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ギリギリでしかできない理由がわかった気がする

高校時代、1時間目の開始にギリギリ間に合う電車を毎日のように利用し、周りから「KAT-TUNすんな」とからかわれていた私にとって、物事をギリギリでやるというのは日常茶飯事で大して気に留めるようなことでもありませんでした。

結局間に合えばそれでいいと思っていたし、いつの間にか期限が迫って不安になってきた時の胸が締め付けられるような感覚がないと頑張れないようになってきていました。いわゆるドMになってしまったわけです。

これを踏まえ、努力するためには期限へ近づくこと、あるいは努力の対象への強い興味や関心があることが必要、というようなことを一度記事にしました。が、まったく評価を得られていません。

化学の知識を前提とする内容が好まれなかったのかな、とこれまでは思っていたのですが、しばらく経った今、そもそもこの理論自体が間違っていた、というか不十分だった可能性が浮上してきました。
というわけで今回は自分の記事に対するアンサー的な文章になると思います。


「努力のススメ」ではあたかも期限が迫ることが努力に必要であるかのように書いていました。でも周りを見ると、煩わしい業務を淡々とこなしている人はたくさんいるわけで。

期限なんてなくても、詳細な知識なんかなくても、動画編集を主体的におこなって動画を発信してきた人が、今もYouTubeでトップを張っていたりするんです。そりゃ好きだったというのもあるかもしれませんが、あの手間のかかる作業を「好き」の一言だけで片付けてしまうのは彼ら彼女らにとってもちょっと申し訳ないような気がしました。


では何が間違っていたのか。それは私自身が、「期限が迫って来ないと頑張れないはずだ」という偏見を持って文章を書いていたことです。

期限が迫ってから本格的に努力を始める癖がついてきた私にとって、いつからか物事を1発で完パケにするのが当たり前になっていました。この方法はある意味一番効率がいいっちゃいいのですが、一気に莫大な手間が襲ってくるので恐ろしく精神をすり減らせます。だから時間に余裕がある時は面倒くささが勝って進めようにも進められない。

わかりにくい方のために例えるなら、本来何回も推敲を加えて、赤をいれてもらって完成させるべき小説を、正確に文字に起こすことで下書きだけで完成させるみたいなものです。ちょっと言い過ぎた感がありますがこれと似たことをやってきました。

このnoteもそうです。基本的にはまず書いて、次にざっと見て直して公開。ビュー数は少ないとはいえ世界中の人に見られうる文章を1回の推敲だけでたやすくリリースしてしまってるんです。正気の沙汰ではないような気がしてきました。
ネタが浮かばない、やる気が出ないと駄々をこねてましたが、それっておそらく、ギリギリでいいという甘えのもとに生まれた感情なんです。今まで幾度となくストックストックと言い続け、それでもできなかった理由がここにありました。


で、何をするかという話なんですが。

ひとまず一発で完成させるという固定観念をなくし、物事をユニットに分けて1つずつこなしていくという作業方式に変えていこうと思っています。noteの記事もこれまでは書き始めから終わりまでものの1時間足らずでジェットコースター式にブッ飛ばしていたのを、とりあえず下書きを書いてみて無理そうなら予備として残す、くらいの気概で臨もうかなと。

これまで期限に追われる生活をよしとしてきた身なので続けられるか自信はありませんが、noteに限らず研究活動や実生活にも活かしていこうと思ってます。もし同志がいましたらぜひこの考え方を採用してみてください。

そろそろ戻ります。失礼します。

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