(うときゅういっきの「これから」 結局は)加筆板

2021/11/12
(うときゅういっきの「これから」 結局は)加筆板
「何のかんの、滑っただの転んだのと言っても、結局われわれミンナが探していたのは、何のことはない「人情」だったのかもね」
いきなり冒頭から「見識を疑われること覚悟」で大胆にも、結論じみたことを書いてしまいました。
以前にもどこかの記事で書きましたが
「義理と人情、秤にかけりゃ、義理が重たい世の中だ」
という文言。
これを短く訳せば要するに「義理は邪魔だ」と言うことでしょう。
となれば残るのは「人情」
これが一つ。
二つ目は外国人従業員たちと一緒にお店で働いてきて既に3年と半年。
文化習慣は異なる。言葉もろくすっぽ通じない。そんな中で通じたのは、結局は「人情」
そして三番目は、同じ同朋人の中で、年齢、性別、老若男女、出自、階位を問わずに通じたのも、やはり「人情」
だのに、この古色蒼然たる言葉、いにしえの、戦前の、田舎で大事にされてきたという理由だけで、この言葉を口にするのを邪魔しているのは何かと申せば
「現代の」「インテリ(ジェンス)」が強いる「かっこよさ」の姿勢維持(又は誇示)
が邪魔をしているのではないのかな?とも思います。
裏を返せば「人情」などと口にしようものなら「ドン臭い」「知性ない」「ドン引き」な奴と蔑まれる事への恐怖。
しかしもし、人の耳目に重きを置きすぎる事から生まれる、それら見てくれや恐怖心をかなぐり捨てて自分自身に素直になり、本音本心に立ち返ることができたなら、
「ひょっとして真っ先に飛びつきたくなる」のが人からの、この「人情(味)」だったり、して…
既に答えは出ているのに、その答えを認めたがらないものだから、それだけは避けようと、取るまいと」「外し」」「迂回し」「見て見ぬふり」をするものだから、在りもしないその代替物を探す羽目に陥って「捜し物が見つからない」「欲しいものが見つからない」と騒いでいるだけのような気もしております。
独断と偏見に満ちた物言いですが、自分が2008年以来13年の間にわたり「極力色眼鏡をかけないように気をつけながら」観察してきたところによれば、あながち外れているとも言えない気が致しております。
余談)
「人情」をかなり強引に英訳するとすれば「heart-touching one」が妥当かな?と思っております。
逆和訳すれば「こころの琴線に触れるもの」とでも申しましょうか。

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