【翻訳】ワーニャ伯父さん・第3幕(A.チェーホフ)

第三幕

セレブリャコーフの屋敷の客間。ドアが3つ左右と中央にある。昼間。
ヴォイニーツキイとソーニャ(座っている)、エレーナ(舞台上を何か考えながら歩いている)

 ヴォイニーツキイ:教授殿のお達しによれば、われわれ全員に本日の昼1時にこの客間に集まるようとのことらしい。(時計を見る)15分前か。世界に向かって何やら物申したいのかな。
 エレーナ:きっと、何か用事があるんでしょう。
 ヴォイニーツキイ:あいつに用事なんてありませんよ。下らないことを書くか、愚痴をこぼすか、焼きもちを焼くか、それ以外何もない。
 ソーニャ:(非難する口調で)おじさん!
 ヴォイニーツキイ:いやいや、私が悪かった。(エレーナを指さして)見とれるね、歩いていても気だるげでよろめいている。いやはやかわいらしい! まったく!
 エレーナ:一日中ピーチクパーチクと、いつもいつもよく飽きませんね!(物憂げに)退屈で死にそう、何をしたらいいかわからなくて。
 ソーニャ:(肩をすくめて)そう? その気になればいくらでもあるでしょう。
 エレーナ:たとえば?
 ソーニャ:農場経営とか、人に教えたり、治療したり。いくらでも。実際あなたとパパがいなかったときには、私とおじさんは市場に行って自分で小麦粉を売っていたのよ。
 エレーナ:無理ね。それにつまらなそう。百姓に教えたり治療したりするのは観念小説の中だけよ。それに、どうして私が何の理由も無く突然教えたり治療に行けるの?
 ソーニャ:行って教えられないことの方が私にはわからない。ちょっと我慢すればあなただって慣れてしまう。(彼女を抱きしめる)退屈しないで、ね。(笑う)あなたが居場所を見つけられずに退屈しているから、退屈や怠け癖が広がってしまった。見て、ワーニャおじさんは何もせずにあなたの影みたいに後を追いまわしているし、私は自分の仕事を放り出しておしゃべりするためにあなたのところへ入りびたっている。怠けてしまってこれじゃいけないのに! ミハイル・リヴォーヴィチはこれまでこの家に来るのはたまにで、ひと月に1回お願いするのも大変だったのに、今では毎日やってきて、自分の森の仕事も医者の仕事も放りだしてしまった。あなたは魔女ね、きっと。
 ヴォイニーツキイ:何を悩んでいるんです? さあ、愛しい人、賢く生きましょう! あなたの体にはルサールカ(水の精)の血が流れている、ルサールカとして生きるんです! 一生に一度くらい思うがままに誰かに、頭のてっぺんまで溺れるほどに恋をして、頭からドボンと湖の底に飛び込むんです、教授殿も私たちみんなも仰天するでしょうよ!
 エレーナ:(怒って)放っておいて! なんて残酷なの!(出ていこうとする)
 ヴォイニーツキイ:(彼女を行かせまいとして)いやいや、ごめんなさい……謝ります。(手にキスをして)仲直り。
 エレーナ:天使だって我慢できない、そうでしょう。
 ヴォイニーツキイ:仲直りの印にバラの花束をお持ちしましょう。朝のうちにあなたのために準備したんです……秋のバラ、それは魅惑的で、悲しげなバラ……(退場)
 ソーニャ:秋のバラ、それは魅惑的で、悲しげなバラ……

エレーナとソーニャ窓の方を見る

 エレーナ:もう9月。私たちここでどうやって冬を過ごすのかしら!

