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東京アレクサンダーテクニークセンター体験記


アレクサンダーテクニークワーク →←音楽プロセス体験ワーク

9月17日、東京アレクサンダーテクニーク(TAC)で、お互いのワークをシェアさせていただきました。お互い、というのは、TACのアレクサンダーワークと、私がもっていった「utena drawingを通した音楽プロセス体験」の体験です。
私のワークののほうは、TACブログのリンクと、私のinstaを貼っておきます。

そして、ここでは、TAC体験記のほうを書こうと思います。

本来TACはアレクサンダーテクニークの講師を育てる機関ですが、
トライアル、あるいは、ウィークデーモーニングクラスで一般の方も受けることができます。私が受けたのはウィークデーモーニングクラスにちかいものだそう。
先生たちの学びの場に同席して、ワークを受けながら、その雰囲気も体験することができました。
学びの中にある人たちの活気あるやりとりのなか、
ねっころがって、スタッフのおふたりのやわらかなタッチに癒されながら(役得です)言葉と身体のやりとり。

アレクサンダーテクニークを受けて

アレクサンダーテクニークの先生の手はヤモリを手にのせたときの触れ具合のようにふわりとしていて、身体に触れているのかいないのかわからない感じがします。
野口整体の愉気にそのあたりはよく似ている感じがします。
受けている人の身体から本来の動きを引き出してくる、という点で、
野口整体とアレクサンダーテクニークは近いところにあって、
そのためには、あの、触れているかいないか、という微妙な距離感が大事なのかもしれないと思いました。

ぶつかる、触れる、離れる、ためらう、余白に生まれる動き。

音楽を描く(utena drawing)にも、二人でセッションするようにして、同じ画用紙に同線を絡むように描く時があります。互いの呼吸がより近くで感じられ、その細かい動きまでを違いが写し取れるように。そういう場合、自分の手元ではなく、相手の手元をみて、と声をかけるのですが、それに近いものもあるようにおもいました。

ペアで行うutena drawing

言葉ではなく、身体の対話。
アレクサンダーテクニークと音楽プロセス体験は、動きにたいする意識も近いところにあるかもしれません。

そして、言葉も大事。

膝を曲げるように指示をうけ、曲げた時、
その声かけによって、私の膝はすっかりリラックスしていました。
その声かけは、勿体無いので、ネタバレはしません。
ぜひもし機会があったら、うけみるといいとおもいます。

知ってからそれをする、というのをアレクサンダーテクニークの用語で「エンドゲイニング」といい、結果主義、ともいいます。知識によって結果がわかってしまっているというのは、体験の中身を見失ってしまい、実はその前後しか視野に無かったりするもの。だから、体験の通り道を迂回しながらお話をされます。

知らない、って「これから体験する」ということで、わくわくしますねー。

そして寝転んだまま、私の緩んだ膝と、講師の方のほんの一瞬のサポートでふっと起き上がれた時には驚きでした。
目的を遂行するのに力はこんなにいらないんだ!

そしてここは学びの場所

そして、スタッフお二人の対話もずっと続いています。
どう声かけするか、どう身体に触れるか、身体を使うか。

このTACにくると、一体誰が先生で誰が生徒なのかわからない感じがします。
(私が気にしてない、ということもあるのか?)
こんな空気の中で、学べたら、楽しいでしょうねえ、
こんな当たり前のことが、なかなか稀有。

私が受けたワークはこれに近い感じです。
自分に合った先生のもとで個人的に受けるのもいいですが、
こんなふうに、それぞれの個性も感じながらやりとりすることで
むしろ、個性を超えた理論の方に触れられる、ということもあるかなとおもいます。

音楽プロセス体験ワーク記録

音楽プロセス体験音楽を描くのワークについては
TACのブログに掲載していただきました。
私もinstaにあげています。

お互いのワークが終わった後も、話が尽きず、学校のはなしや、自分たちの体験の話、時間ギリギリまでたくさんおしゃべりし、名残惜しくお別れしたのでした。








愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!