【翻訳】ワーニャ伯父さん・第2幕(A.チェーホフ)

第二幕

セレブリャコーフの屋敷の食堂。深夜。庭で警備が拍子木を鳴らすのが聞こえる

セレブリャコーフ(開いた窓の前にあるソファに座り、ウトウトしている)とエレーナ(そのすぐそばに座り、同じようにウトウトしている)

 セレブリャコーフ:(目を覚まして)誰だ? ソーニャ、お前か?
 エレーナ:私よ。
 セレブリャコーフ:レーノチカ、君か……ひどい痛みだ!
 エレーナ:ひざ掛けが床に落ちて。(両足をくるんでやる)窓を閉じるわね、アレクサンドル。
 セレブリャコーフ:いや、暑苦しいよ……いま居眠りをしていて、左足が他人のものになったような夢を見たが、ひどい痛みで目が覚めた。これは痛風じゃないな、きっとリューマチだ。今、何時になった?
 エレーナ:12時20分。

 セレブリャコーフ:朝になったら図書室にバーチシコフを探しに行ってくれ。
 エレーナ:はい?
 セレブリャコーフ:朝になったらバーチシコフを探しに行ってくれ。あれはここにあった記憶がある。しかし、いったい、なんでこんなに息苦しいんだ?
 エレーナ:疲れたのよ、二晩も寝ないで。
 セレブリャコーフ:ツルゲーネフは痛風から狭心症になったそうだ。私もそうなりそうで恐ろしいよ。年を取るのはいまいましく、目をそむけたくなる。くそう。年を取って自分が嫌になった。まわりのみんなもきっと私を見るのは嫌なんだろうな。
 エレーナ:まるで私たちみんなのせいで自分が年をとったような調子で話すのね。
 セレブリャコーフ:私が一番いやなのは君だろうな。

エレーナは彼から離れ、少し離れて座る

セレブリャコーフ:もちろん、君が正しい。ばかじゃないからわかるよ。君は若くて健康で美しく人生を楽しみたいのに、私はじじいで死体も同然だ。ええ? わからないとでも? もちろんこれまで生きていたのが馬鹿だったんだ。だがちょっと待ってくれれば、みんな解放されるさ。引きのばすのもそう長くはない。
 エレーナ:疲れてるの……お願いだから黙って。
 セレブリャコーフ:私のせいでみんな疲れ果て、退屈し、青春を台無しにしたのに、私一人だけが人生を楽しみ満ち足りているということらしい。ああそうか、そうだろうよ!
 エレーナ:黙って! うんざりよ!
 セレブリャコーフ:私はみんなうんざりさせている。そうだとも。
 エレーナ:(涙声で)耐えられない! 私にどうしてほしいのかはっきり言って。
 セレブリャコーフ:別に何も。
 エレーナ:なら黙って、お願い。
 セレブリャコーフ:おかしな話だ。イワン・ペトローヴィチやあのもうろく婆さんのマリヤ・ワシーリエヴナが長話をしても何でもない、みんな聞いている。それなのに、私が一言でも言おうものなら、みんな我が身を不幸だと感じる。声を聴くのさえ嫌そうだ。まあ、仮に私が嫌なやつで、わがままで暴君だったとしよう。しかし年を取って多少のわがままを言う権利もないのか? まさか私にはその資格もないのか? 平穏な晩年を過ごしたり、人々に配慮してもらう権利も私にはないのか、聞きたいよ。
 エレーナ:あなたの権利に異議を唱える人なんて誰もいません。

風で窓が音を立てて閉まる

 エレーナ:風が強くなった、窓を閉めますね。(窓を閉じる)雨になりそう。誰もあなたの権利に異議を唱えたりしませんよ。

間、庭で警備が拍子木を鳴らし、歌を歌っている

セレブリャコーフ:生涯、科学のために働き、自分の書斎や研究室、尊敬できる同僚に慣れ親しんできたのに、突然にわけもなくこんな霊安室に放り込まれて、毎日あの馬鹿な連中と顔をあわせてどうしようもない話を聞かされる……私は人生を楽しみたいし、成功、名声、歓声を愛しているのに、ここはまるで流刑地だ。分刻みで過去を懐かしみ、他人の成功を目で追い、死ぬのを怖がっている……無理だ、これ以上! ここでは私が年を取ることすら許そうとしない!
 エレーナ:もう少しの辛抱、5,6年もすれば私もおばあさんになるから。