エレーナ:ドクトルはどこ?
 ソーニャ:おじさんの部屋。何かを書いてる。ワーニャおじさんが出て行って良かった、あなたに話したいことがあるの。
 エレーナ:なに?
 ソーニャ:なにって?(彼女の胸に顔をうずめる)
 エレーナ:もう、どうしたの……(彼女の髪をなでる)どうしたの。
 ソーニャ:私ブスよね。
 エレーナ:きれいな髪よ。
 ソーニャ:違う!(自分の姿を見るために鏡の方を振り返る)違う! 女がブスだと「きれいな瞳だね、とかきれいな髪ですね」と言われる……もう6年もあの人が好きで、母以上に愛してる。いつだってあの人の声が聞こえて、握手の手の感触が残っている。それに、今にもあの人が入ってくるんじゃないかとドアを見てしまう。あの人について話したくていつもあなたのところに行ってしまうのも、ほらわかるでしょう。今あの人はここに毎日いるのに、私のことは見もしないし、視界にも入ってない……ああ苦しい! 私にはわずかな希望もない、ないの!(絶望して)ああ、神様力を下さい!……夜通し祈ってた……いつもあの人のところに行ってこっちから話しかけて、あの人の目を見るけど……私にはもう自尊心も自分を抑える力もない……昨日は我慢できなくてワーニャおじさんにもあの人への想いを白状してしまった。それに召使いたちもみんな私があの人を好きなことを知ってる。みんな知ってるの。
 エレーナ:彼は?
 ソーニャ:知らない。あの人は私に気が付きもしない。
 エレーナ:(考え込んで)おかしな人ね……ねえ、いい? 私にあの人と話をさせて……慎重に、気づかれないように……

エレーナ:本当に、いつまでわからないままいても……いいでしょう!?

ソーニャは同意してうなずく

エレーナ:それがいい。好きかそうじゃないか、それを知るのは難しくない。ね、戸惑わないで、心配ないから。私が慎重に聞き出すから、彼に気づかれないように。知りたいのは、イエスかノーかだけよね?

エレーナ:もしノーだったら、もう来ないでほしい。そう?

ソーニャ同意してうなずく

エレーナ:会わなければ楽になる。後回しになんてしないで、今すぐ彼から聞き出してみましょう。あの人は何か私に図面を見せる準備をしていたから……行って、私が会いたがっていると伝えて。
 ソーニャ:(強く興奮して)本当のことを全部話してくれる?
 エレーナ:ええ、もちろんよ。真実はどんなものでも、たとえそれが恐ろしいものだったとしても知らないよりは良いって私は思う。私に任せて、ね。
 ソーニャ:うん、うん……あなたが図面を見たがっているって彼に伝えてくる……(向かうがドアのそばで立ち止まる)だめ、知らない方が良い……希望だけでも……
 エレーナ:どうしたの?
 ソーニャ:なんでもない。(退場)
 エレーナ:(一人で)他人の秘密を知っても助けてあげられないのは最悪ね。(考え込んで)彼はあの子を愛してない、それははっきりしてる。でも、彼女と結婚しないってことじゃない。あの子は美人じゃないけれど、あの年の田舎の医者にとってなら良くできた妻になれる。賢い子で、あんなに優しくて、純粋なんだもの……でも、そうじゃない、そうじゃ……

