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ホリデイ1


コチは小さな蛾。

 あだ名は『木枯らし』

 枯葉色した小さな羽で飛んでる姿を見て誰かがそう叫んだ。

 今は春。厳しい冬が終わり、ようやく訪れた春。

 そのあだ名は、春色の世界で悲鳴を産んだ。

 コチは小さな蛾。夜にしか飛ばない。

        

 空に太陽がいた。

 コチはいつもの寝床にいた。

 コチの寝床は、老木だ。

 誰もいなくなった民家の脇にひっそりと立つこの老木はもう長い間ここにいる。

 民家の屋根に老木が落とした葉が散らばり風に身を任せ飛んでいく。雨樋には置いてきぼりの葉が枯葉に変わり重なり山となる。老木は積もる枯葉を数え、過ぎた年月を思い出し風に揺れる。

 青々とした木の葉が風に吹かれサラサラと音を出す。

 コチは、この老木の優しい声が好きだった。

 コチはこの寝床である老木を「ジイさん」と呼ぶ。ジイさんはいつもコチを優しく迎えた。

        ✳︎

 出会った頃のジイさんは枯れ木であった。 

 太陽の視線から逃げるようにやってきたコチは同じ色をした枯れ木のジイさんの体にしがみつき隠れた。

 ジイさんは何も言わない。

 目を伏せるようにジイさんの体にうずくまるコチ。

 その時、声がした。


 風かな?


 顔をあげるとジイさんの枝先から産まれたての小さな緑がキラリと陽光に反射した。その葉にコチは、ため息しかでなかった。「ここから出ていけ」と緑が睨んでいるような気がした。

 「また引越しだ。」

コチが何度目かの身支度を整えていると再び声がする。


 いらっしゃい。コチ。

         ✳︎

 忌々しい太陽が空にいる間、コチはいつもジイさんといた。ジイさんの葉が作る影の下に隠れ、太陽がいなくなるまで、時間が過ぎるのを待っていた。ジイさんはコチの話す言葉にそっと耳を傾け風にのせて頷いた。

 あいつがいなくなってから、また、ジイさんと過ごす時間が長くなった。


 「なあ。ジイさん。今日もホリデイは来ないのかな?」


 揺れる葉の隙間から光がチラチラとコチを覗いた。

 朝の汚れない光の中から、ホリデイの声が聞こえる。それは、いなくなってしまった朝の記憶だ。


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