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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied⑮

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

15曲目はシューマン♪ …ひとかけら、届くかな?

シューマンSchumann : 献身の花 Die Blume der Ergebung Op.83-2                                                                     ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

私は庭の花です
じっと待っていなければなりません
いつ、そしてどのように
あなたが私のもとにいらっしゃってくださるか

太陽の光としていらっしゃるのなら
私はあなたを喜ばせるために
そっと胸を開きます
そしてあなたの視線を受けとめるでしょう

露や雨としていらっしゃるのなら
私はあなたの恵みを
愛のお皿に受けて
決して涸らさないでしょう

そしてあなたが柔らかな風となって
私の上に吹いてくださるのなら
私はあなたに身を寄せるでしょう
「私はあなただけのものです」と言いながら


詩はドイツの詩人フリードリヒ・リュッケルト(Johann Michael Friedrich Rückert 1788- 1866年)による。マーラーによる付曲もあり、そちらも名曲!

 「あなた好みの女になります」ということでしょうか…。なんて従順なお花なのでしょう。男性なら一度は夢に描くような理想の女性像ではないでしょうか?庭に咲く花に女性の姿を重ねている詩です。
 “innig”というドイツ語の形容詞があります。「心からの」「切なる」「親密な」「愛情のこもった」という意味です。シューマンの歌曲に多く見られる発想標語ですが、この曲もまさに“innig”な曲です。控えめな動きのピアノの前奏から、つぶやくように始まる歌声部。「愛しい人が光として現れるなら…」の「光」は、ピアノパートの16分音符のざわざわした動きからの突然の引き伸ばされる急ブレーキのような音型で、さっとさす光として表現されています。「露として現れるのなら…」の「露」はピアノパートのトリルや三連符の細かい動きで、ふるふる揺れ動く露玉として表されています。そして「風となって現れるのなら…」の「風」は控えめな間奏で奏でられ、花の真上に「風」の彼が吹いてきたときの喜びが和音のアクセントで表されています。やはりシューマンの歌曲はどこまでもピアノが雄弁です。歌声部は控えめにその側で歌い進められます、このお花のように控えめに…。 
 この曲は1850年に作曲されました。シューマンの作品の中で後期の作品に分類されます。当時既に幻聴など精神障害に悩んでいたシューマン。クララへの愛を爆発させた1840年“歌の年”の作品と異なり、歌声部はより朗誦的になり、もはや“念じる”かのように作られています。死に向かって彼の音楽が濃くなっていくのを強く感じる、そんな作品の一つです。歌っていると『ミルテの花』で解説した「心臓をつままれるようなときめき」はなく、詩の世界にすがりつくような切迫感を感じます。こうしてみると、作品の中に確実に作曲家の人生が投影されていることがわかります。演奏する者も、耳を傾ける者も、作曲家の感情を追体験できるのです。Liedって本当に興味深いですね。

 2010年のシューマン生誕200年の年にシューマンを特集したLiederabendを歌いました。「アンコールに何かシューマンらしい曲はないでしょうか?」と芸大時代の恩師におききしたところ、この曲を勧めてくださいました。正直プログラムのどの曲よりも難しかったです。奇跡的に歌い通せて驚いたことを覚えています。今はもう天国に行ってしまわれた先生。素敵な曲を教えてくださってありがとうございました。届いてますか?元気で歌ってます!

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 ドイツ歌曲の楽しみFreude am Lied③④でもシューマンの作品を取り上げました。③にはシューマンについての解説があります。よろしければご参照くださいませ。
https://note.com/utauakiko/n/n0518800adc1d


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