エレーナ:あの可哀そうな子の気持ちがわかる。絶望的な退屈のなかで、周りにうろついているのは灰色の染みのような人たち、耳に入るのは低俗な話だけ、食べたり飲んだり寝るしかないなか、時折そんな他の人たちとは違った、美しくて、面白くて、魅力的なあの人がやってくる。暗闇の中に光る月が出るみたいなものね。そんな人の魅力に屈して、夢見心地になる……私も少し惹かれているかもしれない。そうね、彼がいないと退屈だし、彼のことを考えるとこうして顔もほころんで……ワーニャおじさんが私の体にはルサールカの血が流れているなんて言ってた……「一生に一度くらい思うがままに」か……なんだろう? そうすべきなのかしら……自由な鳥のように、眠たそうな顔をした人たちやおしゃべりから飛び去って、この世に存在するすべてを忘れたい……でも私は臆病で、内気だから……良心が私を苦しめる……ああやって彼が毎日ここに来るけど、なぜここにくるのか私は気づいている。だからもう自分が悪いと感じて、ソーニャの前にひざまずいて泣いて謝りたい気持ちになる……
 アーストロフ:(図面を持って入場)こんにちは!(握手する)私の図面を見たいんですか?
 エレーナ:昨日、あなたがご自分の仕事を見せてくれると約束なさったでしょう……お暇ですか?
 アーストロフ:ええ、もちろん。(緑色のラシャが張られたカードゲーム用のテーブルに図面を広げてピンで留める)どちらの生まれでした?
 エレーナ:(彼を手伝いながら)ペテルブルクです。
 アーストロフ:何か学ばれましたか?
 エレーナ:音楽学校にいました。
 アーストロフ:では、きっとこういったものは面白くないでしょう。
 エレーナ:どうして? 確かに私は田舎を知らないけれど、本でたくさん読みました。
 アーストロフ:この家には私専用の机があるんです……イワン・ペトローヴィチの部屋に。頭がぼーっとするくらい疲れ果てたときには、全部放り出してここに走りこんで、1時間かそこらこの紙に向かい合って気晴らしをするんです……イワン・ペトローヴィチとソフィヤ・アレクサンドロヴナがそろばんをはじいている横で、私は自分の机でこいつに色を付けていると、コウロギの鳴き声が聞こえたりして、あったかくて落ち着いた気持ちになる。しかし、そんな気晴らしを許してもらえるのは多くても月に一度です……(図面を示しながら)では、ここを見てください。この地域の50年前の地図です。濃い緑と薄い緑色は森を示しています。面積の半分は森で占められています。緑色の上にかかっている網目模様は、シカやヤギがいるところ……こちらで植物と動物についてもお見せしましょう。この湖には白鳥や鴈、鴨が住んでいて、年寄りが言うには、ありとあらゆる鳥が無数に群れをなして、まるで雲のように埋め尽くしたそうです。見てください、大きな村や小さな村以外にも、あちこちに様々な集落や農場、古儀式派の修道院、製粉用の水車などが散らばっていました……牛や羊(角のある家畜)や馬もたくさんで、水色の部分が見えるでしょう。例えば、この水色が濃い部分には馬の群れがいて、各世帯あたり3頭にもなったそうです。

アーストロフ:下の方を見ましょうか。これは25年前。もう森は全面積の3分の1しかありません。シカはいますが、ヤギはもういません。緑や水色が薄くなっている、といった具合です。3つ目にいきましょう。現在のこの地域です。緑色は残っているものの飛び飛びでつながっていません。シカも白鳥もライチョウも居なくなってしまった……以前あった集落も修道院も水車もない。総合的に見れば、図面は徐々に進む疑いようもない悪化を示していて、完全に消滅してしまうまでに残った時間は10年か15年でしょう。これは文化の影響だとか、古い生活が新しいものにとってかわられるのは当然だ、とかおっっしゃりたいかもしれません。ええ、それは理解できます。仮に森が消えた場所に道路や鉄道ができたり、工場や学校ができて、人々がより健康で豊かで賢くなっているならば私にも理解できますが、そんなことは一切ない! 地域には放置されたままの沼地に蚊、道もないままで、あるのは貧困、チフス、ジフテリア、火事……ここには行き過ぎた生存競争による状況の悪化が関係しています。この悪化は保守性や、無教養、完全なる自意識の欠如から起きていて、寒さに凍えて腹をすかせた病人は、残された命を守るため、自分の子供を守るために、本能的に、無意識に、飢えをしのいだり体を暖めるために必要なあらゆるものをつかみ取り、明日のことも考えずに破壊していく……もうほとんど破壊しつくされてしまったのに、その引き換えに作り出されたものは何もない。(冷めて)あなたには面白くないのが、お顔を見ればわかります。
 エレーナ:私、こういうことに理解が乏しくて……
 アーストロフ:理解することなんてない、ただ面白くないだけです。
 エレーナ:正直言うと、頭の中が他のことで一杯なんです。ごめんなさい。私あなたにちょっとした取り調べをする必要があって、なんだかどう始めていいかわからなくて……
 アーストロフ:取り調べ?
 エレーナ:そう、取り調べ。でも……本当にたわいもないことです。座りましょう!