ソーニャ入場

 ソーニャ:パパ、自分でアーストロフ先生を呼ぶように言いつけておいて、先生が来たら診察を断るなんて……失礼でしょう。無駄に人を心配させて……
 セレブリャコーフ:お前のアーストロフが何になる? あの男の医学の理解のレベルなんて、私の天文学の理解と同レベルだ。
 ソーニャ:パパの痛風のために医学部を丸ごと呼べるわけないでしょう。
 セレブリャコーフ:あんな気が狂ったやつと話したくもない。
 ソーニャ:どうぞお好きなように。(座る)私にはどうだっていい。
 セレブリャコーフ:今何時だ?
 エレーナ:12時過ぎ。
 セレブリャコーフ:暑いな……ソーニャ、テーブルから薬を取ってくれ。
 ソーニャ:はい。(薬を手渡す)
 セレブリャコーフ:ああ、これじゃない! 何にも頼めやしない!
 ソーニャ:お願いだから気まぐれはやめて。そういうのが好きな人もいるでしょうけど、私は願い下げです! そういうのは大嫌い。明日は朝早く起きて草刈りをしなくちゃいけないから時間もないの。

ガウンを着てロウソクを持ったワーニャ入場

ヴォイニーツキイ:外は嵐になりそうだ。

雷が光る

 ヴォイニーツキイ:そらきた! エレーヌ(フランス風の発音)、ソーニャ、寝ていいよ。私が交代に来たから。
 セレブリャコーフ:(びっくりして)だめだ、だめだ! この男と一緒にしないでくれ! おしゃべりにはうんざりだ。
 ヴォイニーツキイ:しかし二人をゆっくりさせないと! 二人は昨晩も寝てない。
 セレブリャコーフ:二人は休んでいい、ただ君も出てってくれ。お願いだ。頼むよ。私たちの古い友情にかけて、嫌とは言わせないぞ。話すのはあとにしよう。
 ヴォイニーツキイ:(薄笑いをうかべて)私たちの古い友情か……古いね……
 ソーニャ:黙って、ワーニャおじさん。
 セレブリャコーフ:(妻に)ねえお前、この男と一緒にはしないでくれ! おしゃべりはうんざりだ。
 ヴォイニーツキイ:こうなると笑えてくるな。

ロウソクを持ったマリーナが入場

 ソーニャ:横になって、ばあや。もう遅いから。
 マリーナ:サモワールをテーブルから片づけてないのに、横になれるもんですか。
 セレブリャコーフ:みんな寝られずにへとへとなのに、私だけが至福のときか。
 マリーナ:(セレブリャコーフに近づいて優しく)どうしました、ねえ? 痛いですか? 私の足もズキズキと痛んで、それは痛んでね。(ひざ掛けを直してやる)昔からの病気で。死んだソーニャの母親のヴェーラ・ペトローヴナも、あの頃、こうやって夜中に寝ずに、尽くしておられた……あの人はあなたが大好きでしたから……

マリーナ:年寄りは子供と一緒で気の毒に思って欲しがるけれど、年寄りを気の毒だと思う人なんていやしませんね。(セレブリャコーフの肩にキスをする)ベッドにいきましょう、お前さん。いきましょう。菩提樹のお茶を入れて、あんよを温めてあげましょう……神様にお願いしてね……
 セレブリャコーフ:(感極まって)いこう、ばあや。
 マリーナ:私の足もズキズキと痛んで、それは痛んでね。(ソーニャと共に教授を連れていく)あの頃、ヴェーラ・ペトローヴナはいつも尽くして……いつも泣いて……ソーニャはまだ小さくておバカさんで……さあさ、行きましょう……

