告白

一昔前は、鬱病への理解が本当に乏しかったと思う。

実際私は、自分は鬱だと認め、職場の上司に告白すると、

「なにそれ? 仕事できない言い訳?」

そんな反応。

「大丈夫だって! 笑ってりゃ良いんだよ!」
「まぁ、心の風邪って言うし、休めば?」
「あ~わかるぅ! 俺もそうだった(哀れみの目)」

殺意を覚えました(笑)

無理もない話です。
誰一人、鬱にかかったことなんてないんですから。

いや、中にはかかっていたであろう人もいました。空気が同じというか…。

その人たちは一様に、目を伏せて私と関わり合いにはならないようにしていた気もします。

なぜなら、偏見の目で見られたり、哀れみを向けられたり、同情されたり、優しくされたり相談に乗ってこられたり、構われたり構われなかったり…。

これらは正解であり不正解。

個人的には、全部不正解でしたが。
今思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ただわかったことが1つ。

鬱を理解してもらおうとは
思わなくて良い

告白すると、色々言われます。
正直うざかったです。

すべての言葉が、自分への存在否定に聞こえたりします。

すべての優しさや愛情を、理解できずに否定してしまいます。

それでも私は、一番言うのが怖かった両親に、言いました。

自分は鬱であること。

鬱になったきっかけのこと。

この世とおさらばしようとしたこと。

猫が、救ってくれたこと。

バイセクシャルであること。

どう生きて良いか、わからないこと。

この世に二人だけ、頃したい人間がいること…。(今は、収まってます)


色々吐きました。
震えながら言いました。
もっとなにか話していた気もしますが、所々記憶が飛んでいます。
涙は出ませんでしたが、全身が熱いような、鳥肌が立つような、不思議な感覚でした。

罪の告白ではないですが、いわゆる

「禊(みそぎ)」

だと思います。

最も言うのが怖い相手は、実は自分が一番信頼している相手だと思います。

両親は、特に慰めもせず、正直にわからないといってくれましたし、でも生きていてくれたことと、猫に感謝してくれました。

何より嬉しかったのは、

「それが今のお前なんだな。話してくれてありがとう」

と、言ってくれたことです。

両親にとっては衝撃的だったろうし、気づいていながらどう接して良いかわからなかった事に、罪悪感を持ってしまっていたそうです。

お互いに関係性や想いを話し合って、少しずつ和解していきました。

今から7年くらい前の事だったと思います。

以来、ちょくちょく実家に帰っては、自分の事を話すようになり、お互いの近況を伝え合っていて、感謝の気持ちを形にするように、実家の修繕をしたり、肩を揉んだり、時には泊まって酒の相手をしています(酒は苦手ですが😅)

今は、脱却しているので、これからの事を話しています。

齢40間近で、デザイナーを目指す…。
家族に心配かけっぱなしですが、内側からエネルギーが出てくるこの目標は、間違いなく自分の気持ちです。

自分で自分を否定し続けてきた人生です。
今さら他人に否定されても、びくともしません。

意地にならず、柔軟に。
でも目標は一貫して変わらず。

どうすれば出来るか。

ただそれだけ。

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