二人とも座る

エレーナ:話はある若い女性についてです。誠実な人間として、親しい友人として率直に話しましょう。話したら、話したことについては忘れる。いいですね?
 アーストロフ:はい。
 エレーナ:話というのは義理の娘ソーニャのことです。あの子はいい子ですよね?
 アーストロフ:そうですね、尊敬しています。
 エレーナ:彼女は女性としていい子かしら?
 アーストロフ:(すぐには答えず)いいえ。
 エレーナ:もう2、3つ聞いたら終わりです。あなたは何も気が付きませんか?
 アーストロフ:いえ、何も。
 エレーナ:(彼の手を取って)あなたがあの子を好きでないのは目を見ればわかります……彼女は苦しんでる……それをわかってあげて……だからここに来るのはやめてください。
 アーストロフ:(立ち上がって)私の時代は終わりました……それに時間だって……(肩をすくめて)いつあっただろう?(困惑する)
 エレーナ:はあ、なんて気の重くなる話だろう! 1000キロの重りを引きずったみたいに胸が苦しい。でも、おかげで終わりました。ここで話したことは全部忘れましょう……そして出て行ってください。あなたは賢い方だからわかるでしょう……

エレーナ:私まで顔が赤くなってしまった。
 アーストロフ:もし2、3か月前に言われていたのなら、おそらく考えたかもしれません。でも今は……(肩をすくめる)彼女が苦しんでいるなら、もちろん……ただ一つだけわかりません。なぜあなたにこの取り調べをする必要があったのです? (彼女の目を凝視して、指を立てて脅す)あなたはずるい女(ひと)だ!
 エレーナ:どういう意味?
 アーストロフ:(笑う)ずるい女(ひと)ですね! ソーニャが苦しんでいる、それはそうと私も認めましょう、ですがあなたの聞き取りは何のためです? (彼女がしゃべろうとするのをさえぎって勢いよく)待ってください、驚いた顔をしなくてもいいでしょう、あなたはなぜ私がここに毎日来ているのかはっきりとわかっていたんですから……なぜ来るのか、誰のために来るのか、あなたははっきりわかっていたんです。かわいい猛獣さん、そんなふうに私を見ないでください、私は古ダヌキ(ロシア語では老いたスズメと言う)ですから騙されませんよ……
 エレーナ:(とまどって)猛獣ですって? 意味が分からない。
 アーストロフ:美しい、フワフワのイタチってところですか……あなたは犠牲者を必要としているんです! 私はもう丸ひと月なにもせず、すべてを投げ捨てて飢えたようにあなたを追いかけまわしている。あなたはこういうのが恐ろしいほどにお気に召すんでしょうね、恐ろしいほどに……さあどうしました? 私の負けです、あなたは取り調べなんてしなくても知っていたのですから。(両腕を組んで頭を下げて差し出す)参りました。さあ、どうぞ召しあがれ!
 エレーナ:頭がおかしくなったの!?
 アーストロフ:(歯を食いしばったまま笑う)恥ずかしがり屋さんですね……
 エレーナ:私はあなたが考えているよりずっとましで高尚な女です! 誓ってもいい!(退場しようとする)
 アーストロフ:(彼女が行く先をふさいで)今日は帰りますし、ここにはもう来ません、しかし……(彼女の手を取り、周囲を見回す)どこで待ち合せましょう? 早く言ってください、どこで? ここに誰か入ってくるかもしれない、急いで……(情熱的に)なんてきれいで、きらめいているんだ……一度だけキスして……あなたのいい香りの髪にキスをするだけでも……
 エレーナ:私誓って……
 アーストロフ:(彼女が話そうとするのをさえぎって)誓う? 誓う必要なんてない。余計な言葉はいりません……ああ、なんて美しい人だ! この手も!(手にキスをする)
 エレーナ:もうたくさん、いい加減にして……出ていって……(手を引っ込める)あなたはまともじゃない。
 アーストロフ:明日どこで会おう? さあ言って。(腰を抱いて彼女を引き寄せる)君もわかるだろ、もう避けられない、落ち合って。(彼女にキスをする。ちょうどそのときバラの花束を持ったヴォイニーツキイが入ってきてドアのところで固まる)
 エレーナ:(入ってきたヴォイニーツキイに気づかずに)ゆるして……放して……(アーストロフの胸に頭をうずめる)だめ!(出ていこうとする)
 アーストロフ:(彼女の腰を抱きながら)明日森に来て……2時前に……来るね? 来るだろ?
 エレーナ:(ヴォイニーツキイに気づいて)はなして!(ひどくうろたえて窓の方へ離れる)こんなのあんまり。
 ヴォイニーツキイ:(イスの上に花束を置き、動揺してハンカチで顔や襟の部分をぬぐう)なんでもないよ……そう……なんでもない……
 アーストロフ:(不満そうに)イワン・ペトローヴィチ、今日の天気は悪くないね。朝は曇りで雨でも降りそうだったが、今は太陽が出ている。本当に、良い秋になった……種まきにもちょうど良い(図面を巻いて筒に入れて片づける)ただまあ、日が短くなった……(退場)
 エレーナ:(急いでヴォイニーツキイに近づいて)私と夫を今日中にここから出ていけるように努力してください、あなたの力が及ぶ範囲を全部使って! いいですか? 今日中に!
 ヴォイニーツキイ:(顔をぬぐいながら)え? ああ、そう……いいでしょう……エレーヌ、全部見ていました……全部……
 エレーナ:(怒って)きこえているの? 今日中にここを出ていかなければならないの!

