見出し画像

ふざけっこたち

時代時代で子どもたちの環境は変わるけれど

音楽教室をして、30年ほどたってしまいました。
なんと。

それで、時代時代の傾向が少しづつ変わっていて、若い頃は、子どもたちが如実にゲームの影響なんかうけてると、これはいかん!!と思って、世の中、このまま、どうなってしまうんだろう・・と憂いていたりしました。
でも、今は、少し違ってきています。

世の中が悪いといくらいったって、何の薬にもなりゃしない。
それに、昔の子どもたちにはなかった、また別のフェーズで今の子供達はちゃんと、子ども時代を生きています。
そしてそのフェーズでちゃんと育ってる。
何が良いか悪いかなんて、古い頭の時代の私達に判断できるわけがない。
だから、これから書くことは、決して今の子達の否定ではないので、そのだけ誤解のないようにちょっと一言添えておいてから言いたいのですが・・

ふざけるのは、ちょっとだけそらしてるから

今の小さい子たちは、あまり「まじめ」になにかに向き合うということをしたがらないなあと感じています。すぐふざけちゃうし、ぐずぐずぐずって背骨が崩れる。大人の私の言うことにまじめには答えない。そんな感じです。
でも、人としての近さ、優しさみたいなのは、昔の子どもたちよりすごく感じる時があって、大人との垣根はない。
どの子もいい子やん。
そしてユーモアのセンスは抜群にいい。
私もユーモアはだいすきさ。
けど、けど、いい子なのに、前向けない、なんで。

たとえば不真面目ということにたいして、昔はそれを「良くないこと」と決めつけて「対応策」を練ったりしていました。

でも、私もなんだかんだ30年ゆるゆるいろんな子とつきあってきましたから、そういうのが、どれだけ役に立たないかもわかってきました。ただただ現状をながめる。むしろ肯定的にそれを眺めてみる、そこにしか理解の糸口ってないんですよね。

まずはユーモアにはユーモアで返す。
対立しても圧力をかけてもなんも伝わらないだけじゃなくて、ユーモアは芸術です。
子どもが差し向けた方向やゆる感をまずは動的に同調して、同じフェーズで話せるるところを自分にも探してみる。
これが、対話にしていくコツかも。
この辺の、「言葉にならない動きや質感」みたいなものは、utena drawingで扱っている領域そのものだし、それは音と音の間にある音楽のエネルギーと内容的には同じなんじゃないかと思います。
そうしたら私も今のふざけっ子たちの脱力したいい感じがもらえたりして、私も柔軟になってく。

それでもやっぱり、私は大人なので、ふざけてたらちゃんとおみみがひらかない、ということも伝えなきゃいけません。これは、子どものご機嫌だけとっているわけにはいかないんです。音楽だけのことじゃない、子どもの一生にも関わりかねない。

ひとつは 昨日あげたホームページの記事にもあるように、あそびのちからをつかったりします。

でも最終的には必要なのは言葉、と先生の子どもを見る目。

ふざけっこの内側で出会う

ふっとふざけてる子にちょっと真面目になって、

「それは、難しいの?」と尋ねると

子どもも不意打ちされて まじめに

「・・・難しい・・」と。今までみたことのない不安な顔。

おや、ふざけっこの影に隠れてたのはこんなシャイな子だったのね。

「ああ、そやったんやね、そか、一緒にやろ、今できないんはあたりまえよ、今はじめたばっかりやんか。やってみんとずっとできんよ、手だしてみて、弾こかピアノ。」

できないのは指が未発達だからか、音を取れてないのか。
理解のできないものをやらせても不信感が募るばかりです。

なにを解凍すれば、そこから一歩抜け出せるのか。
ここを通過する意外に道はないぞ。一緒にそこは冒険だ。

結局、生徒はここは逃げられないし、やれるようになりたいし、というところでしょうか。手を出してきて弾きはじめました。ちょっとできない、と、肩をすくめる、大丈夫、とそっと背中や頭を撫でる、2回3回、4回目くらいでコツがわかる、5回めでできる。

そのときはもうこどもはふざけっことはちょっと違うフェーズに立っています。誇らしげなその顔。うれしいなあ。

そのレッスンのうちにその子が向き合いたくなくってふざけて逃げていたことに向き合うことができて、克服もできました。
そういうことがここ数ヶ月で3回もありました。
そしてその時を起点に子どもたちは確かに変わってくる。

そうか、難しいと石のように固まってしまう子もいるけど、ふざけるっていう手を今の子供たちは知ってるってことなんか。ちゃんと向き合っても通過できるって言うことをしっかり支えて上げることが大事やね。

時代は変わるし、一見、子どもたちも時代時代で変わってきます。

でも、人と人の間のことは何も変わらないし変わりようがないことなので、そこを私も見失わないようにしたいなあと思います。

たくましくなれ、子どもたち。

*写真は姫こぶしの蕾。
咲くのはずっとずっと先、3月だけれども、
葉っぱが落ちた樹木の先には、産毛に覆われたこの子達がいっぱいです。
日差しの良い日はキラキラしてます。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!