セレブリャコーフ、ソーニャ、マリーナ退場

エレーナ:あの人にはうんざり。立っているのがやっと。
 ヴォイニーツキイ:あなたはあの男に、私は自分にうんざりか。もう三日三晩寝ていない。
 エレーナ:この家はうまくいかないことばかりね。あなたのお母さんはブックレットと教授以外のあらゆるものを憎んでいるし、教授はイライラして私を疑って、あなたにはおびえている。ソーニャは父親にも私にも腹を立てて、もう2週間も私と口をきかない。あなたはあなたで夫を憎み、みんなの前で母親に向かって軽蔑の言葉を口にする。私もイライラして今日は何十回も泣きそうになった……この家はうまくいかないことばかり。
 ヴォイニーツキイ:やめましょう哲学は!
 エレーナ:イワン・ペトローヴィチ、あなたも教育ある賢い人なら、お判りでしょう。世界が滅びるのは略奪や火の手によってじゃなく、憎しみや敵意、こうしたちっぽけな揉め事からなんでしょうね……あなたのやるべきことは愚痴をこぼすことではなく、みんなを仲直りさせることでしょう。
 ヴォイニーツキイ:まずは私に自分と仲直りさせてください! 愛しいあなた……(彼女の手に身をかがめる)
 エレーナ:よして!(手を引っこめる)あっちに行って!
 ヴォイニーツキイ:今降っている雨で、自然ではみんなが息を吹き返し、軽やかに息づいている。でも私だけは雷雨だって息を吹き返したりはしない。自分の人生は失われてもう取り返しがつかないという思いが、昼も夜もまるで悪霊(ドモヴォイ)のようにとりついて息が詰まりそうになる。くだらないことに使われて、愚かにも過去は失われ、今になってそのばかばかしさに恐ろしくなる。これこそあなたに捧げる私の人生と愛情です。これをどこにしまっておけばいいのか、これをどうしたらいいのか? 私の気持ちは穴の中を照らす太陽の光のようにむなしく消え失せ、そして私自身も消えるでしょう……
 エレーナ:あなたが愛情について語ると、私はなんだか力が抜けて、何を言えばいいのか分からなくなります。ごめんなさい、あなたに言えることはありません。(行こうとする)おやすみなさい。
 ヴォイニーツキイ:(彼女の行く手をさえぎって)私の近くで、同じ屋根の下で別の、あなたの人生が消えようとしている! そのことにどれほど私が苦しんでいるか分かってもらえたら。何を待っているんです? どんな憎たらしい哲学があなたの邪魔をしているんです? わかってください、ねえ、わかって……
 エレーナ:(注意深く彼を見つめて)イワン・ペトローヴィチ、酔ってますね!
 ヴォイニーツキイ:そうかもしれない……そう……
 エレーナ:ドクトルはどこ?
 ヴォイニーツキイ:あいつはあそこ……私のところに泊まっています。そうかもしれない……なんだってそうかもしれません!
 エレーナ:今日も飲みましたね? どうしてそんなことを?
 ヴォイニーツキイ:ともあれ、生活っぽくはなりますからね……その邪魔はしないでください、エレーヌ。
 エレーナ:前には一滴もお酒を飲まず、こんなにおしゃべりすることもなかったのに……おやすみになって。あなたといても退屈です。
 ヴォイニーツキイ:(彼女の手に身をかがめて)愛しいあなた……麗しいひと……
 エレーナ:(イラっとして)もうかまわないで! まったく嫌になる!(退場)
 ヴォイニーツキイ:(一人で)行ってしまった……

 ヴォイニーツキイ:10年前、死んだ妹のところで彼女に会った。あの頃、彼女は17で、私は37。なぜあのとき彼女に恋をして、プロポーズをしなかったのだろう? 可能性はあったはずなのに! そうしたら今頃彼女は私の妻だった……そう……ちょうど私たち二人は雷雨で目を覚まし、彼女は雷鳴にびっくりする。そこで私は彼女を抱きしめこうささやく、「怖くないよ、僕がここにいるから」。ああ素晴らしい、いいじゃないか、笑えてさえくる……しかし、ちくしょう、頭がこんがらがってきたぞ。なんだって私は年を取ったんだ? なんだって彼女は私を理解してくれないんだ? 彼女のレトリック、ふぬけたモラル、世界の破滅についてのくだらないふぬけた考え、そのどれもが私は心底憎らしい。

ヴォイニーツキイ:ああ、騙された! あんな教授、哀れな痛風野郎を崇め奉り、あいつのために馬車馬のように働いた! 私とソーニャはこの領地を最後の一滴まで絞りつくして、まるで商人(クラーク)のように植物油やエンドウ豆、チーズを取引し、小銭までかき集め、1000ルーブルをあの男に送るために自分たちはろくに食べなかった。あの男も、あの男の科学も私の誇りだったし、そのために生きてきたし、あの男は私の生きがいだった! あの男が書くものも語るものもすべてが天才的に私には思えた……でも、今は? あの男が引退した今になって人生の総決算が明らかになった。引退後には論文の1ページも残らず、完全に無名で、何者でもない! シャボン玉だ! 騙された……そう、愚かにも騙されたんだ……

ベストもネクタイも身に着けずフロックコート姿のアーストロフが入場。ほろよい加減。彼の後についてギターを持ったテレーギン入場

 アーストロフ:弾けよ!
 テレーギン:みんな寝てるよ!
 アーストロフ:弾けよ!