セレブリャコーフ、ソーニャ、テレーギン、マリーナ入場

 テレーギン:閣下、私の方も色々と調子が良くないですね。もう二日も気分が悪い。頭がちょっとなんだか……
 セレブリャコーフ:残りのみんなはどこだ? この家は嫌になる。まるで迷宮だ。大きな部屋が26もあって、みんなバラバラだからいつも誰もつかまりやしない。(呼び鈴を鳴らして)マリヤ・ワシーリエヴナとエレーナ・アンドレーエヴナをここに呼んでくれ!
 エレーナ:私はここです。
 セレブリャコーフ:では皆さん、座りましょう。
 ソーニャ:(エレーナの方に近づいて、じれた様子で)あの人なんて言ったの?
 エレーナ:あとで。
 ソーニャ:ふるえているの? 落ち着かないの? (彼女の顔を探るように見つめる)わかった……あの人もうここには来ないと言った……でしょう?

ソーニャ:教えて、そうでしょう?

エレーナは同意を示してうなずく

 セレブリャコーフ:(テレーギンに)具合が悪いことはどっちにしたってまだ我慢できるが、この田舎暮らしには耐えられないね。まるで地球からどこか別の星にでも墜落した気分だよ。座りましょう、皆さん、どうぞ。ソーニャ!

ソーニャは彼の言葉が耳に入らず立ったままで、悲しそうに首を垂れている

 セレブリャコーフ:ソーニャ!

 セレブリャコーフ:聞こえてない。(マリーナに)ばあやも座りなさい。

ばあやは座って靴下を編んでいる

 セレブリャコーフ:では、皆さん。よく言われているように、耳の穴をかっぽじってよく聞いてください(笑う)。
 ヴォイニーツキイ:(興奮して)多分、私はここに必要ないでしょう? 行ってもいいかな?
 セレブリャコーフ:駄目だ、君が誰よりも必要なんだから。
 ヴォイニーツキイ:私めがあなたに何のご用が?
 セレブリャコーフ:私め、だって……君はなにに怒っているんだ?

 セレブリャコーフ:君に悪いことをしたのなら、すまない。許してくれ。
 ヴォイニーツキイ:そういうのはいい。本題に入ろう……何の用事です?

