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お前は愛する人に「あの人と比べてあなたの方が好き」と言うか?

最高の文章に出会った。そしてなにげなくツイッターでシェアしたら、ツイッターの通知欄が役立たずになっている。

最高だ。圧倒的に最高だ。全人類はこの文章を読むべきである。

荒削りでありながら名言の塊のような不思議な文章なのだが、今日はここを引用しよう。

お前は自分の好きなモノをただ褒めまくるだけで良い。他のモノを引き合いに出し、こんなのなんかより俺の好きなコレのほうが良い!と主張する必要は全くない。

その通りだ。お前は愛する人に「あの人と比べてあなたの方が好き」と言うか?いや、言わない。

愛するとはありのままを讃えることである。そこに比較はないし、評価もない。

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しかし、しかしである。僕たちは何かを比較したり評価することにあまりにも慣れてしまった。

例えば服を買う時。純粋に来たい服ではなく、まわりからの評価を計算し、損得を比較して服を選んでいる自分がいる。

例えばカラオケで歌を歌う時。純粋に歌いたい曲ではなく、まわりからの評価を計算し、損得を比較して歌を選んでいる自分がいる。

例えばブログを書く時。純粋に書きたいことではなく、まわりからの評価を計算し、損得を比較して書くことを選んでいる自分がいる。

そうすることが賢いことだと教えられてきた。そうしないことは向こう見ずだとたしなめられてきた。それはたしかに一理あるだろう。

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しかし、しかしである。僕たちはやっぱり何かを比較したり評価することにあまりにも慣れてしまった。

そして思うのである。僕は自分が愛することに対してもそのような比較や評価をしているのではないかと。

僕にとって服を着ることや歌を歌うことや文章を書くことは愛することである。にも関わらず、それに対して愛ではなく打算で付き合っているのではないかと。

まるで愛する人に「あの人と比べてあなたの方が好き」と言うかのように。

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Love what you do and do what you love.

という言葉がある。文字通り「やっていることを愛し、愛していることをやりなさい」という意味である。

これはとてもシンプルな生き方だと思うし、幸せな生き方だと思う。そこにはもう評価の必要はないし、同時に評価されることに対する恐れもない。

しかしこれは簡単な生き方ではない。僕たちはすぐに愛していることではなく、「都合のいい」ことを選んでしまうから。

自分が本当に愛していることをやるのは難しい。究極的には不可能なことかもしれない。だから人生はそこに向かっていく旅なのだと思う。

Bon voyage!(良き旅を!)

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