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ウソ発見機なんてなくていい

昨日は研究室のガイダンスと、新入生の歓迎会でした。

ガイダンスは午前中にサラッと終えて、昼過ぎから伝統工芸体験、夜は飲み会、そのあと一部はカラオケで二次会。去年と似た流れで一日中、B4のみなさんと過ごすことになりました。


大学の研究室には「色」というものが確実にあると感じます。筋骨隆々な漢たちが配属されるところもあれば、真面目でストイックな学生が固まる部屋もある。研究室全体をそういう空気が支配しているのを、新入生が敏感に察知しているのでしょう。

うちの研究室に「気遣いがうまい人」が入ってくるという流れは今年も継続のようです。4人揃ってコミュ力が高く、受け答えもしっかりしています。特に男子2人は、伝統工芸のとき先輩に「うまいっすね!」と、絵に描いたようにゴマをすりすり。負けじと先輩も、酒焼けして声が出ない後輩に「〇〇くんの歌声、なんかすごい心動かされるわ」と大立ち回りで褒め始めます。そのやりとりがなんだか胡散臭くて、少しだけ逃げ出したくなってしまった僕は、ユダなのかもしれません。


本音と建前は誰にでもあるものです。食べ物の好き嫌いがあるように人にも合う合わない、好き嫌いがあることは当然で、でも対象が無生物ではない以上、「僕はピーマンが嫌いだ」みたいなあからさまな意思表示はなかなかできないものです。それどころか合わないと思っていても、立場や関係上やむをえず仲良くするフリをしていたり、とりあえず話を合わせたり、なんてこともザラにあります。

こんなふうに建前を使うのは、相手が人間だからです。お互いに感情があって、何かを考えている以上、避けることができない。嫌いだからピーマンを買うのはやめておこう、というようなことはたいていの場合できません。

あいにく僕は建前で話すのが苦手です。嘘を吐いていては言葉に感情や思いがのらないから、という尤もらしい理由を掲げてはいますが、結局のところ嘘がつきたくないからです。自分にも他人にも正直に、大きくも小さくも見せない。それが僕だと決めたので、思ってないことを褒めたりはしません。(褒め上手の人が思ってもないことを褒めてるとは言いませんが)

その点で言えばうちの研究室の人は、「相手がいづらく、申し訳なく思っていないだろうか」と他人を第一に考えて、褒めポイントを意識的に探しているんでしょう。ある意味僕よりずっと優しい、思いやりがあると言えます。

一方で本人が実際のところどう思っているかは、本人にしかわかりません。その場のノリで大して思いもせずに口走っていることもあるでしょうし、逆のことを思っていることだって場合によってはあるかもしれない。
それに気づいてしまうのが怖いから、ウソ発見機なんてなくていいと僕は思います。そんなものが蔓延ってしまったら相手に向けられた優しさをひねくれた目でしか見られない気持ちの悪い世界になってしまいます。


実際はウソ発見機なんてなくても、表情や空気でわかってしまうことだってあるのが辛いものです。昨日でいえば飲み会途中、机を挟んで僕の対角線にいる先輩が、「うつろくん飲みすぎちゃう?大丈夫かな?」と僕にわからないように言っているのが聞こえてしまいました。当の本人は(あまり自分の感覚を信じてはないですが)全く酔っていないのに、そんなことを言われたら注文するだけで先輩を不安にさせてしまう気がして、流石にやめました。包み隠さず言うと不完全燃焼でした。

注文をやめたのは先輩の本音を読み取ったからでもあります。
建前として「後輩が心配」を掲げた先輩も、本音は「あの時みたいに吐かれたらどう責任を取ればいいのかわからない」という不安と僕への懐疑心だったのだと思います。まあ一度二度大やらかしをしている僕が楯突くことができないのはこの際仕方がないですが、気づきたくないことに気づいてしまうと、少し悲しくなります。


あのとき飲みに誘われなかったのも、「うつろ、あいつはダメだ」と見限られたからかな。たとえウソ発見機がなくても疑心暗鬼になってしまうから、人間って怖いです。


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