マリヤ・ワシーリエヴナ入場

 セレブリャコーフ:さあママンも来た。始めましょう、皆さん。

 セレブリャコーフ:私が皆さんをここにお呼びしたのは、この町に検察官が来たことをお知らせするためですぞ。なんて冗談はさておいて。真面目な話です。皆さんに集まってもらったのは、あなた方の助けとアドバイスを頂戴するためで、常日頃の皆さんのご厚意を知る身としては、それが得られると期待しております。私は学者で本の世界の人間ですから、いつも実生活とは無縁でした。そうしたことに精通した人たちのご指導無しではどうにもならないので、イワン・ペトローヴィチ、君にお願いしたい、イリヤ・イリーイチ、あなたにも、ママン、あなたにも……問題は「すべてのものを待つのはただ一つの闇」、つまり私たちはみんな神の元に召されるということです。私は年寄りで病人ですから、家族にかかわる範囲で自分の財産を整理するちょうどよいタイミングだという結論に至りました。私の人生はもう終わりで、自分自身についての考えはありませんが、私には若い妻と結婚前の娘がいます。

セレブリャコーフ:田舎で生活し続けるのは私には不可能です。私たちは田舎向きには作られていません。町で暮らそうにも、私たちがこの領地から受け取る収入では、それもまた不可能です。仮に森を売るとしても、それは非常事態に取る手段で、毎年使えるわけではありません。そこで私たちには継続的で、多少なりとも一定の収入を得る手段を見つける必要があります。そうした手段を私は一つ思いついたので、それを皆さんに提案させていただく次第です。詳細は省いて、全体をかいつまんで話しましょう。私たちの領地による収入の平均は2%以上にはなりません。そこでここを売却するよう提案します。その売却で手に入ったお金を有価証券に換えれば、4%から5%の収入になり、さらに私の考えでは数千ルーブルの余りが出て、それでフィンランドにそこそこの別荘を買うこともできるでしょう。
 ヴォイニーツキイ:ちょっと待て……聞き間違いか。今言ったことをもう一度繰り返してくれ。
 セレブリャコーフ:有価証券に換えて、その余ったお金でフィンランドに別荘を買う。
 ヴォイニーツキイ:フィンランドじゃない……もっと別のことだ。
 セレブリャコーフ:領地の売却を提案する。
 ヴォイニーツキイ:そうそれだ。領地を売るか、素晴らしい、豊かなアイデアだ……では、私と年老いた母、そしてこのソーニャにはどこにいけというんだ?
 セレブリャコーフ:そういったことはそのときになって検討しよう。今すぐにしなくてもいい。
 ヴォイニーツキイ:待て。どうやら私にはこれまで常識のかけらも私にはなかったらしい。これまでこの領地はソーニャが所有していると愚かにも思ってきた。死んだ父がこの領地を持参金として妹のために買った。私はこれまで無邪気にも法律をイスラム風(トルコ風と表現されているが、イスラム教では男性に相続の義務があるとコーランに書かれているため、それと比較してこの言葉を使っている)ではなく理解していたから、領地は妹からソーニャに相続したものだと思っていた。
 セレブリャコーフ:そう、領地はソーニャのものだ。誰もそんな議論はしていないだろう? ソーニャの同意がなければ、私も領地を売ることはない。それに私はこのことをソーニャのためを思ってやろうとしているんだ。
 ヴォイニーツキイ:意味がわからん、意味が分からん! それとも私は狂ってしまったのか、それとも……
 マリヤ・ワシーリエヴナ:ジャン、アレクサンドルに逆らわないで。信頼しなさい、この人は何が良くて、何が悪いか私たちよりもよくわかっているんだから。
 ヴォイニーツキイ:いいや、水をくれ。(水を飲む)言いたいこと言え、早く!
 セレブリャコーフ:わからん、どうして興奮しているんだ。私は自分の計画が完璧だとは言ってない。もしみんなが不適当だというなら、こだわるつもりはない。

