松野平野

愛媛で一番小さな町、松野町のこと

私の実家のある愛媛県の松野町は、人口4000人あまりの愛媛でも一番ちいさな町です。全国で報道されることはほとんどないと思いますが、この町もこの7月の西日本豪雨で浸水被害を受けました。

松野町は町のまんなかを広見川がカーブを描きながら横切る盆地で、穏やかな起伏の山に抱かれるようにして、これまた小さな集落が点在しています。いつもの広見川は底が浅く、夜空の星が映り込むほどの静かさです。昔は実家の近くに欄干も電灯もなく低い橋(沈下橋)がかかっていて、よく夜にでかけていっては、寝転んだものでした。満天の星空と、星を映す広見川。盆地の底にあるその沈下橋にねころんでいると、まるで宇宙に浮かんでいるような気分になったものです。今では、決して沈下することのない高い立派な橋が架かっています。

西日本が未曾有の天災にみまわれた、7月豪雨。
東京の娘から、大丈夫?とラインをもらって初めて、私は宇和島市付近の豪雨の状況を知ったのです。私も同じ愛媛に住んでいますが、私のところはそれほどではなかったのと、愛媛の情報は最初あまり報道されなかったので、まさかそんな事になっているとは思いませんでした。けれど娘の流してきた情報ではどうも実家のある愛媛でも南予という地区あたりがひどいらしい、と。あわてて母に電話。丘の上にある実家は無事との連絡がつき、ほっと胸をなでおろしました。その時点で、テレビでは松野町どころか愛媛の情報さえほとんど取り上げられることはなく、それがことさらに不気味に思えました。

事の深刻さを知ることになったのは、それからさらに数日後のことになります。

広島、岡山の災害情報に少し遅れて、愛媛の情報がやっと報道されるようになり、実家までのいつも通るところ、大洲・野村・吉田のあたりが激変し、たくさんの犠牲があったことを知りました。

そして、どうも松野も浸水したらしい。
母は、人から、向こう岸が海のようだったということを聞いたといいますが、目がよく見えておらず、実情がどうなのか、はよくわかっていないようでした。

私が生まれてこのかた、松野が浸水したことなんかなかった、これはとんでもないこと。でも私の知るところでは報道はされない。どうなっているのかわからない。とにかく、この雨は西日本を広範囲に沈めてしまっていたから、幸いにも犠牲者のなかった松野の情報はなかなか届きませんでした。浸水も僅かだったのだろうか?

後日聞いた話では、その浸水のあった日、おさななじみは仕事場から帰ると橋の向こう側の自宅が川に飲み込まれているのを見たそうです。車を置き、もと沈下橋だった例の橋を渡って、平野の川が溢れたひたひたに浸かった道を歩いて帰ったそうです。思い描く映像は、千と千尋の神隠しのあのワンシーンのよう、ただ、そこは、薄暗く、水は濁っていたはず。

その狂った梅雨前線は(そう、それは台風ではなく、毎年平和に巡りくるはずの梅雨だったのです。)二股に別れ、一つは岡山・広島の上で停滞し、そしてもう一つは四国に。前線は吉田、三津浜あたりの海岸端で岸にぶつかり、野村の山に、風もなくただただ静かに大量に何日も雨を降らせたのでした。
そして、後日知った、その水系を近くする上流からの増水による、松野町の被害、床下浸水が、114戸。 床上浸水が、123戸。人口4000人に対してこの戸数。でも、西日本の被害はとてつもない。これでは、たとえ町にとって70年ぶりの大災害で、どんなに大変でも声もあげられないだろう。
私は、松野町が忘れ去られていくようななんとも言えない気分になりました。立ち直れるのだろうか?

