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(うとQ世話し イメトレ)

2022/7/14
(うとQ世話し イメトレ)
前の記事で英語を話せる様になるには
「中学三年の英語リーダーの丸暗記が結構有効だった」
というお話を致しましたが今思い返すとそれに続いて無意識にやっていた事があった事に気づきました。
それは今で言う処の「イメトレ(image training)」
考えてみれば会社定年後に始めた英語で、3年間で喋れる様になった様に思っていましたが、今の我が国の英語教育制度下でそんな奇跡のありよう筈はなく、振り返ってみれば相当の長きに渡って無意識ながらトレーニングをしてきた事に気づいた訳です。
それを「定年後3年で英語ができるようになる」と書いたら確かにカッコはよく宣伝効果も高いのでしょうが、実態とは違ってミスリードになりますので止める事に致しました。
その代わり本人は無意識ではあったものの実際にはかなりの長きに渡って行っていたトレーニングのお話をさせて戴こうかと思います。
それでは。
今で言う処のイメトレ。
では当時は何だったのかと申せば、
頭の中で外国人と話している場面を想定した自作自演のコントの連続シリーズがそれでした。
それにはまず、こういいたい場合は何ていうのだろう?と考える処から始まりました。
或いはこう訊かれたら何と答えればいいんだろう?でもありました。
そしてその前にあったのが三つの疑問詞、即ち
Why? What? How? なんでそうなんねぇや?なにそれ、なんのこっちゃねぇん?どうすりゃえぇのよ?
でした。
つまりそれ等の疑問や想定質問を元に答えを考え、それを自作英語にして自作自演会話をしていた訳です。当然頭の中だけで。
想定外国人は当然ながら若い女性が多かったです。ニキビ華やかなりし青春時代ですから、勿論かなりキワドイシーンも想定致す事も多々ありましたっけ。
基。
喋りについてはその様な形で気が付くと日々事ある毎に無意識でイメトレを繰り返しておりました。
なので、強要された感や義務感が全くなかったので少しも苦痛ではなかったのです。
又書く事につきましては中学生時代から外国にかなりの興味を持っておりましたので高校受験に受かると直ぐにインターネットのない当時、お金の余りかからない唯一の外国との交流手段である「Pen-Pal (海外文通)」を始めました。
つまり当てずっぽぅながら実際に自分で英語を文章化した訳です。
その時分かったのは当時guidebookに海外文通の切出しの例文として書かれていた
My name is ●●●.
I`m Japanese student.
My hobby is ▲▲▲.
What`s your hobby?
等というものが全く役立たぬどころか今でいうイキなり相手のprivacyに土足で踏込む様な質問であった事に気づき
「ヤバっ」と切出しを180°砕けたものに変えました。
今では言わずもがなですが、当時としても上述の質問は相手に警戒心と不躾に対する不快感しか抱かせなかったからです。
Pen-Palは仕事でたまに英文を書く事が生じたので社会人になると同時に止めましたが、自作自演のコントは定年退職まで気が付くと毎日日課の様に延々と続けておりました。
その間凡そ45 年でした。

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