テレーギン:閣下、私は科学に対して畏敬の念だけでなく、親しみの感情も抱いております。私の兄弟のグルゴーリー・イリーイチの妻の兄弟で、きっとご存じかもしれませんが、コンスタンチン・トロフィーモヴィチ・ラケデモーノフというのが修士号を持って……
 ヴォイニーツキイ:やめろ、ワッフル、大事な話なんだ……ちょっと、後にしろ……(セレブリャコーフに)そうだ、この男に聞いてみろ。この領地はこいつのおじさんから買ったんだ。
 セレブリャコーフ:はあ、なぜ聞くんだ? なんのために?
 ヴォイニーツキイ:この領地は買った当時95000ルーブルだった。父が払ったのは70000だけだったから、25000の借金が残った。みんな聞いてくれ……領地は、熱烈に愛していた妹のために、私が相続を拒否しなければ買えなかった。足りない分は、10年間、私が馬車馬のように働いて全部返済したんだ……
 セレブリャコーフ:こんな話を始めるんじゃなかったな。
 ヴォイニーツキイ:領地が借金もなく、駄目にならないのも私個人の頑張りによるものだ。それをこうやって、年を取ってから首根っこをつかんで追い出そうとするとはね!
 セレブリャコーフ:私には君が何が欲しいのかわからんよ!
 ヴォイニーツキイ:25年この領地を経営して働き、これ以上ない良心的な管理人としてお前に金を送ってきたのに、お前は一度だって感謝をしたことはなかった。若い頃も、今になっても、いつもお前から受け取った給料は年に500ルーブル、なんてはしたがねだ! お前は一度もそこに1ルーブルでさえ増やしてやろうとは思いいたらなかった!
 セレブリャコーフ:イワン・ペトローヴィチ、どうやって私がそれを知るんだ? 私は実生活とは無縁で、何もわからない。君は自分で好きなだけ給料を増やせばよかったんだ。
 ヴォイニーツキイ:どうして懐に入れなかったんだって言うのか? なら懐に入れなかった私をみんなで馬鹿にしないんだ? そうするのが当然だったんだな、そうすれば、いまになって乞食みたいにならずに済んだんだ!
 マリヤ・ワシーリエヴナ:(厳しく)ジャン!
 テレーギン:(動揺して)ワーニャ、ねえ、もういいよ、もう……震えちまって……どうして良い関係にヒビを入れるんだ? (彼にキスをする)もういいよ。
 ヴォイニーツキイ:25年間、私はこの母と、モグラのように四方を壁に囲まれた穴倉に座り通しだった……私と母は考えることも、感じる気持ちもお前一人に捧げてきた。昼からお前やお前の仕事について語り合い、お前を尊敬し、お前の名前を口にするときには畏敬の念さえ抱いた。夜は母と二人で雑誌や本を読むことに費やしたが、今になってみればどれも本当にくだらないものだったよ!
 テレーギン:もういいよ、ワーニャ、もういい……もういいんだ……
 セレブリャコーフ:(激怒して)わからん、どうしてほしいんだ?
 ヴォイニーツキイ:お前は私たちにとって最高水準の存在だった、お前の論文は隅から隅まで味わったものさ……しかし今こそ目が覚めた! 完全に理解できた! お前は芸術について書いてきたが、芸術を何一つ理解しちゃいなかった! 私が愛したお前の仕事は何の価値もなかった! お前は私たちをだまくらかしたんだ!
 セレブリャコーフ:皆さん! この男を静かにさせてくれ、いい加減にしろ! 私は出ていく!
 エレーナ:イワン・ペトローヴィチ、お願いです、黙ってください! 聞こえるでしょう?
 ヴォイニーツキイ:黙りません!(セレブリャコーフの行き先をさえぎって)待て、終わってない! お前は私の人生を台無しにした! 死んだ、死んだも同然だ! お前のせいで私は自分の人生最良の日々を無駄にしてしまったんだ! お前は憎むべき敵だ!
 テレーギン:もう駄目だ……駄目だよ……私は出ていく……(強く動揺して退場)
 セレブリャコーフ:君は私に何をしてほしいんだ? どんな権利があって私にそんな口調で話すんだ? 役立たずが! 領地がお前のものだというなら持って行け、私にはそんなもの必要ない!
 エレーナ:一秒でも早くこんな地獄から抜け出すの!(叫ぶ)これ以上耐えられない!
 ヴォイニーツキイ:人生が台無しだ! 私の才能、知恵、勇気……もし普通に生きていたら、私はショーペンハウアーやドストエフスキーになれたかもしれないのに……なに私は下らないことを言っているんだ! おかしくなっちまった……母さん、絶望したよ! 母さん!
 マリヤ・ワシーリエヴナ:(厳しく)アレクサンドルの言う通りにしなさい。
 ソーニャ:(ばあやの足元にひざまずいて彼女にすがりつく)ばあや! ばあや!
 ヴォイニーツキイ:母さん! 私はどうしたらいいんです! 言わなくても結構! 何をすべきかはわかっています!(セレブリャコーフに)思い知らせてやる!(中央のドアから退場)