テレーギン、静かに弾く

 アーストロフ:(ヴォイニーツキイに)君一人か? ご婦人方はいない?(両手を腰に当て背筋をまっすぐにし、静かに歌う)「小屋よ踊れ、ペチカ(暖炉の床暖房付きベッド)よ踊れ、主人の寝床はどこにもない……」。雷に起こされたよ。ものすごい雨だ。今、何時だい?
 ヴォイニーツキイ:知らんよ。
 アーストロフ:エレーナの声が聞こえたような気がしたんだが。
 ヴォイニーツキイ:さっきまで彼女はここにいたよ。
 アーストロフ:麗しい女性だ。(テーブルの上にあるガラス瓶たちを見まわす)薬か。ここにない処方はないくらいだな! ハリコフのに、モスクワの、トゥーラ……あらゆる町があの痛風にうんざりだね。あの男は病気なのか、それとも仮病なのか?
 ヴォイニーツキイ:病気だよ。

 アーストロフ:今日はどうしてそんなに悲しそうなんだ? 教授がかわいそうになったとか?
 ヴォイニーツキイ:かまわないでくれ。
 アーストロフ:では教授夫人に恋をしたとか?
 ヴォイニーツキイ:彼女は友人だよ。
 アーストロフ:もう?
 ヴォイニーツキイ:その「もう」ってどういう意味だよ?
 アーストロフ:女性が男性の友人になれるのは、こんな順番だけさ。まずは知り合い、それから恋人、最後にはもう友人だ。
 ヴォイニーツキイ:俗物のやる哲学だ。
 アーストロフ:そうかい? そう……俗物になりかけてるのは認めないといけないな。見ての通り、私も酔っぱらっている。いつも、月に一度はこんなふうに飲み過ぎてしまう。こうなったときは限界まで無礼で図々しくなってね。なんだってやってのけるぞ! 一番難しい手術だって引き受けて、鮮やかにこなしてみせるし、壮大な未来の計画も思い描ける。こんなときは自分をもう変人だなんて思いもせずに、人類に莫大な貢献を……貢献していると感じるよ! そして、こんなときには独自の哲学体系でもって、君たちみんなが虫けらか……細菌にでも見えてくる。(テレーギンに)ワッフル、弾けよ!
 テレーギン:ねえ兄弟、喜んで弾きたいところだけど、わかるだろう、家じゅうおやすみなんだよ!
 アーストロフ:弾けよ!

テレーギン静かに弾く

 アーストロフ:飲みなおさないとな。行こう、まだコニャックが残ってたはずだ。それから夜が明けたら家に来いよ。きゅるだろう? 私の助手は「来る」って一度も言ったことがなくて、「きゅる」っていうんだよ。とんだペテン野郎さ。さあ、きゅるだろう? (入ってくるソーニャに気づいて)失礼しました、ネクタイもせずに。(急いで退場、テレーギンも付いていく)
ソーニャ:ワーニャおじさん、またドクトルと飲んだの? 仲が良いこと。でも、あの人はいつもだけど、おじさんはどうして? 年甲斐もなく。
 ヴォイニーツキイ:年は関係ない。現実世界に人生がないなら、幻のなかに生きるのさ。どっちにしても無いよりましだ。
 ソーニャ:干し草の刈り取りが済んだと思ったら、毎日雨で、みんな腐りかけているのに、幻にご執心なのね。おじさんが農場の管理をすっかりやめて……私一人で働いていて、力尽きちゃった……(驚いて)おじさん、泣いてるの!
 ヴォイニーツキイ:泣いてる? そんなはずない……ばかな……お前は今亡くなった母さんみたいな目で私を見ていたよ。かわいい子だ……(彼女の腕や顔にむさぼるようにキスをする)妹よ……かわいい妹……あの子はいまどこだ? あの子がわかってくれたら!……ああ、あの子にわかってもらえたらなあ!
 ソーニャ:なに? おじさんなにをわかるの?
 ヴォイニーツキイ:苦しい……気分が悪い……なんでもない……あとで……なんでもない……行くよ……(退場)
 ソーニャ:(ドアをノックして)ミハイル・リヴォーヴィチ! おやすみ前ですか? 少しお時間ありますか!
 アーストロフ:(ドア越しに)今すぐ!(少ししてから入場。すでにベストとネクタイを身に着けている)何の御用でしょう?
 ソーニャ:ご自分で飲まれるのは構いませんし、そのことに異議も申しませんが、お願いですから、伯父には飲ませないでください。あの人には毒です。
 アーストロフ:いいでしょう。私たちはこれ以上飲みません。

