうと思ったのに、カッコ悪いところ見せちまったな。」

 2匹は、花屋を離れ、赤く光が伸びる空の下を飛んでいた。

 「そんな所、僕が見たいと思うか?」

 コチは、ホリデイの本当の顔を知っている。毎朝、ジイさんの庭に咲く花の顔を見ていれば誰だって分かる。ホリデイを見た時の花の顔。春の訪れを喜ぶ顔を見れば誰だって。そして、太陽の下、嬉しそうに花を覗くホリデイの顔を見れば、ホリデイの生きる喜びに気がつくだろう。それが、コチの大好きなホリデイだ。悲鳴はホリデイのものなんかじゃない。コチは、自分のせいで本当のホリデイの顔が消えてしまうのではないかと怖かった。

 「ホリデイは、あんな悲鳴を聞いたのは初めてだろ?」

 ホリデイは、いつもと違うコチの沈む声に、ぽりぽりと顔を掻きながら首をかしげた。

 「まあ。あれだ。あの悲鳴は、僕のせいだ。ホリデイには関係ない。」

 コチは、ホリデイから目を逸らしながらそう言った。ホリデイは、何かを探すようにじっと、歪んだ笑うコチの横顔を見る。

 「おいおい。独り占めするなよ。また追い出す気かよ。」 

 ホリデイはケラケラと笑った。コチは、ホリデイの笑い声が偽物に思えてしまった。大好きなホリデイの笑い声が。

 そして、コチは、ホリデイを見ずに飛び立った。

 「じゃあな。そろそろ行くよ。僕には月の世界が待っているからな。」

 ホリデイが呼び止める声を何度も無視して、コチは、終わりゆくオレンジ色の世界を飛んで行った。


 コチは、それから青空の下を飛ぶことはなかった。


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