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愛なら喫茶店で事足りないか?

 自分勝手な性格ゆえか、わたしには人よりも「さみしい」という感情が希薄な気がする。希薄とは言ったが全然さみしさなんて感じないしひとりで生きていけるぜーというわけではなく、あまりそれらを嫌悪するものじゃないと思ってる気がするのだ。たぶん、さみしいという感情がちょっと好きだ。それはなにかを懐かしいと思う気持ちとよく似ていると思うのだ。わたしはひとりで旅をする。ずっと遠くへ何日も行くときもあれば、あまり通らない通りを歩くだけの数十分間の旅もある。もちろんだれかと一緒にいるのは楽しい。わたしはひとりで歩く時、特に意識せずに気がつけばここにいないだれかのことを考えている。さっきわたしを追い越して行った自転車の彼女の後ろ姿があの子に似ていたな、こんな所に食堂があるのか、なんかあいつが好きそうな雰囲気やな、あ、ここずっと前にみんなと来たことがある気がするな、一体いつの記憶やろか、そんな調子でぽんぽこ考えが浮かんではいつもさみしいと感じている。この気持ちは見かけは孤独なドーナツの穴のように思えて実際にはその輪っかのほうである。わたしはいつも「いない」ことによって「いる」ということを知る、それをひしひしと思い知るためにいつも旅に出ている気がするのだ。
 それでも今いてほしいという時もたまにある。
そういう時はとりあえず喫茶店にはいる。
べつに喫茶店じゃなくてもいいが、とにかくいい感じの飲食店にはいる。個人店のほうがいい。
なにか飲んだり食べたりしてのんびり過ごしてから、帰りしなに「おいしかったです」とかなんとか言う。とりあえずなんか置いてる花とか褒める。よっぽどわたしか相手が変なやつじゃないかぎりはその言葉がないがしろにされたり無視されることなんて基本ない。誰だって届きさえすればちゃんと受けとってくれる。気をつけるのはちゃんと相手に聴こえるようにハキハキ話すことだ。

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