アーストロフ:今から帰ります。よし、決定です。馬の準備をしているあいだに明るくなります。
 ソーニャ:雨が降っていますから。朝までお待ちになっても。
 アーストロフ:雷雲は通り過ぎましたし、少し通り過ぎるくらいでしょう。行きます。それからお願いがあります。これ以上私をあなたのお父さんのところに呼ばないでください。私が痛風だと言えば、リューマチだと言う。横になってくれと頼めば、腰かける。今日なんて一切口をきこうともしない。
 ソーニャ:父は甘やかされて育ったんです。(食器戸棚の中を探す)何か召しあがりませんか?
 アーストロフ:いただきましょう。
 ソーニャ:夜につまみ食いするのが好きなんです。たしか戸棚に何か。父はよく言われている通り女性に対して上手くやってきたので、女たちに甘やかされてきたんです。はい、チーズをどうぞ。

二人は食器戸棚のところに立ってチーズを食べる

 アーストロフ:今日は飲んだだけで、何も食べてなかった。あなたのお父さんは気難しい性格ですね。(戸棚からボトルを取り出す)いいですか? (グラスに注ぐ)ここには誰もいないのではっきり申し上げましょう。いいですか、きっと、この家ではひと月も暮らせませんよ。この空気の中で窒息してしまう……あなたのお父さんは自分の痛風と本以外頭にない、ワーニャおじさんはふさぎ込んで、あなたのおばあさんも、あなたの義理のお母さんだって……
 ソーニャ:母が?
 アーストロフ:人はすべてが美しくあるべきです。その顔も、着こなしも、心も、考えも。あの人は美しい。そこに議論の余地はない、しかし……彼女はただ食べて、寝て、散歩をして、その美しさで私たち皆を惑わせる。それ以上の何者でもない。あの人には果たすべき義務もなく、他の人たちが彼女のために働いている……そうでしょう? 目的のない生活が清らかな生活のはずがない。

アーストロフ:とはいえ、多少厳しすぎるかもしれませんね。私もワーニャおじさん同様、生活に満足していないから、二人とも愚痴っぽくなってしまった。
 ソーニャ:生活にご不満ですか?
アーストロフ:全体的に見れば生活は好きですが、地方のロシア的で俗物的な生活は耐えられませんし、心の底から軽蔑しています。と言っても私自身の個人的生活にも、いやはや、良いことなんてまったくない。森の暗闇のなかを歩いているとき、もし遠くに明かりが見えたのなら、疲れだって暗闇だって顔にチクチク刺さる枝だって気にならなくなるでしょうが……ご存じの通り、私はこの地方の誰よりも働いているのに、運命は私に試練を与え続け、時には耐えられないほど苦しむこともあります。しかし、私には遠くに見える明かりがない。私はもう自分に期待もしていませんし、人々も愛していません……長い間、誰も愛してこなかった。
 ソーニャ:誰も?
 アーストロフ:そう誰も。優しい気持ちに多少なれるのは、古くからの付き合いの、こちらのばあやにだけですね。百姓たちはひどく単調で、未成熟で、暮らしは不潔。インテリたちとも仲良くできない。疲れるだけです。彼らは私たちの良い知人ですが、考えも感覚も狭く、自分の鼻より先は見ようともしない。単純で無意味な馬鹿です。では、彼らより多少頭が良くて広い視野のある人たちはというと、ヒステリックで分析や反射作用とやらにとりつかれている……この連中は文句を並べ、相手を憎み、病的なほどの悪口を言って、人の脇によって来ては横目でこっちを見て「おや、こいつはサイコパスだ!」とか「こいつは虚言壁だ!」と決めつけてくる。私のおでこにどんなラベルを貼ったらいいかわからないときには、「こいつはおかしな奴だ、変人だ!」と言ってくる。私が森を愛していることはおかしい、私が肉を食べないのもおかしい、とね。自然や人々に対する直接的で純粋で自由な関係なんてものはもうありません……ない、ないんです!(飲み干そうとする)
 ソーニャ:(それをさえぎって)いけません、お願いです、これ以上飲まないでください。
 アーストロフ:なぜです?
 ソーニャ:ふさわしくないからです! あなたは上品で優しい声をお持ちです……私が知っている誰よりも、あなたが美しいことを私はわかっています。どうしてあなたはお酒を飲んだり賭け事をしたりするような普通の人に近づきたがるんです? そんなことはしないでください、お願いです! あなたはいつも人々は作り出さずに天から与えられたものを壊してばかりいるって。なら、どうしてご自分を壊そうとなさるんです? だめ、だめです、どうかお願いですから。
 アーストロフ:(彼女に手を差し伸べて)これ以上飲みません。
 ソーニャ:誓いますか?
 アーストロフ:誓います。
 ソーニャ:(強く手を握って)感謝します!
 アーストロフ:おしまい! 酔いも醒めました。見ての通り、もう完全なしらふ、死ぬまでこのまま。(時計を見る)さて、続けましょう。私は自分の時間はもう過ぎ去り、手遅れだと言いました……年を取って、働き過ぎて、つまらぬ人間になり、あらゆる感情もふぬけてしまって、どうやらもう誰かに愛着を覚えることができなくなったらしい。私は誰も愛していないし……もう愛することもないでしょう。まだ私の心をつかむものがあるとすれば、それは美しさです。美しさには無関心でいられない。もしあのエレーナ・アンドレーエヴナが望むようなことがあったのなら、きっと私は一日で夢中になってしまうことでしょう。でもそれは愛情でも、愛着でもない……(片方の目を手で覆って身震いする)
 ソーニャ:どうしました?
 アーストロフ:そう……復活祭の前の週に患者がクロロホルムで死んだ。
 ソーニャ:それはもう忘れてもいい頃です。

