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ラッキーなことに長生きしないかもしれない

近頃は同級生と会えば病気や介護、視力(老眼)、そして老後の話になりがちだ(まだ子どもが高校生以下のひとは、親と子どものことの両方でさらに忙しそうだ)。
いつの間にか仕事の愚痴は言わなくなり(逆に若いひとからの愚痴の元凶になっているにちがいない)、もちろん恋愛の話題なんて影も形もない。

恋愛に歳なんて関係ないわよ! という向きには「もちろん」という言い方はどうなのよと思われるかもしれない。だけど、意図的にではなく自然にタバコやお酒を嗜まなくなったのと同じように、もはやそういうことに興味がまったくわかなくなってしまったのだ。
しかも年齢とともに異性にあまり近づきたくない気持ちが強くなっていく。普通歳をとればおおらかな方向に行くはずなんだけど、わたしはどんどん神経質になっていく。

先だって観た映画は、わたしと同年代の主人公が恋愛的なハッピーエンドで終わるストーリーだったのだが、これが恋愛映画として売り出しているのならそれでぜんぜん構わないのだけど、「人生の幸せ」みたいな切り口の映画だったため、幸せは恋愛だけじゃねーだろと思ってしまった。ちなみに映画自体はおもしろかった。

パートナーがいればなにかと心強いだろうなと思うけど、それを目当てにするのもなんか相手に失礼というか、利用している感じで気が引ける。
まあ、ひとりの生活は手放したくないので、そんな心配する必要もないんだけど、先だっての入院騒動のときはさすがに心細かった。心細かったけど、ネット等のテクノロジーのおかげで結局なんとかなったので、このくらいなら一人でもどうにかなるという自信はついた。

とは言え、病院に行くとまだ若いと言われる年齢(病院における高齢は80歳くらいからだそうで、50歳なんてまだまだ若造とのこと)だからなんとかなったのかもしれない。だから、70代以降でも一人でできるのかってことを考えないといけない。周りを見てても、60代はまだなんとかなるかなと思っている。

みんな嫌だと言うけど、わたしはできれば一生働きたい。もちろん今のようなフルタイムではなく、時短勤務の週に3〜4日みたいな感じで。お金の心配をしたくないのと、とくにわたしはあわよくばすぐに引きこもってしまうので、仕事を利用して社会とかかわっていたほうがいいと思うからだ。
仕事ができなくなったり、身の回りのことがかなりいい加減な状態になったら一人暮らしは危険なので施設に入り時かなと思う。でもそのタイミングが難しい。タイミングというか、それを見極める判断力、客観的に判断できる能力がそのときにあるのかどうかということが心配。よくある年寄りの「あたしはまだ大丈夫ですからね!」に陥ってしまいそうで怖い。

てなことを50%くらいの切実さでぼんやりと考えていたんだが、そんなことは捕らぬ狸の皮算用、じゃなくて取り越し苦労なのかもしれない。
今まで浮き沈み(沈みはかなり深く、浮いて人並みというレベルだが)を何度か経験してきて、でもラッキーなことに今は経済的にも精神的にもそれなりに落ち着いた状態になっている。なので、「人生はなんとかなる」というのはわたしの信念の一つである。

親たちの老後についてもそれなりに心配していたのに、二人とも介護の状態にもならず、日本の平均寿命に到達しないであっけなく死んでしまったため、その手の苦労もしていない。
幼稚園の頃から子どもは産まないと決めていたのを初志貫徹して、出産も子育ての経験もなし。
ちょっと自分本位で生きすぎじゃない自分? あとでツケが回ってくるんじゃないかとやや心配していたけど、もしかしたらこの調子で最後まで行くのかもしれないとふと思った。

40歳ちょっと手前で大きな病気して、それから体弱々人間になってしまったけど、それまでは風邪もあんまりひかない健康体だったので、意外と長生きするかもという心づもりでいた。
だけど、とっとと死んじゃう可能性も低くはない。老後の心配なんかもする必要なくて、「人生なんとかなる」の法則が最後まで効いて、60代のうちに死んじゃうんじゃないかと。

あと20年弱のうちにその法則が続くのかどうか。楽しみでもあり人生どうにかならなかったときのことを考えるとちょっと怖い。でもやっぱり早く死んでも長生きしてもどうにかなると思う。


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