それで、同級生でもある松野町の町長に会いに行きました。
私は、この、情報がどこにもなく、どこへも届けられないなか、どうしても、松野町の現状が知りたかったからです。私が関わる別の地域のチャリティコンサートで、せめて情報を伝えたかった。こうやって、情報を発信したいと思いました。私ごときが、とはおもいますけれども・・・・・

最初、自分はこの小さな町がどんな大変な思いをしてるか、そういうことを書くんだと思っていました。でも、この忙しいさなかに時間をさいていただいた同級生の町長にお話を伺ううちに、なんか、自分が考えていたことは違う、と思いました。

情報が入ってこない歯がゆい思いをしていたころ、私は、例えば、一人暮らしのおばあちゃんとかがこんな田舎で被災して、どんな思いで暮らしてるんだろうか・・・たった一人で・・・そういうイメージが浮かんできて、なんだか落ち着きませんでした。身びいきと笑われようが、仕方ない、そのイメージは離れて暮らしている実の両親のイメージと直結していたのでしょう。

でも、町長さんは言いました。周りの市町村のほうの被害は、うちとは比べものにならない。だから、そちらを助けてほしい、と。
町のことは町内で、助け合ってやっていってるから、と。
ここは、小さな町、田舎の良さ、近隣が助け合って、声をかけあって、そして、行政もこの人数の少なさゆえ、細やかに住民を把握していて。

そう、どうも、我が故郷はそんなにやわではなかったらしいのです。
私は、そこで初めて松野町のホームページを開いてみました。穏やかな時間を感じるようなホームページ。それは私の知っている穏やかな松野町そのまんまでした。なかなかに素敵です。

松野町ホームページ

ホームページには町長のメッセージの中に

”皆さまの周りに、自らの手だけでは復旧作業が困難なご家庭があれば、どうぞ温かい手を差し伸べてあげてください。”とありました。読みながら泣けてきた。

そして、数日前テレビでみた、浸水したおさかな館(淡水魚の水族館なのですが、なぜかペンギンと触れ合える)の、復旧開館祝い、入場料半額!のニュース。
そうか、松野町は強い子だ、と思いました。

私は行政はわからないけれど、思いました。近隣のもっと災害の大きかった場所、まだ復旧に時間のかかる場所、そういうところはまだ観光に力を注ぐ訳にはいかない、でも「被災地」がこの地区のイメージになったのでは、本来のこの愛媛・南予の良さや美しさは伝えられない。この地はたまたま町や市で区切られているけれども、景色はつながっている。人もつながっている。ともに被災し、なかでは軽く済んだ、そして一番山奥の松野町の役目。南予に希望の芽を。

松野町は現在は、ボランティアは募集していません。一応の普段の生活に戻ることはできている、と聞きました。とはいえ、もちろん、一つひとつのご家庭が本当に日常を取り戻すにはまだ時間もお金もたくさんかかると思います。まして、心のダメージが薄まるには、人の配慮も必要だと思います。行政にはできる限りの自立のサポートをしてほしいと思います。がっぷりと水に浸かった道の駅、虹の森公園のおさかな館・かごもり市場・ガラス館は再開しています。 ただ、滑床渓谷への県道が崩壊し、全面通行止め、復旧にまだ少し時間がかかります。人のいない滑床渓谷、森の精たちはさぞやのびのびとし放題でしょうが、人間としては復旧が待たれます。秘境感満載のこの渓谷、秋には素晴らしい景観がみられるといいなあ、両親を連れていきたい。また、松野町への足、予土線も13日に再開。観光スポットの一つ、ぽっぽ温泉ははやくから再開し、近隣の癒やしになっているらしいです。

松野町の義援金の募集は、「ふるさとチョイス 」で行っているそうです。町長さんに教えてもらって、私も初めて「ふるさとチョイス」のページを開けました。なんと、役場も浸かっていたのか、、この写真を見て初めて知りました。ここには松野町だけではなく、西日本豪雨で被災した地区がそれぞれに義援金を募っています。もし、まだ見たことのない方は開けてみてください。

ふるさとチョイス 平成30年 7月豪雨

ふるさとチョイス 平成30年7月豪雨 松野町

もも農家が多く、桃源郷にもたとえられる小さな宝石のような町、松野町。


そう、松野町は 街 でなく、町、のほうが似合う。
普通の、日本の、 コンビニがたったひとつの町。
でも、そこにはちゃんと人が住んでいて、父母も暮らしています。


美しい海岸線と山並み、田園風景の広がる、大洲・野村・宇和島のさらに奥に松野町はあります。ぜひ、一度お越しください。ただ、今、愛媛の南予では、高速道路は通れますが、松山ー宇和島間のJR予讃線も全線復旧ができいない状態です。近隣の市や町では、まだ、復旧作業が続いています。松野にお越しの際は、その点、ご配慮をお願いします。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!