ソーニャ:教えてください、ミハイル・リヴォーヴィチ……もし、私に友達か妹がいて、その人が……そう、あなたを愛していると知ったのなら、どんなふうに受け止めなさいますか?
 アーストロフ:(肩をすくめて)わかりません……多分、どうもしません。その人を愛することは私にはできない、私の心はそれ以外のもので一杯だということを理解してもらうでしょうね……(手を握る)客間を通っていきます、お許しください、あなたのおじさんに捕まったら大変ですから。(退場)
ソーニャ:(一人で)あの人は何も言ってくれなかった……私にはあの人の魂も心もまだ見えないけれど、どうしてこんなに幸せな気持ちなんだろう? (幸せを感じて笑う)私、「あなたは上品で、気品があって、優しい声をお持ちです」なんて言っちゃった……的外れじゃなかったかな? あの人の声が響いて、なでてくれる……空気の中にもあの人を感じるの。でも、私の妹って言ったとき、あの人は気づかなかった……(手を揉みしだきながら)ああ、ブスってなんて辛いんだろう! 辛すぎる! 私は自分がブスだってわかってる……わかってる……先週の日曜日、教会から出てきたら、女の人が私のことをこう言っているのが聞こえた。「あの子は優しくて、気持ちのいい子だけど、あんなにブスなのが残念ね」って。ブスか……

エレーナ入場

 エレーナ:(窓を開ける)雷は行ってしまった。ああ、良い空気!

エレーナ:ドクトルは?
 ソーニャ:帰りました。

 エレーナ:ソフィ!
 ソーニャ:なに?
 エレーナ:いつまであなたは私に腹を立てるつもりなの? お互いに悪いことなんてしていないのに。どうして私たちが敵同士になる必要があるの? もう充分でしょう……
 ソーニャ:私もそうしたかった……(彼女を抱きしめる)怒るのはもうたくさん。
 エレーナ:ああ、良かった。

二人とも興奮して盛り上がる

 ソーニャ:パパは寝たの?
 エレーナ:いいえ、客間に座ってる……私たち何週間も話さなかった、理由もわからないまま……(食器戸棚が開いているのに気が付いて)これなに?
 ソーニャ:ミハイル・リヴォーヴィチが夜食を召しあがったの。
 エレーナ:ワインもある……友情の乾杯(ブルーデルシャフト)をしましょう。
 ソーニャ:そうしましょう。
 エレーナ:同じグラスから……(ワインを注ぐ)こっちの方が良い。さあ、対等の関係ね。
 ソーニャ:ええ。

