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おばさんになりきれないおばさん

朝夕の殺人的な混雑とはうって変わって、昼下がりの電車はすいていた。
外回りらしきビジネスマン、デパートの袋をもった買い物帰りらしきお年寄りのご夫婦、赤ちゃん連れのお母さんなどがのんびりと座っている。
お昼ごはんでお腹がいっぱい(たぶん)なのと、ポカポカした陽射しで暖かいのとで、みんな手にスマホや書類や文庫本をもちつつ、うつらうつらしている。

ショルダーバッグを膝に抱えた女性が、わたしの目の前の席に座っていた。年齢は40歳前後だと思う。熱心にスマホを見ている。
彼女は前側に大きくスリットの入ったベージュのロングスカートをはき、脚をやや開いて座っていた。ロングスカートだから油断しているのかもしれないけど、そのスリットのせいでけっこうまずいことになっている。

こっそり教えてあげたほうがいいのか、見て見ぬふりをしたほうがいいのか。でも、本人に言うとしたらどんなふうに言えばいいんだろう。

「あの、ちょっとパンツ見えそうですよ」というのは直接的すぎる。
「目のやり場に困ると思うんですけど〜」なんて言って、あんた見たいんかいって思われるのもアレだし。
「脚閉じたほうがいいわよ」は、ちょっと上から目線かしら。
「お気をつけて」って、なんのこっちゃだし。

迷っているうちに(迷っているのは言い方じゃなくて、そもそも言うか言わないかなんだけど)だんだんと混雑してきて、彼女の姿は立っている乗客に隠れて見えなくなってしまった。
そしてわたしもうつらうつらしてしまい、気がついたら彼女はいなくなっていた。

昔、新しく買ったジャケットやコートの裾についているしつけ糸を付けたまま出かけてしまうことがよくあった。人生で4〜5回はやらかしている。
それを教えてくれるのは、だいたいおばさんだった。一人だけおじさんだったけど。

だいたいは、こっそり耳打ちしてくれた。「後ろ、糸がついてるわよっ」って言われて、あわあわしながら糸を切ろうともたもたしていたら、「切ってあげる」と小さなハサミ(用意周到!)を取り出して切ってくれたおばさんもいた。

スカートの裾がちょっとめくれていたり、靴紐がほどけていたり、ストッキングが伝線していたりしたときも、みんなこっそり教えてくれた。
みんな優しい。おばさん(おじさんも)、ありがとう。

こういう指摘を20代以下の若いひとから受けたことはない。気づかないのか、見て見ぬふりしているのか、どうでもいいと思っているのか、なんとも思わないのか、それがおかしいと思っていないのかわからないけど。

振り返ってみればわたしも学生のときは、他人のしつけ糸やらストッキングの伝線を見て、言おうか言うまいかなんてことで悩んだ記憶はない。きっと他人のことなんて見ていなかったんだと思う。
ひとの落とし物をよく目撃するようになったのも、40代になってからだし。

これって集中力の違いかもしれないと思った。
電車の中の小学生から高校生あたりを見ていると、スマホでも参考書でも何かの本でも、ものすごく集中して読んでいる。で、それ以外は寝てる。ぼんやりしない。
とくに小学生の集中力なんかものすごい。一心不乱に絵本のようなものを読んでいる。それでも自分の降りる駅になったら、ちゃんと降りていくところもすごい。

かたや大人になるとぼんやりしてくることが多い。スマホは目が疲れてくるし、本は頭に入ってこない。そしてやることがなくなって、周囲を見るともなく見ている。
ぼんやり見てはいるけれども、「あれ〜?」って気づく力はまだ残っている。定期入れを落として気づかないお兄さんを見つけちゃったりする(さすがにそういう場面では「落としましたよ」って言うなり、拾ってあげるなりしますけど)。

わたしにしつけ糸が付いていることを教えてくれたおばさんたちは、おばさんらしい率直さと親切心をもって、適切な行動ができるひとたちだったんだと思う。
かたやわたしはどうだろう。肉体的にはおばさんになり、集中力がなくなった。そのせいで、いろんなものが目に入ってきてしまう。でもそれを活かせるような率直さも親切心も行動力ももっていない中途半端なおばさん。

はやく一人前のおばさんになりたい。

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