マリヤ・ワシーリエヴナが彼のあとについて退場

セレブリャコーフ:皆さん、これはいったいなんだ? いい加減にしろ。あのキチガイを私に近づけないでくれ! あんな男と一つ屋根の下では暮らせん! 私のほとんど隣のここに(真ん中のドアを指し示す)暮らしているんだからな……村か離れにでも引っ越させるか でなければ私がここから引っ越そう。残って同じ家にいるのは無理だ……
 エレーナ:(夫に)今日中にここから出ていきましょう! 一秒でも早く手配しないと。
 セレブリャコーフ:まったく役立たずが!
 ソーニャ:(膝立ちのまま、父の方に向き直る。感情を高ぶらせて涙声で)憐れんであげて、パパ! 私もワーニャおじさんも本当に不幸なの! (絶望に耐えながら)憐れんであげて! パパがもう少し若いとき、ワーニャおじさんとおばあ様は夜通しパパのために本を何冊も翻訳したり、パパの原稿を清書したりしてきたじゃない……夜中まで、毎晩よ! 私とワーニャおじさんは休むことなく働いて、1コペイカでも無駄にするのを恐れながらパパに全部送ってきた……私たちはただでパンを食べてきたわけじゃない! 私が言いたいことはこういうことじゃないけれど、パパは私たちのことを理解するべきよ、パパ。憐れみを持って!
 エレーナ:(動揺しながら夫に)アレクサンドル、どうか、あの人と話し合って……お願い。
 セレブリャコーフ:いいだろう、あの男と話し合うよ……私は別に非難しているわけでも、怒っているわけでもない。ただ、あの男のふるまいがおかしいことは君も同意するだろう。では、行ってこよう。(中央のドアから退場)
 エレーナ:優しく、落ち着かせるようにね……(彼のあとについて退場)
 ソーニャ:(ばあやにすがりついて)ばあや! ばあや!
 マリーナ:いい子ですね、大丈夫。ガチョウがガアガア鳴いただけ、すぐにおさまります……ガアガア鳴いただけ、すぐにおさまりますから……
ソーニャ:ばあや!
 マリーナ:(彼女の頭をなでる)吹雪の中みたいにふるえて! まあ、まあ、かわいそうに(片親がいない子という単語が使われている)、神様のご加護がありますように。菩提樹かキイチゴのお茶を飲めば、震えもどこかへ行ってしまう……嘆かないで、かわいそうに……(中央のドアを見て、怒って)おや、またガチョウたちが。癪に障ること!

舞台裏で銃声、エレーナの叫び声が聞こえる。ソーニャはビクッと震える

 マリーナ:なんなんだい!
 セレブリャコーフ:(恐怖でよろめきながら駆け込んでくる)あいつを取り抑えてくれ! 抑えてくれ! あいつは頭がおかしくなった!

エレーナとヴォイニーツキイがドアのところで揉みあう

 エレーナ:(ワーニャの手からリボルバーを取り上げようとしながら)渡しなさい! 渡しなさいってば!
 ヴォイニーツキイ:はなしてください、エレーヌ! はなして! (振りほどいて、駆け込みセレブリャコーフを見回して探す)どこだ? あそこか! (彼に向って撃つ)バン!

 ヴォイニーツキイ:外れた? またしくじった?!(激怒して)クソッ、クソッ……ちくしょう……(リボルバーを床に投げつけ、力が抜けたようにイスに座る)

セレブリャコーフは茫然自失、エレーナは気分が悪くなり壁に寄りかかる

 エレーナ:私をここから連れ出して! 連れ出して、もう殺して、でも……もうここにはいられない!
 ヴォイニーツキイ:(絶望して)ああ、私はなにをしているんだ! なにを!
 ソーニャ:(静かに)ばあや! ばあや!



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