乾杯し、キスをし合う

 ソーニャ:長いあいだ仲直りしたかったけど、なんだか恥ずかしくて……(泣く)
 エレーナ:どうして泣くの?
 ソーニャ:別に、私こうなの。
 エレーナ:ああ、いいの、いいの……(泣く)馬鹿みたい、私も泣いてる……

 エレーナ:私があなたのお父さんと計算ずくで結婚したと思って怒っていたんでしょう……もし誓いを信じてもらえるなら、誓って私はあの人に恋をして結婚したの。学者で有名な人だったから私は夢中になった。その恋は本物じゃなくて偽物だったけど、その時は本物だと思ってた。私が悪いわけじゃない。でも、あなたは私たちの結婚式の当日から、その賢そうで疑り深い目で私を苦しめるのをやめようとしなかった。
 ソーニャ:もう、休戦、休戦でしょ! 忘れましょう。
 エレーナ:あんな目を人に向けてはだめ、あなたにはふさわしくない。どんな人でも信じて、でないと生きてはいけない。

 ソーニャ:友人として正直に答えて……あなた幸せ?
 エレーナ:いいえ。
 ソーニャ:そうよね。もう一つ、隠さずに教えて、若い夫の方が良かったと思う?
 エレーナ:まったくなんて子かしら。もちろん、そうよ!(笑う)さあ、もっと聞いて、なんでも……
 ソーニャ:ドクトルを良い人だと思う?
 エレーナ:ええ、とても。
 ソーニャ:(笑う)私、馬鹿な顔をしてるでしょう?……あの人が帰ったのに、私にはあの人の声や足音が聞こえて、あの暗い窓を見ただけであの人の顔が浮かんでくるの。もっと言わせて……でも大きな声では言えない、恥ずかしいもの。私の部屋に行ってそこで話しましょう。私を馬鹿だと思う? そうよね……あの人について私になんでもいいから教えて……
 エレーナ:何を?
 ソーニャ:あの人は頭が良くて……なんでもやれて、なんでもできる……治療もして、木も植えられて……
 エレーナ:森とか医学とかの話じゃない……ねえ、わかる、あれが才能よ! 才能ってどういうことかわかるかしら? 勇敢で自由な思考、活動範囲の広さ……木を植えながら、その木が1000年後にどうなるのかを思い浮かべて、もう人類の幸福を感じ取っている。そんな人は貴重だから、愛してあげないとね……あの人はお酒を飲んで乱暴になったりもするけれど、それがなに? 才能のある人はこのロシアで純粋ではいられない。ドクトルの人生がどんなふうか考えてみて! 歩くのも難しいぬかるんだ道、厳しい寒さ、吹雪、果てしない道のり、人々は馬鹿で野蛮で、周りには貧しさと病気ばかり、そんな状況で来る日も来る日も働いて闘っている人が、40になるまで純粋で、お酒に手を出さずにいられるなんて難しいもの……(ソーニャにキスをして)私、心の底からあなたの幸せになってほしいの……(立ち上がる)私は、うんざりするような脇役ね……音楽の世界でも、夫の家でも、どんなロマンスでも、結局どこでだってただの脇役でしかなかった。ソーニャ、実際、考えれば考えるほど私って不幸なの、不幸な女なのよ! (舞台上を興奮して歩き回る)この世に私の幸せなんてない。ないの! なに笑ってるの? 
 ソーニャ:(笑って、顔を覆う)私とても幸せ……幸せなの!
 エレーナ:ピアノが弾きたくなった……今、なんでもいいから弾いてみたい。
 ソーニャ:弾いて。(彼女を抱きしめる)眠れないもの……さあ弾いて!
 エレーナ:ええ、今すぐ。あなたのお父さん起きてるかしら。あの人具合が悪いと音楽にイライラするの。行って聞いてきて。大丈夫だったら弾きましょう。お願い。
 ソーニャ:今すぐ。(退場)

庭で警備が拍子木を叩いている

 エレーナ:ずっと弾かなかった。弾いて泣こう、泣こう馬鹿みたいに。(窓に向かって)エフィーム、叩いてるのはお前?
 警備の声:はい!
 エレーナ:叩かないで、旦那様の具合が悪いから。

 警備の声:今、向こうへ! (口笛を吹く)おい、ジューチカ、マーリチク! ジューチカ!

ソーニャ:(戻ってきて)駄目!



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