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調律という養生

ヒメコブシと調律師さんの玄関

4月上旬なみ、という今日、庭先にはヒメコブシの花が満開。
去年はわけあって狂ったようにたくさん咲きましたが今年はおとなしめ。
玄関があいて、調律師さんがやってきました。いつも穏やかで、ゆっくりと動き、ゆっくりと話しをされます。

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今日はグランドピアノとアップライトピアノの2台。
私も今日は仕事がないので、どうぞお好きにやってください、とお願いすると、10時に入られて、帰っていかれたのが16時。ピアノがなっている間私も覗くこともなく掃除したり、パソコンで記事を書いたりしていましたが、ポンポンと音がずっと鳴っていました。

冬にワンコが最期の日々を音楽室で過ごし、その間、ピアノの真上から暖房で部屋を温めていたために、音程の狂いだけでなく、かなりのダメージを受けていたはず。

ピアノが調律されていくということは、ピアノ弾きにとっては自分が整えられていくような気がするもので、明らかに狂っている一オクターブがきれいに一つの音になっていくのを二階で聞いているだけで自分が養生されているような気持ちになります。

そうやってグランドピアノが整って、ドビュッシーの月の光のさわりの響きが聞こえた後に、今度はアップライト。

調律の音が聞こえなくなったのが14時をはるかに超えていました。
そろそろかな、と思って覗いてみると、アップライトの小さなネジを一つ一つ閉め直しておられるところでした。そう、どこのネジかわからないけれど、子どもが弾いていてもビービー鳴いていて、最近ではその雑音はもうほとんどうたってるくらいにしっかり聞こえて耳障りだったのです。

床に広げられたたくさんの使い込んだ小さな工具をゆっくりとした動作で片付けているそばで、どれ、と、ピアノに触れてみる。少し頑なになっていたタッチも柔らかくしてもらっていて、もちろん雑音も消えていました。

そこから、いろんなはなしが始まります。なんと言っても今日はゆっくり時間がある。

植物の話、動物や人の介護の話、そしてピアノ。

ベヒシュタインとベーゼンドルファーの天板と音の作りのこと

ディアパソンは天板が薄い感じがします、それで冬とか毎日狂い方が違う、と尋ねると、ディアパソンは、ベヒシュタインをモデルにしていて、どちらも弦の純粋な響きを大切にしているから、天板は厚くない。調律も難しい。と。

そうか、ディアパソンは弦の音。

ベーゼンは、堅牢というイメージ。
・・・・そう、ベーゼンは最も張力が強いからその分天板や木の部分はしっかりしていて、下へ潜って覗くと、梁がこーんなに大きい。ベーゼンは木の音。

スタインウェイはボディの金属を響かせる。

それぞれ、設計が違う。

ベヒシュタインは弦の響きを妨げないブナ。ベーゼンは欅。
そう言われて思い出すのは木材ではなく、樹木の姿。

音の風景の意味を教えてくれる

私は、響きをどこかいつもぼんやりとだけど風景のような認識で記憶している気がしています。

ピアノの音もそうで、そのぼんやり感じていて、この辺が固くてこの奥行きがこのくらいで、ここにぶち当たるなにかがあって、ここは抜けている、みたいなイメージのその理由が明らかにされていくのは、くぐもっていた景色がはっきりとみえて霧が晴れていくようで、嬉しい。

調律師さんもいろいろ話をしてくれます。きっと、こんな話し相手は嫌ではない。私にとっては他の誰とも話せない話。

でも話しているあいだも、時々、満開のヒメコブシの方を盗み見しておられました。そう、この熟練したおじいさんも花や生き物を見過ごすのはもったいない人。

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私はわたしで、ああ、これで、生徒たちにピアノの最中にビービーなる音に集中を妨げられないですむなあと。

グランドピアノは流石に、年をとったな。
・・・よく弾かれているからフェルトが来るたび弦に食い込んでいて、ほぐしてるのだけど、まあどうしても摩耗するし、ピンも少しづつ緩んでくる。

私のつぶやきをちゃんと説明していただく。

なんだろうなあ、この細やかさ。

暮らしの中にある、深い音の世界へ潜っていくような。
だから、調律師さんが来るのがいつも待ち遠しい。

最後にお見送りしたときもしばらくヒメコブシをじっと眺めてから車にのってから帰っていかれました。

さて、と。

ピアノ・ピアノ。いい音!

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去年のヒメコブシが狂ったわけ

おまけです。覚えていてくださる方もおられるでしょうか。
去年ヒメコブシが三度も返り咲いたわけはこちら。
改めてみて、同じ個体と思えない。



愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!